出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1045 山中散生『シュルレアリスム資料と回想』とボン書店

 杉浦盛雄『名古屋地方詩史 』には『青騎士』の詩人として、井口蕉花、春山行夫、佐藤一英、棚夏針手に続いて、山中散生(ちるう)も紹介され、二編の詩も掲載されている。そのうちの『パラノイヤの空間』は戦後の作品だが、第一連を引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20200622111832j:plain:h120 

   火は点る
   橋の下の褐色のよどみ
   に ただよっている
   腐ったくらげの一箇の頭は 
   秋の哀しみを思はせる

 杉浦はこれらの詩を示した後で、山中の詩は夢幻的な映像を有し、軽妙な甘い哀感の特異な詩風を持つと評している。だがその一方で、鶴岡善久『超現実主義詩論』(思潮社)の言を引き、山中の特色は作品よりも「わが国におけるシュルレアリスムの正しい紹介者としての功績である」とも述べている。また馬場伸彦『周縁のモダニズム 』においても、春山に続き、「シュルレアリスムの受容 山中散生」と題されている。私は山中の詩に通じていないけれども、この特異な名前の人物に関しては同様の印象がある。それは昭和四十六年に美術出版社から山中の『シュルレアリスム資料と回想』という一冊が出されているからだ。
f:id:OdaMitsuo:20200627112935j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20200622113046p:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20200623211828j:plain:h120 ( 『シュルレアリスム資料と回想』)

 山中は明治三十八年愛知県に生まれ、名古屋高商在学中に、西脇順三郎の従弟である横部得三郎教授からフランス語とフランス文学の特講を受ける。そして『青騎士』を経て、昭和四年にシュルレアリスム誌『CINÉ』(シネ)を創刊し、ポール・エリュアールの詩を翻訳したことで、彼との文通も始まり、翌年に第九号まで出されたが、山中の上京によって廃刊となっている。彼はNHKに勤めていたようだが、上京して『詩と詩論』に加わったことで、春山を通じてボン書店との関係も生じたと思われる。昭和四年に春山ボン書店から詩集『シルク&ミルク』を刊行していた。

 そして昭和十年から《L’ÉCHANGE SURRÉALISTE》の出版計画が立ち上がっていく。『シュルレアリスム資料と回想』はその書影も示した上で、次のような「図版解説」を付している。

 山中散生編『レシャンジュシュルレアリスト』(一九三六年、東京、ボン書店版、一七×二四センチ)の表紙。下郷羊雄画。本書はポール・エリュアールの斡旋により、海外から直送されてきた資料(詩・エッセー・絵画・写真)を中心に編集されたもので、ブルトンほか五名の詩人、エルンストほか一〇名の画家の協力を得ている。

 その目次も掲載されているので、画家たちの名前は挙げられないけれど、ここに抄録しておく。アンドレ・ブルトン「文化擁護作家大会に於ける講演」(瀧口修造訳)、同「シュルレアリスムの位置」(山中散生訳)、ジゼール・プラシノス「武装」(柳亮訳)、ポール・エリュアール「詩的明証」(葦ノ澤鶴蔵訳)、瀧口修造「七つの詩」、「山中散生シュルレアリスム思想の国際化」などである。

 この出版に続いて、昭和十二年六月から七月にかけて、『みづゑ』主宰で東京、京都、大阪、名古屋で順次「海外超現実主義作品展」が開かれ、その主たる出品作品を収録した瀧口、山中編《ALBUM SURRÉALISTE》(『みづゑ』臨時増刊号)も出された。《L’ÉCHANGE SURRÉALISTE》の出版は、日本でシュルレアリスムが受け入れられていることを知らしめたが、こちらの出版も六〇点の原画を含んでいたこともあり、シュルレアリスムの総合画集としては世界的に見ても、最も内容が充実していたとされる。それゆえにブルトンとエリュアール『シュルレアリスム簡約辞典』(江原順編訳、現代思潮社)の「シュルレアリスム年表1916-1956年」において、これらのふたつの出版が記載されることになったのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20200627143244j:plain:h115

 またこれらの出版や展覧会と併走するように、ボン書店から昭和十一年にブルトン、エリュアール共著、山中訳『童貞女受胎』が、著者たちの日本語版序文を添えて刊行される。『シュルレアリスム資料と回想』にはその原著《L’Immaculée Conception》 の書影とそのフランス語序文が『処女懐胎』として掲載されているが、ミシヨオの『フランス現代文学の思想的対立』で、『聖女受胎』として紹介されていた。だが抄訳だったにせよ、その前年に翻訳が出ていたことになる。前述の『周縁のモダニズム 』『童貞女受胎』の名著刊行会の複刻版の書影を示してから、その「恋愛」と題された詩編の一部を引用し、同書が言論思想、及び風俗取締りの対象として内務省の検閲を受け、即日発禁処分となったと伝えている。しかもそれが百部という限定出版であったことも。それはボン書店のような詩集専門の小出版社にどのような波紋をもたらしたのであろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200627144114j:plain:h115(『童貞女受胎』) f:id:OdaMitsuo:20200620160612j:plain:h120 フランス現代文学の思想的対立

 山中はボン書店から処女詩集『火串戯(ひあそび)』、編著『超現実主義の交流』なども出版している。かつて拙稿「廣田萬壽夫の詩集『異邪児』をめぐって」(『古本探究Ⅱ』所収)において、春山行夫の『詩人の手帖』(河出書房)の証言と内堀弘の『ボン書店の幻 』(白地社、後にちくま文庫)の探索をリンクさせ、鳥羽茂のポルトレをたどったことがあった。『異邪児』という詩集はボン書店の前身の鳥羽印刷所から刊行した一冊だったが、それを通じての鳥羽とボン書店への道筋をつかむことはできなかった。それゆえにボン書店と詩人たちの関係は、出版史の溶暗に埋れたままにあるというしかない。
f:id:OdaMitsuo:20200627163440p:plain:h120(JOUER AU FEU 『火串戯』) 古本探究2 ボン書店の幻


  [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら