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古本夜話435 流行作家、翻訳者、出版者としての三上於菟吉

三上於菟吉の戦前の出版物を六冊持っている。それは前回挙げたサイレン社の『青空無限城』(昭和十年)の他に、次の五点である。
『青空無限城』

1 『妙齢』 (二松堂書店、大正十二年)
2 『白鬼』 (新潮社、大正十五年)
3 『三上於菟吉集』 (『新選大衆小説全集』第八巻、非凡閣、昭和八年)
4 『街の暴風』 (新潮社、昭和九年)
5 『激流』 (『三上於菟吉全集』第二巻、平凡社、昭和十年)

いずれもアトランダムに入手したのであるが、この中でも 2 の『白鬼』が三上の出世作で、『時事新報』に連載されたこの現代小説によって、三上は加藤武雄や中村武羅夫と並ぶ昭和初年の流行作家三羽鳥となったのである。三上は『雪之丞変化』などの印象が強く、時代小説作家と見なされがちだが、実は五作とも現代小説で、双方をうまく書き分けていたのだ。だがこの『白鬼』ももはやだれも読んでいない小説と化していると思われるので、そのストーリーを紹介してみよう。

雪之丞変化(講談社

その背景となるのは『新世紀』という大雑誌を発行する出版社で、そのオーナーが社員の知らないうちに、実業家兼政治家の京野に会社を売却し、「冷血」なる綽名で有名な新しい主筆につき、社員たちの減給を発表し、それに反発した社員たちが全員辞職で抵抗しようとする場面から始まる。これが震災後の物語であることは最初の一行目に示された壁に残る「震災の罅皺(ひげ)」といった言葉から伝わって来る。その全員辞職に対し、入社半年の美術工芸方面の訪問記者で、美男の細沼は群衆心理的な総辞職の決議に加わらず、この不況時代にすぐに新しい仕事が見つかるわけでもないので、会社にとどまりたいし、その自由は認めてほしいとはっきり伝えた。すると細沼は裏切者呼ばわりされ、総辞職派の社員たちとの乱闘になってしまう。彼のそのような対応は新社長にたちまち認められ、記者から社長秘書へと抜擢される。それから細沼は自らが住む菊坂ホテルに、中国人の営む娼館広東ホテル、サード侯爵の秘密の楽園倶楽部、新しい芸術グループの山の手芸術倶楽部などを舞台に、女子社員たち、社長の妹、それらの倶楽部の女たちを「色魔」にふさわしい手筈で籠絡していく。それを細沼自らに語らせよう。

 僕の恋は『長篇小説』ではない。一種の『短篇集』だ。(中略)恋の覚え帳とでも言ふやうなものを書くならば、事実彼の現在の恋は十二種の恋愛物語を集めに短篇集をなすに充分であらう。
 彼はそれが満足だつた。彼は無一文から成り上つた人物であつたから、すべて和多く得ることが好きだつた――

しかしその一人は妊娠し、自殺してしまう。それでも細沼は大金をせしめて、最後には上海に向かうところで、『白鬼』は終わっている。

この『白鬼』はジャーナリズムを舞台とする美貌の「色魔」の物語であるから、すぐにモーパッサンの『ベラミ』を物語祖型として仰いでいることがわかるし、ゾラの『ナナ』の最初の場面などが巧みに取り入れられ、主として近代フランス小説の多種多様な引用によって成立していると判断してもいい。文中にある「あの狂死する程人生の歓楽を追い求めて書いた仏蘭西作家」とは明らかにモーパッサンを指しているし、「サード侯爵」なる命名にしても、それの事実を物語っていよう。

その他モーパッサンの英訳『ベラミ』『女の一生』からの最初の翻訳者である広津和郎は、回想記『年月のあしおと』講談社文芸文庫)の中で、早大で一級下だった三上のことを、当時の早稲田にはほとんどいなかった存在で、「驚くほど本を読んでいた」と述べている。三上はその卓抜な英語力で、ヨーロッパの近代文学のみならず、ジョイスの『ユリシーズ』や『ペトラルカ全集』まで読み上げていたようなのだ。

女の一生 (広津和郎訳、角川文庫) 年月のあしおと

そしてこれはほとんど語られていないが、翻訳者としてゾラの『貴女の楽園』『歓楽』『獣人』まで手がけている。本連載402で触れたように、『貴女の楽園』は大正十一年に天佑社から刊行され、これは二〇〇二年になってフランス語からの初訳『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)として出版されるまで、翻訳がなかったものである。実はこの翻訳編集に携わったことから、私は参考のために本の友社の復刻版『貴女の楽園』を読んでいるが、もちろん誤訳、削除と多々の欠点は目につくにしても、全体的印象からすると、大正時代によくぞここまで訳したという思いに駆られる仕上がりになっていた。
ボヌール・デ・ダム百貨店

また『歓楽』は『生きる歓び』(拙訳、論創社)で、これは三上が直木三十五と大正十一年に立ち上げた出版社である元泉社から刊行されている。これらは三上は同世代の作家たちと比較にならないほど多くの原書を読破していた事実を物語り、そのことが彼を多作な流行作家として成長させた要因でもあった。
生きる歓び

またこれは未読であるが、大正四年の自費出版の処女作で発禁処分を受けた『春光の下に』もそのような外国文学が投影されていると見なすべきだろう。そしてこの出版に注目したのが『講談雑誌』の生田蝶介で、三上は同五年から『悪魔の恋』を連載し、実質的に大衆作家としてデビューに至り、新潮社から単行本として刊行される。また付け加えておけば、同じく『講談雑誌』連載の白井喬二の『神変呉越草紙』を単行本化したのは元泉社だった。

三上は昭和十一年に脳塞栓で倒れたこともあって、その最盛期は昭和初期から十年ほどだったが、そこに至る三上の前史をたどってみると、彼の流行作家とは異なる翻訳者、出版者としての側面も浮かび上がり、大正時代の文学と出版をめぐる環境をくっきりと描き出しているように思われる。

なお三上が昭和十年に刊行した『随筆わが漂泊』は彼のそのような個人史をうかがわせ、田山花袋へのオマージュの一章も含まれているので、貴重な近代文学史資料としても文庫化が望まれる。
[f:id:OdaMitsuo:20140722142901j:image:h135]『随筆わが漂泊』

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