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古本夜話916 マリノウスキー『未開社会における犯罪と慣習』『原始民族の文化』『神話と社会』

 昭和四十二年に新泉社から復刊されたマリノウスキーの青山道夫訳『未開社会における犯罪と慣習』(「叢書名著の復興」6)に寄せた「解説」で、法社会学者の江守五夫は次のように始めている。
f:id:OdaMitsuo:20190413120352j:plain:h115 (『未開社会における犯罪と慣習』)

 ブロニスロゥ・カスミパル・マリノウスキー Bronislaw Kasper Malinowski は一八八四年四月七日、ポーランドのクラカウで、著名なスラヴ語学者を父にもって生れた。彼はヤン三世公立学校を卒えたのち、“東欧最古の大学”として誇り高いクラカウ大学に進み、一九〇八年に物理学と数学で学位を取得した。だが彼は病に罹り、これらの学業を続けることを断念せねばならなかった。丁度その頃、たまたま彼はフレーザー卿(Sir J.G.Frazer,1854-1941)の『金枝篇』(The Golden Bough)―それは当時まだ全三巻にすぎなかった―を読む機会を得た。それは彼の魂をすっかり魅了しつくしたのであって、この『金枝篇』との出遭いこそが彼を人類学の研究に進ませる契機となったのである。

 ここにも『金枝篇』の大いなる影響の下に出発した人類学者の一人がいる。ただ蛇足かもしれないが、この「全三巻」は第三巻まで出たところであろう。フレイザーがタイラーの『原始文化』を読んで人類学を志し、R・S・スミスの)『セム族の宗教』にも刺激され、『金枝篇』へと向かったように、マリノウスキーも『金枝篇』から始まっているのである。

f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h115  f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain セム族の宗教(『セム族の宗教』)

 私たちの世代にとってマリノウスキーは中央公論社の『世界の名著』59に収録された『西太平洋の遠洋航海者』(寺田和夫他訳)の著者で、同巻にはレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(川田順造訳)も併録されていたことも相乗し、その名前を覚えた。ところがほぼ同時に新泉社から復刊された前掲書と『未開人の性生活』(泉靖一他訳)のタイトルもあって、マリノウスキーの仕事が「未開」と「犯罪」と「性」の研究を示唆しているような印象を与えたことは否めない。
f:id:OdaMitsuo:20190413160526j:plain:h115 未開人の性生活

 しかしマリノウスキーの軌跡をたどってみると、その後ライプツィッヒ大学で本連載908のヴント教授などに師事し、一九一〇年に渡英し、ロンドン経済専門学校の大学院生、講師を経て、一三年に処女著作『オーストラリア原住民の家族』を発表する。続いて彼は一四年から一八年にかけて、ニューギニアのトロブリアンド諸島の現地調査に携わり、現地語を駆使し、原住民と生活をともにしてのもので、現在に至るまでのフィールドワークの範とされている。そうして提唱されたのが、これまでの文化の進化や伝播を通じての思弁的な歴史再構成の試みではなく、参与観察に基づくフィールドワークである。それによって、文化の有機的連関を立証するという機能主義を確立したとされる。その民族誌の代表的著作が、トロブリアンド諸島民のクラという儀礼的交換の制度に注視し、経済的活動と文化が結び付く地平を浮かび上がらせた『西太平洋の遠洋航海者』に他ならない。

 この著作は先述したように、戦後の翻訳だが、戦前にも前掲の復刊『未開社会における犯罪と慣習』(改造文庫、昭和十七年)だけでなく、松井了穏訳『原始民族の文化』(三笠書房、同十四年)、国分敬治訳『神話と社会』(創元社、同十六年)が出され、この二冊も手元にある。前者は三笠書房の「文化と技術叢書」の一冊としての刊行で、これはマリノウスキーの機能主義の民俗学を伝えようとして編まれたと推測される。 

 それもあってか、『原始民族の文化』は第一篇「原始社会の法律と習慣」、第二篇「咒術と科学と宗教と」、第三篇「原史的性生活の社会学と心理学」の三部仕立てとなっている。第一篇は青山訳の『未開社会における犯罪と慣習』に当たり、第二篇はジョージ・ニーダム編纂『科学、宗教と現実』に寄せた論文、第三篇は『原始心理における父』からの抽出とされる。松井はその前年に『原始心理に於ける父』(宗教と芸術社)を翻訳しているので、そこからセレクトした部分を『原始民族の文化』へと合流させたのであろう。松井に関しては唯物論研究会の関係者だと思われるが、プロフィルは判明していない。

 それは後者の『神話と社会』との国分啓治も同様である。だがこちらのほうは『原始民族の文化』のような訳者によるアンソロジーではなく、マリノウスキーの『原始心理における神話』の翻訳である。その冒頭には「ジェイムズ・フレイザー卿に捧げる言葉」が置かれ、一九二五年にリヴァプール大学で、フレイザー卿のために開催された講演の序詞で、この邦訳『神話と社会』がマリノウスキーによるフレイザー論にして『金枝篇』へのオマージュであることを知ることになる。彼はこの講演を『金枝篇』のための「トーテム的な経典」と呼び、その祝福のためにここに結集したとまで述べ、始めている。

 そうしてマリノウスキーは自らのトロブリアンド諸島のフィールドワークに基づき、その未開人の「民譚・炉辺の物語」(Tale)、「伝説」(Legend)、「神話」(Myth)を分析する。それから「神話」こそが伝統の本質、文化の連続性、老若間の関係、過去に対する人間の態度への機能的役割を果たすもので、あらゆる文化に不可欠な要素であり、しかもそれは不断に新生され、歴史的変化によって創造され、歴史的事実と必然的に結びつく。それゆえに「神話」は奇蹟を必要とする信仰、将来展望を要求する社会的状況、現在を肯う道徳的規制の「恒常的な副産物」と見なされる。そしてその新しい定義の「神話」は、他ならぬフレイザーの『金枝篇』の神話の祭儀的社会的機能の理論、呪術の研究に結びつき、マリノウスキーの機能主義的フィールドワークもその実証だとの結論に至るのである。

 ここにマリノウスキーがフレイザーの『金枝篇』の「霊魂」(mana)をそのまま引き継いだ人類学者であったことが宣言されていることになろう。


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