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古本夜話368 樺島勝一画、織田小星作『正チヤンの冒険』

宍戸左行の『スピード太郎』に続いて、もうひとつモダニズム漫画というべき作品を紹介しておきたい。それは樺島勝一画、織田小星『正チヤンの冒険』で、大正時代に出現していることを考えれば、モダニズム漫画の嚆矢とも位置づけられるだろう。これも早くは三一書房の『少年漫画集』(『少年小説大系』別巻1、一九八八年)に第一巻だけ収録され、二〇〇三年になって、小学館クリエイティブから戦後の作品も含んだ同タイトルの復刻アンソロジーが刊行されている。以下、単行本タイトルの関係もあり、正チヤン、正チャン、正ちやん、正ちゃんの四重表記とする
正チヤンの冒険  

この漫画の主人公の姿には既視感があるのだが、『お伽 正チヤンの冒険』(朝日新聞社、大正十三、十四年)の全七巻を見ているわけでもないし、戦後の『絵ものがたり正ちゃんの冒険』(大日本雄弁会講談社、昭和二十五年、六年)の全二巻を読んでいるからでもない。おそらく何かに引用掲載されていたことから、記憶に残っていたと考えられる。それが何かノスタルジアを伴って喚起されるのは、主人公がかぶっている帽子、所謂「正ちゃん帽」のせいかもしれないのである。それは『日本国語大辞典』小学館、昭和五十一年第一版第一刷)にも立項されている。

 しょうちゃん−ぼう シャウちゃん:〘名〙帽子の一つ。毛糸で編んで、その頂きに毛糸の玉のついたもの。昭和一二年(一九三七)頃、朝日新聞に連載した椛島勝一の漫画「正ちゃんの冒険」の中で、主人公がかぶったところから流行した。

この立項の「昭和一二年」という誤記を確認するために、『朝日新聞出版局50年史』を繰ってみた。すると大正十二年に『日刊アサヒグラフ』が創刊され、『正チヤンのばうけん』が「グラフ局員・織田信恒(小星)のプラン、同じく編集部員・樺島勝一(東風人)の合作によって連載され、呼びものとなり、「正チャン帽」が流行したとある。したがって立項を訂正すれば、大正十二年一月に『日刊アサヒグラフ』、同年十二月から『朝日新聞』にも連載されているので、昭和十二年ではないことになる。もう少し正確に補足すると、『日刊アサヒグラフ』が関東大震災で休刊に追いやられたので、『正チヤンのばうけん』は『正チヤンの冒険』として『朝日新聞』へ引き継がれ、翌年には日刊ではないにしても、復刊された『週刊アサヒグラフ』に『水曜日の正ちやん』として連載された。したがって連載期間は大正十二年から十四年にかけての三年足らずであった。

原作の織田はヨーロッパ滞在中に児童新聞や雑誌の影響を受け、子供のための新聞を出そうと考え、創刊準備中の『日刊アサヒグラフ』に迎えられる。そしてその子供ページを担当し、リスを伴い、ハイカラな洋服をまとい、毛糸の玉のついた帽子をかぶった正チヤンというキャラクターを造型する。漫画を受け持った樺島はアメリカの新聞や雑誌を手本とし、独学でペン画を学び、やはり朝日新聞社グラフ局へ入り、織田と組み、正チヤンシリーズを描いていく。そのような二人のヨーロッパとアメリカのモダニズムアール・ヌーヴォー体験は、説明文と吹き出しの併用、正チヤンの冒険物語などに投影され、宍戸の『スピード太郎』に先駆ける現代のコミックの原型を提出したように思われる。

その新鮮なキャラクターは多くの読者に好評を持って迎えられたゆえに、「正ちゃん帽」の流行へと結びついたのであろう。それは何よりも大正十三年七月から十四年十月のわずか一年三ヵ月の短期間に『お伽 正チヤンの冒険』が続けて七冊も刊行され、さらに十五年十二月には『正チヤンの其後』も出されたことに表われている。

三一書房小学館クリエイティブ版に前者の書影が掲載されているが、これを『朝日新聞社図書目録』で見てみると、四六倍判、五〇銭とあり、まだ朝日新聞社の出版も端緒についたばかりといってよく、『正チヤンの其後』も含めて八冊出されたことは、それらの売れ行きがきわめてよかった事実を告げているのだろう。そうして『お伽 正チヤンの冒険』が広く伝播していくにつれ、「正ちゃん帽」も今の言葉でいえば、キャラクターグッズとして流行するようになったのではないだろうか。

「正ちゃん帽」なる言葉は昔から知っているし、正チヤンの既視感が何に由来するのか、まだ確かめられないでいるのだが、仏文学者の中条省平小学館クリエイティブ版に寄せた「現代マンガと正チャン」において、エルジェの「タンタンの冒険」シリーズを連想すると書いている。これは八〇年代になって福音館から翻訳刊行され、近年はスピルバーグによって映画化に至っている。
タンタンの冒険 タンタンの冒険

確かに両者のキャラクターと少年記者の設定、シンプルながらも喚起力のある構図と色彩、動物を伴っていることなどは共通している。しかし中条も確認しているように、その第一作『タンタン ソビエトへ』の連載が始まったのは一九二九年、つまり昭和四年であり、正チャンのほうが六年も先行していたことになる。
タンタン ソビエトへ

また中条は正チャンシリーズのイントロダクションともいえる「アルヒノコト」にふれ、キャロルの『不思議の国のアリス』稲垣足穂のファンタジーとの親近性を指摘している。私も足穂の世界との共通性を感じるが、さらにその延長線上というか、そのコミック化とよんでもいい鳩山郁子『青い菊』『スパングル』(いずれも青林工芸社)も連想してしまった。前者の主人公の少年たちは正チャンと同じ青い半ズボンスーツをまとっている。この鳩山の『青い菊』に関しては、本連載「ブルーコミックス論」11「で言及しているので、よろしければ参照されたい。

不思議の国のアリス 青い菊 スパングル

また鴨沢祐仁の『クシー君の発明』(青林工芸社、のちPARCO)、『クシー君の夜の散歩』(河出書房新社)といったコミックやその他のいくつかのキャラクターが、他の様々な物語にも広く波及し、それらがまた共通性とノスタルジアを喚起するゆえに、『正チヤンの冒険』に対して既視感が生じてしまうようにも思われるのである。

クシー君の発明クシー君の夜の散歩

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