悪党どもに幸いあれ。
ジェイムズ・エルロイ『アメリカン・タブロイド』(田村義道訳、文藝春秋)
本連載で繰り返し既述してきたように、大正時代から始まる郊外の開発は数十万坪の及ぶ大規模なものだった。それは広大な農地が新興住宅地へと転用されていくプロセスを経るという事実からすれば、必然的に土地をめぐる法的許認可、政治的利権、地主や不動業者の入り組んだ思惑と疑心暗鬼、土地買収とその価格をめぐる駆け引きと生々しい金銭的欲望がつきものであったはずだ。正史が語るきれいごとだけですまされるはずがない。
しかしそれらの詳しいディティールは開発の後に出現した新しい郊外住宅地の風景の中に埋めこまれ、関係者の死とともに忘却され、郷土史や地方史、及び開発に携わった鉄道会社などの社史にもわずかしか記録されず、近代史の溶暗の中に閉ざされていく。本連載87の徳富蘆花の『みみずのたはこと』といった証言が残されている事例は少ない。
だが夏目漱石の『三四郎』において、三四郎が上京し、どこでも所謂「普請中」の風景を見て驚くことに象徴されているように、明治大正のみならず、昭和戦前、戦後を通じて近代日本のベースとなる風景は土地開発をめぐるものだったのではないだろうか。それは人口増加、産業構造の転換、都市への人口集中と大都市の形成によって推進され、戦前の郊外住宅地の開発はその反映に他ならなかったし、また戦後の高度成長期を背景とする団地に始まる郊外化も同様であったと見なせよう。
しかしそれらの戦前と戦後が異なるのは、本連載や『〈郊外〉の誕生と死』でも取り上げてきたが、戦後は郊外をめぐって、はるかに多くの小説に加え、コミックや映画などが生み出されてきたことで、さらに様々なルポルタージュやノンフィクションを挙げることができる。その中にあって、ルポルタージュから小説の世界へと移行し、前者で真実を語れないことから、小説でそれを伝えようとして作家、しかも流行作家になった人物がいる。それは梶山季之で、彼の作品群は梶山の死後に隆盛を迎えるノンフィクションの先駆けにして範となったと思われる。私見によれば、自民党政治家と新幹線汚職をテーマとする『夢の超特急』は立花隆の『田中角栄研究』(講談社)、堤康次郎をモデルとした『悪人志願』は猪瀬直樹の『ミカドの肖像』『土地の神話』は(いずれも小学館)へと継承されていったと考えられるが、ここでは前者の『夢の超特急』に言及してみたい。
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梶山の著作の軌跡は梶山美那江編著『積乱雲』(季節社、一九九八年)に詳細にたどられているけれど、まず簡略に『夢の超特急』に至る彼の前史にふれておくべきだろう。一九五〇年代後半は、五六年の『週刊新潮』に始まる出版社系週刊誌ブームの時代で、各社から様々な週刊誌が創刊されていった。そうした週刊誌時代の到来の中で、梶山は巻頭記事を取材、執筆する「トップ屋」として、創刊から『週刊明星』に関わり、続けて『週刊文春』創刊にあたって、「トップ屋」グループを編成し、特集班の責任者として多くのルポルタージュを執筆していく。それらの五八年から六〇年にかけての梶山の「無署名ノン・フィクション」は『「トップ屋戦士」の記録』(季節社、一九八三年)にまとめられ、戦後と五〇年代のアクチュアルなレポートとして提出されている。
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そのような週刊誌の「トップ屋」としての取材や経験をふまえ、梶山は光文社の編集者だった種村季弘の依頼で、六二年にデビュー作の書き下ろし長編推理小説『黒の試走車』(カッパノベルス)を刊行する。『夢の超特急』もやはり書き下ろしで、その翌年十二月に上梓に至っている。ここで留意すべきは、モデルである東海道新幹線の開業が六四年十月なので、それよりも十ヵ月早く出版されていることだろう。後述するが、そこには梶山と光文社の双方に出版の覚悟のようなものが秘められていたのではないだろうか。
