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古本夜話1020 筧克彦『神ながらの道』

 前回、岩野泡鳴が筧克彦の古神道に関する著作、沼津の御用邸での御前進講『神ながらの道』を参考にして、大正三年に『古神道大義』を書き上げ、翌年に敬文館から刊行したことにふれておいた。これは『泡鳴全集』の編集に当った大月隆仗の回想によるものだった。
f:id:OdaMitsuo:20200410144418j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200410112527j:plain:h120(『泡鳴全集』、国民図書版)

 だがその後、筧の『神ながらの道』を入手し、大月の回想の間違いを知ったので、ここで取り上げておきたい。その前にまず筧のプロフィルを示す。出典は『[現代日本]朝日人物事典』である。
[現代日本]朝日人物事典

 筧克彦 かけい・かつひこ 1872・12・28(明治5・11(ママ)・28)~1961・2・27 公法学者、神道思想家。長野県生まれ。1897(明治30)年東大法科卒。ドイツ留学、ギールケ・ディルタイに学ぶ。1900年東大助教授、03年教授となり、行政法、憲法、法理学、国法学担当。33(昭和8)年退官。のち諸大学講師をつとめる。キリスト教、仏教を学んだのち古神道にもとづく神ながらの道に帰依、穂積八束、上杉慎吉らの天皇中心国家主義に同調し、皇国精神の高揚に大きく貢献した。研究室に畳を敷き、講義の前に壇上で柏手を打って天地神明に報告する。電車のなかでも神社の前では脱帽敬礼して神ながらの道を日常的に実践するといったやりかたで有名。戦後は見るべき活動がなかったが、死去に際し政府は勲一等旭日大綬章を贈った。

 ここには『神ながらの道』への言及はないけれど、同書が筧の主著と見なしてかまわないだろう。菊判函入、六百八十ページ、六十の「付図」も含まれ、タイトルに見合う大著である。本扉を開くと、まずは皇后の二首が折り込み短冊、色紙のかたちで置かれ、その次のページで、次のような文言が発せられている。「此の書は紀元二千五百八十四年大正十三年二月二十六日より五月六日に至る間に八回に亙り沼津御用邸にて皇后陛下の御前に於て東京帝国大学教授法学博士筧克彦が進め奉りし講演の速記にして其の後同人をして補修せしめられしを爰に、命を拝して印刷に付せしめしものなり。」

 つまりここに明らかなように、泡鳴の『古神道大義』は大正四年の刊行だし、同九年に彼は鬼籍に入っているので、『神ながらの道』は参照していないことになる。念のために『日本近代文学大事典』の泡鳴の立項を見ると、『古神道大義』の解題があり、同書は正しくは『筧博士の古神道大義』で、全集収録の際に、この表記にあらためられたという。おそらく筧の『古神道大義』よりも、後年の『神ながらの道』の御前進講、及び鳴り物入りだったその出版プロジェクトが相俟って、大月の記憶の混同を生じさせたのではないだろうか。

 それに『神ながらの道』は筧のこれまでの古神道と皇国に関する集成であろう。そこでは神典として、「国家全一の製作」とされる『古事記』『日本紀』(『日本書紀』)『祝詞』、その補遺『古語拾遺』、「各地方の製作」である『諸国風土記』、「個人的製作」の『万葉集』が挙げられている。それらをベースとして、「皇国体、神社制度及神典の三者の相離れざるを示す」第一図が示され、それに「掛けまくもかし古き/天照大御神の大前を/伝つ
しみ敬ひをがみまつる」という柏手を伴う「おじぎの要点」と題する第二図が続いていく。天照大御神の中には万世一系の天皇も八百万の神も含まれているのだ。先の立項にあった筧の「神ながらの道を日常的に実践する」行為は、この第二図に起因しているのだろう。

 さらにこのすべてが円からなるチャート図は皇国曼陀羅のように変転、増殖していき、本体の四倍の折り込みとなる第五十二図に至っては、「高天原」「豊葦原」「根の国」という「三種世界の合一」が宣言されることになる。「天孫天降りにより三種の世界合一せるは、彌栄の一笑により天の石屋戸の内外合一せる所以を、更に徹底せしめたものといふべし。」との呪文的言葉が添えられて、この一冊全体がそのようにして成立している。

 本連載において、日本の近代に生じた様々な「妄想の共同体」的言説を取り上げてきたけれど、この筧の『神ながらの道』にしても、同様の思いを禁じ得ない。拙稿「由良哲次『民族国家と世界観』」(『古本屋散策』所収)で、西田幾多郎門下にして、ドイツ留学を経た由良がナチズムと神道をリンクさせる大東亜共栄圏アジテーターとなっていったことを既述しておいた。それは筧や由良だけではなかったのである。
古本屋散策

 それならば、この大正十五年一月刊行の『神ながらの道』はどのような経緯をたどり、出版されることになったのだろうか。幸いなことに入手した同書には投げ込みチラシ「『神ながらの道』頒布に当りて」がそのまま残されているので、その一端をうかがうことができる。その神ながらの道普及会名で出された声明をトレースしてみる。

 まず皇后が筧の進講を「特別の装幀に作らしめ、先づ官国弊社に御寄贈あらせ給ひ、又広く側近者に拝読せしめ給ふやう仰せ出され、下賜ありたる」。それは世上の悉知となり、「国民中その拝読を熱望するもの頗る多く、或は団体にしてその翻刻を願い出ずるもの(中略)数少からざらし」。それゆえに宮内省は内務省神社局に「その御蔵版を貸付して、この発行を許されたり。茲に於て、同志相識り当局許可の下に本会の成立を告げ、爾来三ケ月、本会は全国に亙りて購入希望者を募りたるに忽にして二万数千部の申込みを得、今やその印刷成り頒布の日に会せり」。

 その事情は詳らかでないけれど、神ながらの道普及会が「団体にしてその翻刻を」認可され、「忽にして二万数千部の申込みを得」たことになろう。奥付記載の「皇后宮職御蔵版」「内務省神社局発行」は投げ込みチラシの文言を裏づけていよう。ただ今ひとつ明確でないのは神ながらの道普及会のことで、それは東京市外渋谷氷川裏皇典講究所内とされているが、発行者名はない。それに加えて、検印のところには版権所有者としての「神ながらの道普及会理事長之認印」が押され、ここにも発行者名は認められない。

 宮内省や内務省との関係にしても、出版に際しては筧自身が絡んでいるはずだ。だが実価二円八十銭で二万部を超える一大出版プロジェクトだと見なせば、前回挙げた中塚栄次郎のような直販、外交出版業者の介在を考えるしかない。奥付に取次や書店を経由しての流通販売の気配は感じられないからだ。それに改造社の『現代日本文学全集』に始まる昭和円本時代を迎えようとしていたし、そうしたトレンドの中で、『神ながらの道』の出版も企画されていったように思われる。
f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h110(『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20200413115309j:plain:h120(『神ながらの道』復刻、日本公法)

 この一文を書いた後、浜松の時代舎に出かけたところ、筧の『古神道大義』(清水書店)を見つけてしまった。古書価は五千円だった。だがもはや購入し、読んで書く気力はなく、見送ってしまったことを付記しておく。

 
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