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古本夜話1085 三角寛『縛られた女たち』

 少し飛んでしまったが、本探索1067で、仮名垣魯文『高橋阿伝夜刃譚』、同1068で久保田彦作『鳥追阿松海上新話』といった所謂「毒婦物」に続けてふれたのは、最近になって三角寛の『縛られた女たち』を偶然に入手したこと、また三角のサンカ小説にしても、江戸時代からの「毒婦物」の系譜上に成立したのではないかと思ったからである。

高橋阿伝夜刃譚(『高橋阿伝夜刃譚』) 鳥追阿松海上新話(『鳥追阿松海上新話』国文学研究資料館、リプリント版)

 同書は大日本雄弁会講談社(以下講談社)が昭和十四年八月初版、十五年十月十一版として刊行したもので、発行者は高木義賢となっている。ちなみに高木の妻は野間清治夫人左衛の妹で、彼は講談社の経理担当版だったが、昭和十三年に野間とその息子の恒が続けて亡くなり、左衛が三代目社長に就任したために、発行者にすえられたのであろう。

 それはひとまずおいて、三角の『縛られた女たち』の巻末広告には『山窩血笑記』や『裾野の山窩』も見えているが、同書は「国境の女」「笛吹殺人鬼」「蠍のお美智」「牧師の娘」「尼僧と幽霊」「嬰児を盗んだ女」の六編からなる中短編集であり、『近代出版史探索Ⅴ』979などのサンカ小説集ではない。「序」にあたる三角の「『縛られた女たち』に就いて」によれば、これらは講談社の『講談倶楽部』や『富士』(大正五年創刊、『面白倶楽部』を昭和三年に改題)などに掲載された作品で、塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」13)で語られている「倶楽部雑誌」から生み出された作品群となる。三角はサンカ小説を送り出す一方で、このような「昭和毒婦伝」の系列に属する作品も書き続けていたのである。

f:id:OdaMitsuo:20191203140826j:plain:h115(『山窩血笑記』)倶楽部雑誌探究

 また三角はそこで、「過去十年ばかりの間に、私はざっと三千件に近い犯罪を見たり聞いたりしてきた」し、「由来、犯罪の陰には女あり、と云はれてゐる。正しくそのとほりだ。男の犯罪の裏には必ず女があり、女の犯罪の裏には必ず男がある」と述べている。実際に『縛られた女たち』はそれぞれの刑事たちが物語る「犯罪の陰には女あり」という実話物語に他ならないだろう。

 それは冒頭の中編「国境の女」に集約造型されていよう。この中編は三角のサンカ小説が昭和四年の本探索1007などの「説教強盗」に端を発していたように、その最中に起こった事件とされる。そこには欧州大戦=第一次世界大戦と日本軍による青島攻略、及びシベリア出兵も絡んで、タイトルにある「国境の女」の個人史が語られていく。だがそれは物語形式からいえば、刑事によるナラティヴだが、作者と女を重ねると、まさに三角的バイアスを有する「実話読物」となろう。

 その発端は「説教強盗」のための非常警戒で、二人の刑事が練馬方面で張り込み中に起きた。その際に刑事は最近建てられてばかりのロシア式洋館に住む歌川春枝という女がピストルを持っているという話を聞かされる。その家には「ルパシカとか云ふ、社会主義者の着るみたいな、変な着物を着た男だの、支那服を着た女などが、しよつちゆう出たり這入つたりし」ていて、「共産党ぢやありません?」。刑事もいう。「説教強盗も大切だが、共産党は伝染病より危険率が高いからなあ」と。また共産党員が「赤痢病者」のメタファーで語られてもいる。

 そして刑事たちの内偵によって、春枝が共産党員ならぬ「阿片密輸の首魁」だと判明する。その内縁の夫の柴田は通称「シベリヤ勇」と呼ばれている正体の怪しい人物で、早くからウラジオストックに渡り、木材や漁業などのブローカー会社に勤めた後、北支に向かい、北京や天津を浮浪しているうちに密輸を覚え、同じくウラジオストックに密航してきた春枝と内縁関係を結び、内地に戻り、阿片の密輸をしていたのである。

 二人の刑事は検挙するために、そのロシア式洋館に踏みこみ、「桃色地に、白牡丹を大きく浮かしたナイトシヤート(ママ)一枚」の春枝の部屋に入る。

 その部屋は十畳ばかりの洋間で、ベッドは大型のダブルベッド。贅沢な、色彩のあでやかな布団がふんはりとかゝつてゐました。
 その他の部屋の模様は、北側にロシア式の薪を焚く大型ストーブがあつて、火があかゝゝと燃え、その上の棚にはロシアの酒や支那の酒が十四五程並べてあつて、銀装のコツプなど按排よく並んでゐました。

 ところがそのベッドの下は秘密の地下室となっていて、刑事と春枝たちはそこに転落してしまう。謎の地下室にはシベリヤ勇や「チヤンコロ」=支那人の用心棒も潜んでいたのである。それでも刑事たちは阿片中毒の春枝たちの引致と阿片などの押収に成功し、留置場送りにしたのである。

 すると阿片の切れた春枝は狂乱し、「阿片を持つて来い」と騒ぎ、禁断症状の中で「国境戻りの春枝を知らないのかア」、「シベリヤの雪の中を、白い馬に乗つて、コサツクの騎兵を追つかけた春枝を知らないか」と叫び続けたのである。仕方なく、刑事たちは彼女に阿片を吸わせ、陶然となったところに署長が現われて言う。「×××租界のお有名な阿片窟で、博奕はやるし、裸踊りはやるし、そこにゐる女は各国の女たちだ。こゝに一度足を踏み込んだが最後、もう駄目だ。この女もそこにゐたらしい。よく調べて見給へ」と。

 それを聞いて、春枝は最初のウラジオストック行きから上海の「地獄と天国をチャンポンにしたところ」に至る自らの話を語り始める。それはこの「国境の女」の後半の物語として展開されていくのである。まさに「国境の女」を始めとして、ひとりの「毒婦」の「実話読物」のように。

 これらの全六編は刑事が語る話を著者が聞く形式によって構成され、その結果、警察と新聞ジャーナリズムがコラボするかたちで、昭和初期の時代表象が造型され、監視システムも張り巡らされていたことを垣間見せている。

 それはまず「説教強盗」、続いて「共産党」、それから建築様式や服装に見えるロシアや支那といったコード、それに「国境」を越える女が加わり、上海の阿片窟、阿片密輸という犯罪へとリンクしていく。ここにサンカたちを召喚すれば、ただちにサンカ小説が誕生するだろうし、そのようにして三角はサンカ小説家となったのであろう。しかしその根源にあるのは江戸時代からの「毒婦」物語の継承者としてで、その「毒婦」として、サンカの女たちも造型したことに尽きるように思われる。

 なお「国境の女」は「阿片窟の女」(『昭和妖婦伝』所収、新潮社、昭和七年)の再話と見なしていいし、これも同じ木村刑事の語るものである。同書は同じタイトルで、現代書館の『昭和妖婦伝』第九巻に収録されている。
昭和妖婦伝


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