前々回ふれたディックの『高い城の男』ではないけれど、もうひとつの日本の戦後を想定したSFがある。しかもそれは本連載37のリースマン『孤独な群衆』や『何のための豊かさ』(後者も加藤秀俊訳、みすず書房)、及びリースマンなどのアメリカ社会学の成果をベースとする記号論的フランス版に他ならない、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(今村仁司、塚原史訳、紀伊國屋書店)を参考文献として書かれている。その作品は筒井康隆の『美藝公』である。これは『GORO』に連載され、翌年に横尾忠則装丁の、内容にふさわしい大型本として、文藝春秋から刊行された。
といってそれらの著作とダイレクトにつながるSF小説化ではないのだが、リースマンやボードリヤールが批判的に分析している消費社会論をそのまま隠し味とすることで、この『美藝公』は成立している。それに加えて、この作品が八〇年代に書かれたという事実に注目すべきだろう。アメリカやフランスの消費社会化がリースマンやボードリヤールの著作を生み出したように、筒井の作品も日本の消費社会化、及び八〇年代以後の行方への注視と思考がもたらしたものだと見ることもできる。
本連載でも既述してきたように、戦後の日本社会は一九七三年のオイルショックによって高度成長期に終止符が打たれ、工業社会から消費社会へと移行し始めた。それは第三次産業就業人口が50%を超えたことにも示され、現代の消費社会の主要インフラにして、象徴的存在であるコンビニ、ファミレス、ファストフードの出現もすべてが七〇年代前半だったし、それらは八〇年代のロードサイドビジネスの中核を形成し、郊外消費社会の成長と隆盛をリードすることになったのである。
しかしこれらの出現は産業構造の転換を意味するだけでなく、日本全国各地の田や畑だった幹線道路沿いの風景を消費社会のそれへと変容させてしまうものだった。そのことは農耕社会がたちまちのうちに消費社会へと移行してしまった事実を物語っていた。長い日本の歴史にあって、それが占領に伴う戦後社会のプログラムとして織りこまれていたにしても、私たちは初めて産業構造の転換と、そのことによる風景の変容を目撃していたのだ。
したがって七〇年代から八〇年代にかけての日本のドラスティックな消費社会化を前提として、筒井の『美藝公』も書かれている。しかもそれは立ち上がりつつある郊外消費社会を視野に収めているかのように、「郊外へ出ると鮮烈な黄緑色が車の両側に迫ってきた」との一文から始まり、「人生は活動写真/かげろうのように/ゆらめいて消えていく……」という歌が流れる。それは映画とスタアへのオマージュとしての歌ではあるけれど、うたかたかもしれない郊外のメタファーのようにも聞こえてくる。
脚本家の「おれ」=里井勝夫の乗る車は美藝公の邸宅に向かっていた。その邸の前庭は二千三百坪の広さで、大噴水、プール、テニスコート、クレー射撃場を備え、邸宅はドイツロココ調建築の二階建て、正面玄関を中央にして左右対象形で、東西に延びている。そこには新聞各紙の美藝公詰記者室があり、広いサロンには美藝公の穂高小四郎、監督の綱井秋星、美術監督の岡島一鬼、音楽監督の山川俊三郎が待っていた。里井が次回の美藝公の主演作品として提出した『炭坑』に関して検討するためだった。
それは炭鉱町生まれの新人作家のサスペンス社会劇で、炭坑事故が相次いで起きていた時代を舞台としていた。その映画化には美藝公と里井が労働者階級出身であること、また石油や原子力がエネルギー源へと移行したので、炭坑がほとんど閉鎖されてしまったけれど、まだ良質で豊富な石炭が埋蔵されているし、石油ばかりに頼ることを見直そうという含みもあった。つまり先述したオイルショックがモチーフになっているとわかる。
そして綱井監督がいう。「もしこの映画を製作するのであれば、もういちど石炭鉱業を国家的にするか、国管もしくは国営にするかして炭鉱町に繁栄をもたらし、あのさびれ果てて無人になった炭鉱町にふたたび灯をともすことが必要です」と。その言に加え、さらに大臣連中に連絡をとり、官僚会議を開いてほしいとも、監督は美藝公に進言する。
