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古本夜話1123 松村英一『田園短歌読本』と海南書房

 前回の紅玉堂書店の「新釈和歌叢書」の著者に松村英一がいて、同じく彼は『歌集やますげ』『現代一万歌集』も上梓し、「新歌壇の中堅作家」、『短歌雑誌』の編集者、寄稿者の一人であったことを既述しておいた。

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 その松村が昭和十七年に海南書房から刊行した『田園短歌読本』も出てきたので、『日本近代文学大事典』で引いたところ、写真入りで一ページ半近くに及ぶ立項がなされていた。思いがけずに長いものゆえ、ラフスケッチ的に要約してみる。松村は明治二十二年東京に生まれ、森集画堂という錦絵商に小僧奉公する。十五歳の時に金港堂の雑誌『少年界』の投稿欄で半田良平、植松壽樹と知り合い、また『電報新聞』の窪田空穂選歌欄に投書したことで、窪田を中心とする十月会を結成し、大正二年に歌集『春かへる日に』(十月会)を上梓する。翌年窪田が創刊した文芸雑誌『国民文学』の編集に携わり、六年には読売新聞婦人部記者となり、前回ふれたように、半田や尾山篤二郎たちとともに『短歌雑誌』の編集にも関わった。

f:id:OdaMitsuo:20210122105155j:plain:h110(『田園短歌読本』)

 『短歌雑誌』との関係によって、松村たちが紅玉堂書店から著書を刊行するようになった経緯と事情が了解できる。また松村の場合、それらの編集経験をふまえた『改選現代短歌用語辞典』、さらに『現代一万歌集』『やますげ』の出版へと結びついていったと考えられる。その一方で、『短歌雑誌』において、投書欄の選歌に自ら当たり、多くの俊英を育てたのは松村の忘れてはならない功績だとされる。それもあって、大日本歌人協会の理事に就任し、実質的な運営者となっていったのであろう。

 そのような松村の軌跡に基づき、『田園短歌読本』も編まれたと思われる。「田園短歌」とは松村も最初に述べているように、「農村短歌」のことをさしている。『近代出版史探索』183で、春陽堂の農民文芸雑誌『農民文芸十六講』、同184で文教書院の和田伝編『名作選集日本田園文学』を取り上げているけれど、「田園短歌」にはふれてこなかった。大東亜戦争下において、「農民文芸」としての「農村短歌」にもスポットが当てられ始め、このような「読本」の刊行を見ることになったのだろうか。

近代出版史探索

 発行者を吉澤哲とする『田園短歌読本』の初版は三千部で、その奥付裏には和田伝の農村小説『ここに泉涌く』の一ページ広告が見える。海南書房はここでしか目にしていないが、吉澤も『国民文学』や大日本歌人協会、あるいは社名からして、政治家で歌人の下村海南の関係者かもしれない。

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 それらはともかく、「後記」で松村自身が率直に述べているが、「私は都会で育つた。従つて農村に対する知識に乏しく」、「農村短歌を評釈することは、私は適任でない」という自覚の下に、この「読本」は編まれている。それもあって、松村は『古事記』『万葉集』、及び平安期から徳川時代までの「田園短歌」をたどり、それが農村に取材した傍観者の歌、農村自身の中から生まれた実践者の歌に選別できるとして、次のようにいっている。

 然し農村短歌を大観して、若し現代のそれに著名な現象として何を掲ぐべきかとするならば、私は躊躇なく農村自身の中から生み出された農村短歌だと指摘するであらう。読者も作者もあることに馴れて注意する機会を持たぬやうだが、さういふ作品が出現したのは歴史的に見て極めて新しいことであるからである。短歌が一般庶民の手に移つたと言はれてゐる明治時代にしても、恐らく初期の間はかうした現象は見ることが出来なかつたと想像される。要するに短歌が一般に浸潤したと言つても、結局は矢張り教養ある一部の階級にとどまり、農民にまで薫染する力がなかつたのではないかと思はれる。事実農村短歌らしいものが現れたのは明治も後期に近い頃で、農村出身者が歌人として立つに及んで初めて作品を見ることが出来たのである。(中略)実に大きな変化であり、驚くべき事実としなければならない。

 ただここで留意しなければならないのは、「農村短歌らしきもの」は「農村出身者が歌人として立つに及んで初めて作品を見る」と断わっていることだ。それは本探索1095.1096の長塚節などを想定しているのだろう。実際に節の「ゆくりなく拗切りてみつる蠶豆の青臭くして懷しきかも」が評釈の一首として挙がっている。だが現実的には松村の言を借りれば、「医者が医者の歌を詠」むように、農民が農民の歌を詠むことで、「農村短歌」は出現していないということになる。したがって、ここに収録、評釈されている「農村短歌」は傍観者の歌が大半であると推定される。またそれらの歌は改造社の『新万葉集』、『支那事変歌集・銃後篇』から選ばれたもので、大東亜戦争下の自給自足体制と食糧の増産計画によって、農村が再認識される必要から、「農村短歌」=「田園短歌」というアイテムが仕立て上げられたといえるかもしれない。そこに評釈者としての松村も動員され、出版助成金付きの『田園短歌読本』なる一冊が送り出されたと解釈することもできる。

f:id:OdaMitsuo:20210123125911j:plain:h120(『新万葉集』) f:id:OdaMitsuo:20210123113218j:plain:h120

 戦後における松永伍一の『日本農民詩史』(法政大学出版局)も「詩史」であって、「短歌史」ではない。また家の光協会の『土とふるさとの文学全集』第14巻が「大地にうたう」となっているにもかかわらず、この巻すべてが詩で占められ、「農民短歌」「田園短歌」は一首たりともない。ということは「農村短歌」=「田園短歌」も大東亜戦争下の幻だったことになろう。

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