この小説における『夢の超特急』とは「東海道特急ライン」とされているが、同時代の読者のすべてが東海道新幹線のことだと思ったにちがいない。新幹線は日本の産業経済の動脈というべき東海道線の輸送難の解決、及び六四年の東京オリンピックのための国家プロジェクトとして建設が進められ、その予算は五八〇〇億円という巨額なもので、まさに日本の発展や高度成長を象徴する戦後の「夢の超特急」に他ならなかった。
その新幹線の建設のかたわらで、六一年の農業基本法、六二年の第一次全国総合開発計画に基づき、新産業都市と工業整備特別地域が制定され、従来の工業地帯とは異なる工業地域の大型開発が推進されていった。それが高度成長のインフラを形成し、戦後社会は風景、生活、家族などもトータルに含め、ドラスチックな変容を遂げていかざるをえなかったのである。それらのすべての表象が「夢の超特急」=東海道新幹線に集約されていたともいえる。その完成が迫っている中で、『夢の超特急』は書き下ろされ、出版されたことになるのだ。
しかもその『夢の超特急』のテーマこそは、戦後の高度成長の象徴たる東海道新幹線建設の背後に起きていた政治家と官僚による汚職という犯罪であり、それをあばいていくことがこの小説の目的にすえられているといっていい。『夢の超特急』での始まりの時代設定は一九五九年で、横浜市港北区の住宅事情と、菊名駅前の不動産業者の佐渡に関する話がイントロダクションとなっている。戦後の東京や横浜の人口膨張によって、横浜線と東横線が走る港北区も住宅地として注目され、かつては畑だった駅周辺も商店街が形成され、それとパラレルに宅地造成や分譲住宅事業、アパート建設が進められ、郊外住宅地へと変貌しつつあった。「東京都の都心の地価の暴騰と、都内の土地不足とは、自然、東横線の陽の当たらなかった地帯にも、都民の目を向けさせた。郊外の土地ブームが始まったのである」。それは菊名駅周辺も同様で、近隣の日吉に日本住宅公団が団地を建設したことも大きく影響していた。
その菊名の不動産業者佐渡の前に、大阪の東亜開発社長を名乗る中江雄吉が現われ、自分は建設大臣工藤陸郎の元秘書で、自動車工場用地のために二十万坪の土地を買いたいと申し出た。しかもその土地は三つの町を結んで、烏山川沿いに細長く帯状にというもので、農地法によって公共機関以外には売却できない田地も含まれていた。その買収資金八億円は三星銀行から調達し、佐渡の手数料は破格の坪当たり百円だった。佐渡がまとめ役の地主を選んで集めると、中江は彼らを一流料亭で接待し、当初の計画よりも高くはなったものの、買収は成就に至る。それは六〇年を迎えてのことだった。
このイントロダクションを受け、『夢の超特急』の時代は六二年に移り、ふたつのストーリーが交錯して進められていく。ひとつはルポライター桔梗が調査する美貌のBG田丸陽子の失踪事件、もうひとつは警視庁捜査第二課の多山刑事たちが追う「新幹線公団」の「東海道特急ライン」汚職である。後者の捜査から判明してきたのは、大阪の中江という男による「新神奈川駅」と「新淀川駅」の土地の買い占めで、それは公団が駅一帯の買収に着手する前だった。そのために公団は高値で用地買収するしかなかった。
一方で桔梗は陽子が勤めている新幹線公団秘書課に探りに入れる。すると彼女が三年前に辞めていたことを知り、その行方を追っているうちに、エプロン姿の陽子が六本木で買物をしていたという証言を得る。彼女は三鷹の自宅から公団ではなく、六本木のコーポラスに通い、公団総理事財津政義の愛人になっていたのである。しかも財津は憲民等幹事長で建設大臣工藤の娘婿だったことから、公団を牛耳る存在でもあった。また多山たちは彼女が東亜開発の発起人の一人だったことをつかむ。かくして桔梗と多山たちの調査と捜査が交差するところに、「夢の超特急」をめぐるふたつの新駅の土地買い占めの全貌が浮上してくる。
