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古本夜話791 河出書房『バルザック全集』と『セラフィタ』

 前回の河出書房の『新世界文学全集』の翻訳企画へと結実していく伏線は、それまでに刊行されていた、主としてフランス文学の個人全集などに胚胎していたのではないだろうか。

 その先駆けは昭和九年に刊行された『バルザック全集』だったように思われる。これは日本におけるバルザックの作品の初めてのまとまった翻訳であり、戦後の東京創元社の『バルザック全集』を始めとするいくつかの全集や叢書の範となったはずだ。
f:id:OdaMitsuo:20180515120726j:plain:h120(河出書房版) バルザック全集 (東京創元社版)

 そうした先陣としての翻訳刊行を告げるように、その装丁と造本はフランスの全集を踏襲したと思しき濃い緑に金色の紋章などをあしらったもので、一冊の豪華本としての見かけを備えている。装丁者の名前が記載されていないので、誰が担当したのか不明だけれど、まだこの時代にはそのような装丁が可能だったことになる。その上部にはLA COMÉDIE HUMAINE=「人間喜劇」と銘打たれ、この全集がバルザックの十九世紀前半のフランス社会を描く作品群を中心にしたことを伝えている。それらのこともあるし、少しばかり煩雑だが、前回の『新世界文学全集』と異なり、これまでリストアップされていないので、その全十六巻に及ぶ作品と訳者名を挙げておこう。

1『人間戯曲総序』(太宰施門訳)、『ゴリオ爺さん』(重野紹一郎、坂崎登訳)
2『ユルシュウル・ミルエ』(神部孝訳)、『アディユ』(新庄嘉章訳)
3『幻滅』(太宰施門、丸山和馬、森本久雄、宮本正清、工藤肅、大坪一訳)
4    〃
5『セザアル・ビロトオ』(芹沢光治良、新庄嘉章訳)
6『プチブルジョア』(芹沢光治良訳)
7『現代史の裏面』(和田顕太郎訳)、『無神論者の弥撒』(秋田滋訳)、『社会綱領』(山田珠樹、市原豊太訳)
8『暗黒事件』(小西茂也訳)、『捨てられた女』(新城和一訳)
9『木莬党』(小林龍雄訳)
10『農民』(水野亮訳)
11『村の司祭』(吉江喬松、恒川義夫訳)
12『麤皮』(山内義雄、鈴木健郎訳)
13『追放者』(河盛好蔵訳)、『ルイ・ランベエル』(豊島与志雄、蛯原徳雄訳)、『セラフィタ』(辰野隆、木田喜代治訳)
14『シヤベエル大佐』(堀口大学訳)、『コブセック』(内藤濯訳)、『知られざる傑作』(水野亮訳)、『偽りの愛人』(淀野隆三訳)、『職を止めたメルモツト』(前川堅市訳)
15『エーヴの娘』(武林無想庵訳)、『不老長寿の秘薬』(難波浩訳)、『フアチーノカーネ』(和田顕太郎訳)、『財布』(須川弥作訳)、『ピエール・グラスウ』(高山峻訳)、『こんと・どろらていく』より(神西清訳)
16『カトリーヌ・ド・メヂシス』(鈴木信太郎、渡辺一夫、川口篤、杉捷夫、鈴木健郎訳)  

  このうちの13を入手したのは半世紀ほど前のことで、かつて「バルザック『セラフィタ』の魅力」(『日本古書通信』、二〇一一年三月号所収)を書いているが、もう一度言及してみる。

 バルザックの『セラフィタ』という作品を知ったのは、澁澤龍彦の『夢の宇宙誌』(美術選書)の「アンドロギュヌスについて」という一章においてだった。そこで澁澤は『セラフィタ』が両性具有の理想的な最高天使を意味し、この小説がスウェーデンボルグの影響を受けた「アンドロギュヌス神話を中心テーマとした伝統的ヨーロッパ文学の、いわば最後の達成、最後の微妙な開花であった」と述べていた。後にこのような指摘がガストン・バシュラールやミルチャ・エリアーデに基づいていることを知るのだが、『セラフィタ』の邦訳の記載はなく、東京創元社の『バルザック全集』にも収録されていなかったのである。現在から見れば、信じられないかもしれないが、昭和四十年代までは邦訳の有無に関して、古本屋で見つけるまで不明だったことも事実なのである。
f:id:OdaMitsuo:20180515234825j:plain:h120(『夢の宇宙誌』)

 そのような時に早稲田の古本屋で、背は汚れていたが、『中篇集神秘の書』という一冊を発見した。よく見ると、背の上の部分に横書きで『バルザック全集』とあった。しかもその中には『セラフィタ』が収録されていて、扉の次にある挿絵はその小説の登場人物を描いたものだった。

 そしてこのノルウェイを舞台とする両性具有者の物語、あるいは天使論としての『セラフィタ』は、バルザックがヨーロッパの神秘思想のコアともされるスウェーデンボルグ神学の流れを「人間喜劇」に取り込んだもので、『ゴリオ爺さん』や『幻滅』とは異なるバルザックの幻視者としての奥深さを知らしめてくれた。それに『追放者』にあって、主人公のルイ・ランベエルはスウェーデンボルグの『天国と地獄』、すなわち本連載247などの『天界と地獄』を読んでいるのだ。

 それに付け加えておけば、昭和九年版の『バルザック全集』の一冊として『セラフィタ』を読んだことは僥倖だったと考えられる。その装丁と造本はまさに『中篇集神秘の書』にふさわしい仕上がりで、物語に見合っていたといえるからである。実は昭和十六年になって、第二次『バルザック全集』がそのままの構成で刊行されるのだが、それは判型も四六判で、上製といっても並製に近く、用紙も劣化し、装丁や造本からも、もはやアウラは失われてしまい、こちらで読んだとしたら、異なるイメージをもたらしたと思われるのだ。

 その後『セラフィタ』は昭和五十一年に国書刊行会の『世界幻想文学大系』に沢崎浩平による新訳が収録され、そちらで読まれていくようになった。
f:id:OdaMitsuo:20180515234034j:plain:h120(『セラフィタ』)

 また私も別のところで、バルザックの『幻滅』論(『ヨーロッパ本と書店の物語』所収)を書いていることを付記しておこう。
ヨーロッパ本と書店の物語


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