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古本夜話1046『シュルレアリスム簡約辞典』と瀧口修造『シュルレアリスムのために』

 前回のアンドレ・ブルトン、ポール・エリュアールの『シュルレアリスム簡約辞典』において、一九三八年の時点で、ひとりだけ立項されている日本人がいる。それは瀧口修造で、その立項を引いてみる。
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  TAKIGO(ママ)UCHI(Shuzo)瀧口修造―[1903-1979]、シュルレアリスムの詩人、作家。[1903年富山県生まれ、そのシュルレアリスム活動は、1927年にはじまる。1930年に『シュルレアリスムと絵画』を日本に紹介。シュルレアリスムのための戦闘的な活動で、1941年に憲兵(原文ノママ)に逮捕され、6ヵ月間投獄された。―ジョゼ・ピエール『シュルレアリスム』1968年刊による]

 これを補足すれば、瀧口は慶應大学英文科在学中に同人誌『山繭』に加わり、詩を発表し、同人の永井龍男や堀辰雄などと交友する。また英語講義を通じて西脇順三郎に魅せられ、上田敏雄や佐藤朔などとその自宅を訪れるようになり、主としてフランスのシュルレアリストの影響をうける。おそらく西脇たちとの関係で、『詩と詩論』にシュルレアリスムに関する論考を発表するようになり、それが本連載1028の「現代の芸術と批評叢書」のブルトンの『超現実主義と絵画』へとリンクしていったのであろう。それから前回既述しておいたように、山中散生とのコラボレーションで、「海外超現実主義作品展」や『ALBUM SURRÉALISTE』の企画や刊行にも携わるが、十六年にはシュルレアリスム運動とコミンテルンの関係を疑われ、特高刑事に連行、拘留されるが、起訴猶予となっている。これが立項の「憲兵云々」のところの実状である。

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 また立項に見える『シュルレアリスムと絵画』が『超現実主義と絵画』であることはいうまでもないが、この完訳の出現はそれから七十年近く待たなければならなかった。それは平成十年に人文書院から『シュルレアリスムと絵画』として、瀧口修造、巖谷国士監修、粟津則雄・巖谷国士・大岡信・松浦久輝・宮川淳訳で出された。その「解題」によれば、同書の原本は一九六五年刊行の『シュルレアリスムと絵画―増補改訂新版、一九二八-一九六五』で、ブルトンの晩年の大著にして、二十世紀の最も重要な芸術書のひとつとされる。
シュルレアリスムと絵画

 昭和五年=一九三〇年に厚生閣から刊行された瀧口訳『超現実主義と絵画』は、一九二八年のガリマール書店版『シュルレアリスムと絵画』で、これは山中散生『シュルレアリスム資料と回想』に見ることができる。また人文書院版のⅠの「シュルレアリスムと絵画」がそれにあたる。残念ながら瀧口訳は入手しておらず、未見のままでふれているのだが、巖谷によれば、それは「日本最初の、そして戦前唯一の『アンドレ・ブルトンの書物の邦訳』」、しかも、「大胆な邦訳」で、「第二次大戦前の文学・芸術運動に少なからぬ影響をおよぼした。瀧口修造はその後いくどか改訳を計画したが、結局ははたさずに没した」。しかしやはりガリマール書店から先の「増補改訂新版」が出されたことに呼応するように、昭和四十年代に人文書院で『アンドレ・ブルトン集成』が企画され、その中の一巻として全訳計画が立てられていた。その共訳者の一人である巖谷がそれを引き継ぎ、三十年後に完訳を刊行するに及んだのである。
f:id:OdaMitsuo:20200629103336j:plain:h120 (『アンドレ・ブルトン集成』)

 ただ七十年前に戻ると、巖谷がいうところの瀧口訳の「特異な日本語の冒険のうちに物質的イメージの輝きをたたえた詩的テキスト」が、「戦前の前衛的な芸術家や文学者たち、さらに一般の読者たちをも鼓舞する力をそなえていた」とされるけれど、それらを詳らかにしない。だがそれと併走した瀧口の軌跡は、これも昭和四十年代を迎え、明らかになっている。それは『シュルレアリスムのために』(せりか書房、昭和四十三年)の刊行によってであり、同書は瀧口が昭和五年から十五年までに書いたシュルレアリスム関連の文章を一本にまとめたもので、せりか書房の久保覚による探索の成果といえよう。久保に関しては拙稿「せりか書房と久保覚」(『古本屋散策』所収)を参照されたい。
f:id:OdaMitsuo:20200628112424j:plain:h115 古本屋散策

 これらの三十五の論稿の中でも、「ダダと超現実主義」「アルチュール・ランボー―小林秀雄訳『地獄の季節』」「詩の全体性―上田敏雄著『仮説の運動』」などが春山行夫と『詩と詩論』に絡んで興味深いのだが、ここでは「現代の美学的凝結―アルバム・シュルレアリスト緒言」と「シュルレアリスムの作家像―海外超現実主義作品展カタログのために」にふれてみたい。それらは前回取り上げた昭和十二年の「海外超現実主義作品展」の図録『アルバム・シュルレアリスト』(『みづゑ』臨時増刊号)と『海外超現実主義作品展目録』のために書かれたものだからである。
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 「現代の美学的凝結」はシュルレアリスムの国際的な拡がりと日本への具体的な登場を記念する一文のように始まっている。

 超現実主義はすでに一五年のもっとも印象的な歴史を刻印している。しかも今日、この運動はその発源地であるパリに在住する各国の芸術家のみの関心事ではなく、ほとんど世界各国の進歩的な芸術家によって追求されつつある。昨年、ロンドンにおける国際超現実主義展、ニューヨークにおけるダダ・超現実主義の画期的な綜合展等の成功はこの事実を最も力強く物語る最近の例である。日本においても、最近とくに絵画において執拗に追求されつつあることはいうまでもない。ただわが国の地理的、経済的な諸条件のため、海外の造形作品の紹介はしばしば困難に遭遇せざるをえない。今回『みづゑ』主催による紹介展は、資料のほか素描、水彩小品、版画、写真等に限られたとはいえ、各国の作家を内包するものであって、この綜合的な企図は、最初の有意義な示唆を与えるものと信ずる。

 そして「シュルレアリスムの作家像」においては具体的にピカソ、アルプ、デ・キリコ、エルンスト、ミロ、マッソンなどが紹介され、彼らのシュルレアリストとしての実践やスタイルが語られ、これらの二つの論稿が対となって、「海外超現実主義作品展」のための献花のようにして書かれていたことを伝えている。


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