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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1090 春陽堂と尾崎紅葉『金色夜叉』

 前回のように、明治二十五年の黙阿弥「狂言百種」第三号と同二十六年の村上浪六『深見笠』の奥付裏の春陽堂の出版目録を見ていると、明治二十年代の近代文学が春陽堂とともに歩んできたことをあらためて実感してしまう。

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 もちろんその背景にあるのは明治二十年代における近代文学の誕生だが、春陽堂にとっては『近代出版史探索』179の文芸誌『新小説』の明治二十二年の創刊も重なっているはずだ。第一期は主として須藤南翠による編集で、二十三年には休刊となった。だが二十九年には復刊され、そこに春陽堂から小説を刊行していた尾崎紅葉を始めとし、門下の四天王の小栗風葉、泉鏡花、徳田秋声、柳川春葉たちも加わっていくのである。そのようにして刊行された明治二十年代から末期にかけての小説叢書、合著などを挙げてみる。
近代出版史探索

1「新作十二番」  全八巻  明治二十三年
2「聚芳十種」   全十巻    〃
3「文学世界」   全十二巻 明治二十四年
4『後の月かげ』  合著      〃
5「探偵小説」  全二十六巻 明治二十五年
6『学園花壇』  合著    明治二十七年
7「小説百家選」  全十五巻   〃
8『五調子』    合著    明治二十八年
9『籠まくら』   〃     明治二十九年
10「春陽文庫」  全十巻  明治三十年
11『春すだれ』  合著    明治三十四年
12「袖珍小説」  全五巻  明治三十九年
13『玉琴』    合著    明治四十一年
14「現代文芸叢書」 全四十五巻 明治四十四年

 これらは『日本近代文学大事典』第六巻の「叢書・文学全集・合著集総覧」の「明治期」からの抽出だが、最多の博文館の十七種に対して、春陽堂はその次の十四種となる。1から7までは先のふたつの巻末出版目録にも掲載がある。ただやはりそこに前々回の「狂言百種」、饗庭篁村の『小説むら竹』全五集、幸堂得知の『大通世界』全三巻、さらに『春陽堂書店発行図書目録(1879年~1988年)』からシリーズや叢書らしきものを加えれば、ほぼ博文館の十七種と伍しているとわかる。したがって春陽堂が明治二十年代には近代出版業界の雄の博文館と並ぶ文芸書出版社だったことが了承されるだろう。そうした動向を「叢書」などで追ってみると、ようやく明治三十年代になって、新潮社の前身の新声社が台頭してくるのもわかる。

f:id:OdaMitsuo:20201029112936j:plain:h120(『春陽堂書店発行図書目録(1879年~1988年)』)

 それだけでなく、『春陽堂書店発行図書目録』とは異なる意味で、先のふたつの出版目録は春陽堂の創業からの出版記録として生々しい。そこに大きく見えている文芸書以外の出版物を挙げてみる。松島剛『内外地図集覧』『近世地理学』は中等教育教科用書、大島孝造『数学五千題』などは小学校教科及教員参考用書、訳書『近世化学』は中学校師範学校教科書、『古今名誉実録』全十巻は児童の教導書、谷口吉太郎纂訳『通俗病理問答』はまさに通俗医学書、橋爪貫一訳『男女交合新論』、及び『通俗男女自衛論』は『近代出版史探索』48などの通俗性欲書の走りであろう。

 また『同目録』を追っていけば、さらに創業期における春陽堂の出版物の多様性からして、異なる顔が表出してくるだろう。そうした意味で、山田俊治「初期春陽堂の研究―東京芝新橋書林の時代まで」(『日本近代文学館年誌資料探索』15所収)は実に興味深い。だがここではその細心な研究に踏みこまず、創業者の和田篤太郎を簡略な『出版人物事典』から引いてみる。