ここまできて、人を悪くいうことなく、男でさえ見惚れるような映画俳優の美藝公が国家にとっても重要人物だと判明してくる。その邸宅は総理大臣官邸のようなもので、そこには記者も詰めていることからすれば、美藝公のニュースはメディアにとっても必要不可欠であり、『炭坑』映画化はただちに記者会見で発表された。『美藝公』の世界は何よりも映画が中心となっている社会で、銀座らしきところは映画通りと呼ばれ、映画会社、洋画配給会社、その関係企業のビル、及びそれらの人々が集うカフェやクラブが並び、その百万ドルの夜景が見られる屋上の、しかもコック付きのペントハウスに脚本家の里井は住んでいた。脚本家のみならず、映画関係者の地位は作家よりも高く、彼らは日本一狭き門の芸大の講義も受け持っていて、映画の世界に入ろうとする学生たちが詰めかけていた。
それもそのはずで、『炭坑』の映画化に合わせ、失業者も映画によって炭坑労働の尊さに目ざめ、労働力も集まり、失業者の吸収もできるとの観測から、炭坑を国家的事業として再開させ、石炭鉱業の国営化もほぼ決まっていたのである。感謝の言葉をもらす美藝公に総理大臣はいう。
「当然のことです。わたしどもは常に美藝公の一挙手、一投足に注意を向けています。映画産業立国である日本の政府は、政治、経済、さらに大きく文化、それらすべての面にわたり映画と歩調をあわせ、時に応じて最も効果的な政策をとらねばなりません。むしろわたしどもこそ、このように事前にご相談願えたことを感謝しているのですよ」
法務大臣もいつもの繰り言を話し始めた。「わたしは映画の監督になり、そういう映画を作りたかったのです。(中略)あいにく才能がなく、芸術大学を落第しましてな。しかたなく国立大学の法学部に入った」と。
このような場の中心にいる美藝公とその映画の魅力とは何なのか。それは美藝公とて工場労働者の家に生まれ、工業専門学校しか出ていないのだから、「生まれ」も「育ち」も「教養」も関係がなく、その個性的魅力の本質は「思いやり」に他ならない。それは人生論や道徳本でいわれる安易なものとはちがう大変な技術と努力を要するもので、才能、素質、努力を三位一体とする無意識化によって生まれるに至ったとされる。それが「スタア・システム」によっている映画にも反映され、映画の魅力へともつながっているのである。「スタア・システム」とは時代とともに美藝公も引き継がれていくことを意味し、映画『炭坑』には前美藝公も出演し、華を添えることになる。
かくして『炭坑』は傑作に仕上がり、全国一斉に封切られ、国営化によって炭坑自体も一年後には以前の十倍の石炭生産が見こまれ、日本には世界各国の石油不足による不況などどこ吹く風というエネルギー状況がもたらされていた。
そうした美藝公の存在と映画の成功の中で、有名女優の恋人も得て、里井は順風満帆だったにもかかわらず、「幸福すぎる」という「奇妙な考え」に取りつかれ始めていた。
もしこの国が今のように、アジアのハリウッドと呼ばれる映画産業立国ではなく、したがって映画を中国や東南アジア各国をはじめ、世界各国へ輸出していなかったとすればどうだろう。おれは今のように幸福でいられただろうか。その場合、おれは何を職業とし、今ごろどうしているだろう。またこの国はその経済と文化の基盤をどこに置いていただろう。(中略)映画輸出国でない日本など、おれにはとても考えられなかった。戦前の、高い技術を欧米の映画から学んで繁栄した映画文化、そして敗戦後、娯楽に飢えた国民に夢をあたえる唯一の産業としてさらに発展し、次第に巨大化した映画産業。まったく観光以外他になんの資源もないわが国が繁栄できそうな産業としては、映画しかないではないか。
だがそうであるにしても、「この世界は本当ではないのではないか。本当の世界はどこか別の宇宙にあり、この世界はその別の世界に住む本当のおれの夢と願望だけで作りあげた世界ではないだろうか」という疑念がつきまとい、絶えず不安に駆られるようになった。それは「おれ」の考えた「本当の世界」のほうが整合性とリアリティがあるからだ。それゆえに『美藝公』は小説の中の登場人物がその世界を疑い始めるというメタフィクション的隘路へと差しかかっていく。ただそのような疑念を聞いてくれるのも美藝公しかいなかった。