それは工藤―財津―中江という政界と国鉄を結ぶ人脈、憲民党―新幹線公団―三星銀行―東亜開発という公私にわたる様々な政党、団体、会社が絡み、巧妙に仕掛けられた疑獄事件に他ならなかった。これらのチャートに関して、『夢の超特急』の中には捜査二課が作成した「巻物」と呼ばれる捜査人物系統図にあたる「東海道特急ライン汚職関係図」までが収録され、さらに私鉄経営者や県人会の関与も書きこまれている。そしてこれらのルートを通じて新駅の最終決定地情報が流れ、事前の買い占めがなされ、公団の買収金額はそれだけで六〇〇億円に及んだ。「東海道特急ライン」の総工費は一九七二億円とされているので、その三分の一に近い金額がふたつの新駅の土地買収に費やされたことになる。梶山は「東海道特急ライン汚職関係図」に添えるような一文を挿入している。それは帯文に転用できるもので、『夢の超特急』にこめられた読者へのメッセージを示しているといえよう。「『東海道特急ライン』のコースと新駅候補地を、事前に的確にキャッチし、大阪で五万坪、横浜で十六万余坪も買い占めた悪人たち!」
しかし「新神奈川駅」用地は東亜開発への仮登記もなされず、公団に買収されたために、帳簿上では元の地主から買い上げたことになっていた。それゆえに中江の存在は見出せず、汚職を摘発する構図を描くことができない。しかもそれらの人脈を結ぶキーパーソンである田丸陽子は八丈島で行方不明となり、殺されていたのだ。その一方で、工藤のメキシコ親善使節団とともに、中江もブラジルへと国外脱出し、収賄の時効まで戻ってこないであろう。多山はその無念を、桔梗が田丸陽子事件を書くことに託し、『夢の超特急』は終わっている。
梶山は『夢の超特急』を収録した『梶山季之自選作品集』(7、集英社)に「著者あとがき」を付し、次のように記している。
(……)東海道新幹線の、用地買収にからむ黒い霧問題は、私がトップ屋の頃から噂されておりました。
しかし、確証がないために、警察畑も、検察畑も、そしてマスコミも手のつけようがなかったのです。
私は、弱腰ぶりに腹を建てて、私独自の方法で、数人の仲間と共に、この事件を洗いました。
そうして、小説と云うかたちで、読者に、この黒い霧事件を訴えようとしたのです。
ですが読者の方々の多くは、あくまで小説だ。架空の事件だとして、読み捨てられたようです。(中略)
しかし私個人としては、エミール・ゾラが、「ドレフュース事件」の弁護に当ったように、世間の関心を喚起したい気持から、消されるかも知れない危険を承知で、書いたのでした。(中略)
この小説の中に書かれている数字、そして人物構成は、たしかな筈です。(……)
さらに梶山は「小説という形に仮託して真実を世の人々に知らせよう」としたが、『夢の超特急』においては伝わらず、それ以後、「エンターテーメントな小説」を書く「戯作者としての道」を歩むことになった「思い出と、痛恨の深い作品」と述懐している。この述懐は明らかに大逆事件を前にしての永井荷風のポジションを意識しているといえよう。そして前述したこの作品を出版するに当たっての覚悟をも再認識できるのだ。
また私はここで挙げられているゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者兼編集者であるので、その第二巻『獲物の分け前』(伊藤桂子訳、論創社)などにおいて、ゾラが十九世紀後半のナポレオン3世の第二帝政期におけるオスマンのパリ改造計画、つまり再開発をテーマとし、それらにまつわる政治と利権、土地バブルの実態を描き出していることを承知している。
そしてあらためて、梶山のみならず、カッパノベルスに代表される所謂「社会派推理小説」の総体が、高度成長期の暗部を描き出した日本版「ルーゴン=マッカール叢書」のようなものではなかったかと認識させられるのである。