 [和田篤太郎 わだ・とくたろう]一八五七~一八九九(安政四~明治三三)春陽堂書店創業者。岐阜県生まれ。一六歳で上京、巡査になり西南戦争にも従軍するが、書籍の行商をはじめ、一八七八年(明治一一)芝新梅田町に春陽堂書店を創業。出版にも乗り出し盛んに翻訳物を手がけた。明治文壇の隆盛に伴い、八七年(明治三一)から刊行された尾崎紅葉の『金色夜叉』は大ベストセラーになった。小栗風葉『魔風恋風』、幸田露伴『五重塔』、坪内逍遥『桐一葉』など後世に残る名作も多く出版した。八九年(明治二二)創刊の『新小説』は文壇の登龍門となった。東京書籍出版営業者組合の結成には創立委員として参画、協議員、評議員をつとめた。

 これを『同目録』によって補足すると、春陽堂は明治十二年の『四則応用二百五十題』と『和英仏度量比較表』の二冊の出版から始まり、十三年は法律書、十四年は警察関係書などを刊行し、まだ文芸書版元のイメージは生じていない。おそらく明治十年代後半にあって、内田魯庵が「銀座繁盛記」(『読書放浪』所収、平凡社東洋文庫)で証言しているように、「春陽堂は芝の今入町の雑誌店で、先代鷹城が帳場格子の中で小さな出版をして小遣取をしていた」時代に当たるのだろう。先の山田の論稿が浮かび上がらせているのはこの時代の春陽堂である。また春陽堂も含めたこの時代については拙稿「明治前期の書店と出版社」(『書店の近代』所収)を参照されたい。

読書放浪  書店の近代

 さて春陽堂の明治二十年代については前述しているので、ここでは和田の立項にある紅葉の『金色夜叉』を取り上げてみたい。紅葉に関しては『近代出版史探索』47で『我楽多文庫』、同166,167で巌谷小波と小栗風葉の『金色夜叉』にまつわる話、『近代出版史探索Ⅴ』835で三つの『紅葉全集』にふれているが、紅葉の『金色夜叉』にはダイレクトに言及していないからだ。それに日本近代文学館の復刻だが、春陽堂の『金色夜叉』全五冊が手元にある。

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 これは菊判上製で、明治三十一年七月から三十六年六月にかけて刊行されている。読売新聞に同三十年から三十五年まで断続連載されたもので、それとパラレルに一冊ずつ出版である。明治二十年代の春陽堂の文芸書が和本仕立てだったことを見てきたが、『金色夜叉』は春陽堂の造本の一定の完成を彷彿とさせる。それは十年に及ぶ春陽堂と紅葉の関係、文壇の大家にして社会的名士ともなった紅葉にふさわしい装幀のようにも映る。前、中、後編の三冊はジャケットに包まれ、「近来絶無之書」にして「美本共四冊」と謳われている。

 しかもこれも拙稿「尾崎紅葉と丸善」(『書店の近代』所収)で既述しているように、五冊目の『続々金色夜叉』が出された頃、丸善に向かい、「冥途への好い土産」として、『センチュリイ大字典』を買っているのだ。それを内田魯庵は『新編思い出す人々』(岩波文庫)で、「自分の死期の迫ってるのを十分知りながら余り豊かでない財嚢から高価な辞典を買ふことを少しも惜しまなかった紅葉の最後の逸事」だと述べている。その三ヵ月後の十月に紅葉は鬼籍に入った。

f:id:OdaMitsuo:20201029113550j:plain:h115 新編思い出す人々

 だがここで現在から見れば、少しばかり奇異に感じるかもしれない。この時代に紅葉は文壇の大家にして社会的名士であり、しかも『金色夜叉』というベストセラーの著者だった。「高価な辞典」といっても、余裕をもって買えるはずではないかと。しかしそうした紅葉にしても、この五冊の奥付が物語っているように、印税は生じない仕組みになっていたのである。この事実については前回、前々回と続けて言及してきたので、ここでは繰り返さない。諒とされたい。


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