(『筒井康隆全集』22所収、「美藝公」)
そして彼らを前にして、里井は「奇妙な考え」を話し始め、「敗戦後、もしこの国が映画産業立国ではなく、経済立国として繁栄していたら、現在どういう有様になっているだろうか」と問題を提起する。すると美藝公を含む先に挙げたメンバーたちが百花斉放のようにしゃべり出す。それらを要約してみる。
*資源がない国が経済立国となるために、政府が石炭産業などに設備投資金融を行なったように、貿易金融や輸出向け産業への金融を実施していれば、もっと輸出入が活発になっていた。日本には労働力があり、日本人は勤勉だし、教育水準も高いので、自動車や電器製品を始めとして、原料を輸入し、それを加工して輸出するそれらの会社は大企業となっている。
*でもそれだと日本は単に利益と富の追求だけが国家目的になってしまうどころか、国民すべての個人的目的となる社会が形成される。日本人全体の指向が利益追求で一致すれば、とても陰惨な社会、一種の全体主義的な社会と化してしまう。
*それでも個人の消費生活は盛んになるから、必ずしも陰惨とはいえない。だが新聞の第一、二面に映画の記事は載らなくなり、政治家、実業家の老人たちと政治、経済の情勢ばかりになり、外国の新聞と同じになってしまう。
*経済優先の社会になると、映画はなくなってしまうかもしれないし、残ったとしてもろくな映画ではなく、ポルノばかりという状況が生じる可能性もある。
*経済優先の社会では情報の急速で、大量の伝達が重要視されるようになり、国民に文化的作品をじっくり鑑賞させる精神的余裕がなくなり、精神が荒廃してしまう。
*そうした社会では宣伝に金がかかるから、国民も宣伝に金のかかった映画しか見にいかないし、金を持つプロデューサーの発言権が大きくなり、スタアの地位は下になってしまう。それは現在の社会の完全な衰退の社会となる。
*スタアの代わりに台頭してくるのはアイドルで、いくらでもいる可愛くて、歌も演技も人並にこなせる若い男女ということになり、いくらでも代替のきく商品と同じになってしまう。
*そうなると、映画は芸術ではなく、プロはいなくなり、半分は宣伝の手段で、映画俳優を真面目に志す人はいなくなる。その社会の青年の理想像は大企業の社員、つまりサラリーマンということになる。それが大衆消費社会、大衆情報社会に他ならない。
まだまだ美藝公たちの現在とは異なる「架空の設定」としての「虚構の政界」に関する議論は続いていくのだが、きりがないので、ここら辺で止めることにする。彼らもこれは現実ではなく、フィクションで「すばらしい悪夢」だといっているのだから。
いってみれば、筒井は自らの『不良少年の映画史』(文春文庫)の面目を発揮し、この作品の前半を美藝公たちが中心となるユートピアとしての映画産業立国を描き、後半においてリースマンやボードリヤールの著作を参照し、ディストピアである大衆消費社会を提出していることになる。だがやはり留意すべきはこれが一九八〇年に書かれていたことであろう。この三〇数年前に書かれた『美藝公』における筒井の、その後の日本社会と映画についての予測は外れていることもあるが、多くはそのように進行したといえるだろう。
それらの中で最も笑ってしまうのは、経産省が「クール・ジャパン」なるキャッチフレーズで映画、アニメ、コミックなどの外国への進出を唱えたことだろう。これこそは『美藝公』における映画産業立国のやき直しということになる。これはマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一、北条元一訳、岩波文庫)で、ヘーゲルの言葉として引いているものを当てはめたくなる。それは世界史上の大事件と大人物は二度現われるが、ただし「一度は悲劇として、二度目は茶番として」という言葉である。『美藝公』はそのまま悲劇ではないけれど、「茶番」という言葉はまさに経産省と「クール・ジャパン」構想に当てはまるもののように思える。