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古本夜話1084 『秋田風俗問状答』とネフスキー『月と不死』

 もう一編、中山太郎編著『校註諸国風俗問状答』に関連して書いておきたい。それは中山がその序文にあたるものとして、冒頭に「本書を先づ異郷の学友/ニコライ・ネフスキー氏に御目にかけ候」という一文を掲げているからだ。

f:id:OdaMitsuo:20201015152641j:plain:h115(『校註諸国風俗問状答』)

 そこで中山はネフスキーとの出会いを述べているので、それを要約してみる。大正四年の春、親しい本郷春木町の吉川古書籍店に出かけると、ロシアの留学生の若い二人連れがよく店に来て、日本の歴史と風俗に精しい人と交際したいという話が出る。それを聞いて中山が外国語を話せないからダメだと応じた。ところが二人とも日本語が上手で、どんな入り組んだ話もできるらしかった。それがきっかけとなって、中山が本郷駒込林町の寄宿先を訪ねた。そこにはネフスキーとコンラツトが生活していて、ネフスキーはロシアの東洋語学校で、日本語と支那語を修め、卒論は「李大白の人生観」だと話した。その時ネフスキーとコンラツトは日本の漢学の先生から荘子の講義を聴いていたのである。
 
 後述するネフスキーの岡正雄編『月と不死』(平凡社東洋文庫)の口絵写真に「高橋天民氏に漢学を学ぶネフスキー、コンラド」の収録がある。ちなみにコンラドはネフスキーとペテルブルグ大学の同窓で、後に東洋学者としてモスクワ大学教授となっている。

月と不死

 このようにして中山とネフスキーは親しく交際し、茨城の村落へと古い風俗習慣の探索に出かけたりもした。そうしているうちに、ロシア革命が起き、仕送りも途絶えてしまったが、ネフスキーは小樽高商、大阪外語学校講師の職を得て、アイヌ語、琉球語、台湾語を研究し、琉球や台湾にも渡航した。その後昭和四年に帰国したが、それから十年も音信不通で、その間のソ連事情からすると、健在か否かも判然としない。そこで『校註諸国風俗問状答』をネフスキーに捧げ、送るつもりだが、はたして読んでもらえるかどうか心許ない次第だと。だが中山は「風俗問状答に関する限り、私には忘られぬ憶い出」があるとし、「解題」のところで、そのことに言及しているので、ここに引いてみる。

 大正四年の春三月に、ロシヤから我国に留学したニコライ・ネフスキー氏に、私は不図した事から知り合ひとなり、殆んど十日をき廿日をきに面談し厚誼を結ぶうち、私から当時、貴族院書記官長の柳田国男先生に御紹介申上げ、次で金田一京助氏に、折口信夫氏を始め、故山中共古翁、故佐々木喜善氏などにも紹介し、ネ氏は是等の先哲や益友により、我国の言語や民俗を研究し見聞を広めた。(中略)
 斯くて大正六年の春と記憶して居るが、或日、ネ氏は一冊のノートブックを私に示し、これは柳田先生から借覧した「秋田風俗問状答」を自分で克明に謄写したものであると語られた。これぞ私が始めて問状答なるものゝ存在を知り、且つ此の書の民俗学的価値の多大なることを併せ知つたのである。(後略)

 ここで、『秋田風俗問状答』を通じて、柳田、ネフスキー、中山がつながり、中山をして編著『校註諸国風俗問状答』の出版に至るのであり、確かにそれまでに二十五年を要したことになる。

 そのかたわらにネフスキーの『月と不死』、及び加藤九祚による評伝『天の蛇』(河出書房新社)を置けば、ネフスキーの日本における民俗、民族学研究とその生涯を浮かび上がらせることができよう。また本探索に引きつければ、「月と不死」などの論稿は『近代出版史探索Ⅴ』935の『民族』に発表され、同誌の編集者は同936の岡正雄で、『月と不死』の編者でもある。それに『近代出版史探索Ⅲ』422の『東海道中膝栗毛輪講』にネフスキーが参加していたのは、同411の山中共古の誘いによるのだろう。それらの他にもネフスキーは柳田、折口、中山による『播磨風土記』や『続日本紀』の輪講にも出ていたようだ。

天の蛇 近代出版史探索Ⅲ

 それらをトータルして考えると、ネフスキーは日本民俗学、民族学の誕生しつつある磁場の只中に、まさしく岡正雄のいうところの「異人」として加わっていたことになろう。そうしていち早く『秋田風俗問状答』に注視を向け、中山へとの伝承の役割を果たしたといえるし、それが『校註諸国風俗問状答』に結実するに至ったのである。そうした意味において、『秋田風俗問状答』は「異人」によってあらためて発見された民俗誌といっていいかもしれない。

 『校註諸国風俗問状答』の口絵写真には十枚の『秋田風俗問状答』の挿画が掲載され、その「道祖神祭」「歳の神祭」「歳の神祭の船」「七夕竿燈」、そこに描かれた座頭、万歳などの姿は印象的で、『秋田風俗問状答』と照応させると興味はさらに募るばかりだ。おそらくネフスキーや中山にしても、それらに導かれるようにして、『秋田風俗問状答』の世界へと引きこまれていったのであろう。

 なお平成二十八年になって、『秋田風俗問状答』は金森正也による影印版、翻刻、現代語訳が無明舎から刊行されている。

秋田風俗問状答(無明舎版)


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