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古本夜話439 長谷川時雨とローリングス『イアリング』翻訳事情

数年前に静岡のあべの古書店で、昭和十四年に明窓社から出されたM・K・ロオリングス著、上田聰訳『イアリング[一年仔]』を買い求めた。それは出版社も訳者も知らなかったし、著者やその邦訳名も記憶していなかったのだが、四六判のシンプルながらも端正な印象を与える箱の表には「ピュリッツァ文学賞/アメリカ映画賞受賞作品」とあり、その裏側には長谷川時雨の『東京朝日新聞』の書評が転載されていたからである。それを引用してみる。

 アメリカの女性作家の書いた「イヤリング」といふ小説の訳本を読んで、食べるといふこと、生きるといふことに、今更ながらびつくりした。(中略)
 開墾地の生活は蒔かなければ食へぬのであつた。猛獣と戦はなければ、一家に飢餓がくるのであつた。
 私は都会に生れ、都会に育つた。しかも、実に平安な文明の首都に暮しつゞけてゐる。口を沾らすのに購へばすむことばかりに馴れてきたので、物質節約、貯蔵しろと叫ぶ今日でも、新しき品(もの)を入用だけ求めるのを、都会的消費経済の原則として生きて来ただけに―溜(た)こむのをむさいとして来た性質も手伝つて、ともすれば忘れがちでしやうがない。(後略)

時雨の書評もめずらしいと思えるが、彼女がアメリカの開墾地の小説を読んで、「江戸っ子」ならではの感想をもらしているのは何かちぐはぐな印象を禁じ得ない。
そしてまたこの『イアリング』を読んでいくと、これが他ならぬ、一九四六年のグレゴリー・ペック主演の同名の映画の原作だとわかった。「イアリング[一年仔]」とは「子鹿」のことを意味していたのである。しかしあらためて読んでみると、確かに「開墾地の生活」を描いているのだが、それは物語の背景であって、その主題は時雨が書評で述べているようなものではなく、主人公の少年の成長と、殺されてしまう運命にある仔鹿との関係だと考えられる。少なくとも上田聰訳述の明窓社版から得た読後感からすれば、そのように判断できる。
子鹿物語

しかし上田の「序」を読むと気になる記述があった。それは「邦訳にして七百頁に垂(なんなん)とする長篇を、力(つと)めて原作の芸術的香気を損ふことなく、この程度のものに纏め上げる」ことは相当に難しかったが、「卓れた既訳の諸書に啓導され」、この仕事を終えたので、「原書の訳者諸氏とその訳業とに、深き感謝の意を表明したい」との記述である。

とすれば、この上田「訳述」の明窓社版は原書の半分ほどの抄訳で、しかもいくつもの既訳がすでに刊行され、上田の言からすると、それらを参考にしたリライト抄訳だとも見なせることになる。その視点を取り入れるならば、ようやく時雨の書評の日付である昭和十四年十月十一日と明窓社版奥付の刊行日の同年十一月十日の矛盾が明らかになってくる。『イアリング』を読んだのはおそらく遅くても九月だと考えられるし、まだ明窓社版は見本もできていない頃であろう。だから時雨のこの書評は上田が述べている「既訳の諸書」の一冊に向けられたもので、それは上田「訳述」と異なる「開墾地の生活」がクローズアップされるような印象の翻訳に仕上がっていたのではないだろうか。またそれゆえに時雨の書評がこのように書かれたのではないだろうか。

このことを確認するために、各種の翻訳史文献を見てみたが、ローリングスと『仔鹿物語』翻訳事情は児童書の分野とされているためなのか、それらの記述に出会えなかった。しかし念のために児童書の収録は少ない国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)を繰ってみると、明窓社版は掲載されていなかったが、何と昭和十四年に三冊の翻訳が出ているとわかった。それらを挙げてみる。

1 『イアリング[一年仔]』(新居格訳、四元社)
2 『イアリング』(加藤賢蔵訳、青年書房)
3 『一歳仔(イアリング)』(大久保康雄訳、三笠書房
三笠書房版)

さらに付け加えれば、昭和十五年にも『イアリング』(山屋三郎訳、新潮文庫)が出ていて、これが戦後の新潮文庫『仔鹿物語』、3が角川文庫に『仔鹿物語』として収録されることになったのだろう。

したがって、時雨は1か2の『イアリング』を読んで書評し、それがどのような経緯であってなのか、明窓社の上田「訳述」版の箱裏に転載されたと考えられる。これらの事実からすると、昭和十四年から十五年にかけて、ローリングスのこの作品は少なくとも五冊の翻訳が集中して出たことになる。

昭和十四年にはアメリカが日米通商条約破棄を通告し、第二次世界大戦も勃発し、日本のアメリカとの関係、及び国際状況も風雲急を告げている。このような時代の渦中にあって、これらの翻訳権の問題はどのように処理され、五種類の翻訳の刊行を見るに至ったのであろうか。

ただ明窓社版『イアリング[一年仔]』を見る限り、翻訳権に関しては何のクレジットも明記されていない。

なお二〇〇八年に土屋京子による新訳として、『鹿と少年』(光文社文庫)も出されている。
鹿と少年

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