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古本夜話509 東方書院『昭和新纂国訳大蔵経』

『世界宗教大事典』によれば、大東出版社の『国訳一切経』と東方書院の『昭和新纂国訳大蔵経』はいずれも「漢訳大蔵経」の国訳ということになる。巻数は前者が百五十六巻、後者は四十八巻と異なるにしても、刊行開始はいずれも昭和三年である。これは円本時代の出版状況を抜きにしては語れないけれど、同種のシリーズが同時期に出版されていたのである。
世界宗教大事典 『昭和新纂国訳大蔵経』

『昭和新纂国訳大蔵経』と版元の東方書院、及びその編集者、経営者については本連載371「東方書院『浮世絵大成』と『仏教聖典講義大系』」、同373「大鳳閣書房『俳文学大系』、坂戸彌一郎、蘇武緑郎『花街風俗叢書』」で、ラフスケッチしておいた。だが新たに知った事実もあるので、ここでもう一度書いておきたい。

『昭和新纂国訳大蔵経』は昭和五十三年に名著普及会から復刻され、それにあたって次のような文言が付されている。
(復刻版)

 大正から昭和初期にかけて、数々の宗教書を出版した東方書院主・三井諦心(号 晶史)氏は、自身が僧侶の出身であるところから、まさにこの考え(仏教は日本人の思想、精神の骨格をなすものであるから、仏典は一部の学者や専門家のみのものであってはならず、広く国民大衆の間に流布してこそ、初めて本来の使命を全うするというもの―引用者注)によって、『大蔵経』の国訳に取り組まれた。そして数々の困難を乗り越えた末、それは『昭和新纂国訳大蔵経』として公刊されたのである。
 以来半世紀に近い歳月を経たが、その読みやすきに於いて、全文書き下し、総ふりがなつきの本書に勝る『大蔵経』は未だ現われていない。

確かに復刻の利用として挙げられている「読みやすき」「全文書き下し、総ふりがな」は他の『大蔵経』に見られぬもので、この文言を肯うにやぶさかではない。原本も携帯しやすい四六判であるし、それらの特質をフォローしている。それから三井が『大正新修大蔵経』の「会員名簿」にある田端の三井昌史で、おそらく晶史の誤植だと見なしていたが、「僧侶の出身」であることは初めて知る事実だった。ただ彼が「東方書院主」であるという指摘には留保せざるを得ない。名著普及会の復刻は奥付部分が復刻版用に差し替えられていて、真実を伝えていないように思われる。

手元にある東方書院の『昭和新纂国訳大蔵経』の第一回配本『大般涅槃経第一』(経典部第五巻)の奥付を示してみる。それは編纂者を同編輯新代表者三井晶史、発行者を株式会社東方書院代表者坂戸彌一郎とするもので、もちろん全冊を確認しているわけではないけれど、三井の立場は「編集長」と見ていいし、「東方書院主」は坂戸であることは明白である。それに収録の月報「東方」第一号の編輯発行印刷者も坂戸で、次のような「創刊の辞」も出されている。

 東方書院は宗教、思想に関する書籍の出版をモットーとして居ります。思想物は近年に至り講読率が高騰して頻りに良質の出版を見るに至りましたが、宗教物殊に仏教物は明治時代より出版率を低下しておりました。之れは神仏分離廃仏毀釈の結果でもありましたでせう。然るに近来思想に慰安する注意が日本文化の母胎たる仏教思想に注意さるゝに至り、延ては其の教理を探究さるゝの士多く当書院より出版する仏教に関する典籍の歓迎される所似も亦此処にあるのであらうと思ひます。殊に今回の昭和新纂国訳大蔵経の出版は御蔭を似つて三万部を超過しました。今日仏教に関する出版物であつて書店取扱ひに三万部以上を超過したものがありませうか、これは要するに仏教思想の勃興と、仏教に関する典籍の要求に融合したものであつて、東方書院としては仏教典籍出版に画期的方針を執つた結果であると自負して居ります。(後略)

この一文は内容と字句から考えても、経営者である坂戸のものと見なせるであろう。それならば、ここでいわれている「東方書院としては仏教典籍出版に画期的方針」とは何かということになる。それは編集の立場から見ると、「全文書き下し、総ふりがな」だが、ここでは坂戸の言であるから、流通販売といった営業方針と考えられる。それも奥付に表れていて、従来の予約出版につきものの「非買品」表記が消えていることに注目すべきだと思われる。『昭和新纂国訳大蔵経』も一冊一円の予約出版ではあるけれど、それは最初から三万部を想定した定価設定であり、従来であれば、千部、一冊三円以上なのだが、それを初版二万部を発行することにより、一冊一円としたのである。「三万部を超過」というのは誇大宣伝と見なすしかない。

それはどのような仕組みになっているかというと、「東方」の様々な文言をよく読むと、予約者という言葉はなく、その代わりに「書店」や「同業者」からの注文が強調されている。つまり初版二万部も予約者の数に基づいたものではなく、取次と書店からの注文部数を積み上げ、委託配本した部数を指しているのだろう。これらの詳細は明らかにされていないが、改造社の『現代日本文学全集』から始まった円本時代の予約出版は後半になるにしたがって、返品可能な委託配本へと移行していったようなのだ。東方書院はそれを「仏教典籍出版に画期的方針」として採用し、初版二万部という大部数をとりあえず撒くことを可能にしたといえるのではないだろうか。そしてそれが坂戸の「創刊の辞」に示された「東方書院主」の出版戦略だったことになる。また坂戸は大鳳閣書房の経営者でもあり、これも前述の本連載373を参照されたい。

さてその坂戸の近傍にいた「同編輯部代表者」三井晶史のことだが、これも前述の本連載371でトレースしておいたように、彼は高楠順次郎と関係のある人物で、新光社の「現代意訳仏教経典叢書」の編集者兼訳著者として、最初の顔を見せている。それから東方書院の『昭和新纂国訳大蔵経』『国文東方仏教叢書』、その後、誠文堂新光社の『仏教聖典講義大系』も手がけている。三井のプロフィルもまた明確ではないけれど、このような仏教書編集者としてのキャリアは特筆すべきもののように思われる。

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