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古本夜話1129 白井光太郎、鈴木眞海、『頭註国訳本草綱目』

 『春陽堂書店発行図書総目録』を繰っていて、『頭註国訳本草綱目』が昭和九年に十五冊目の索引を刊行し、完結したことをあらためて知った。十五年ほど前だが、今はなき三島の北山書店で『頭注国訳本草綱目』第一冊から第六冊までの五冊を購入している。なお第五冊は欠けていた。

国訳本草綱目〈第1,3-5,8-15冊〉―頭註 (昭和4至9年) (『頭註国訳本草綱目』) 春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年) (『春陽堂書店発行図書総目録』)

 それもあってその際に『全集叢書総覧新訂版』を引いてみたけれど、掲載されておらず、最終的に何冊出たのかを確認していなかったのである。入手したのはいずれも裸本だが、専門書らしい菊判上製の造本で、表紙には「本草」をあしらった絵が描かれ、それは本探索1095の平福百穂による長塚節『土』の装幀を想起させる。ただ装幀者の名前は見当らないので、誰によるのかを確かめられない。そのことはともかく、まずは『世界名著大事典』における『本草綱目』の解題を示す。

世界名著大事典〈第1巻〉アーカン (1960年) f:id:OdaMitsuo:20210209112134j:plain:h120

 本草綱目(52巻、1596)李時珍著。著者は中国明代の本草学者、生没年明。本書は著者が独力で、30年の歳月を費やし、稿を改めること3度にして集大成したもの。これまで中国では本草書は主として国家が編集したのであるが、李時珍は個人の力で本書を編集した。薬用に供せられる多くのものを、自然分類主として分け、総計1,871種の品を網羅している。全編を水部、火部、土部、金石部、草部、穀部、菜部、果部、木部、服器部、虫部、鱗部、介部、禽部、獣部、人部の各編に分かち、正名を綱として他別名を付釈して目とし、次に集解、弁疑、正誤の条を設けてその産地、形状などを明らかにし、さらに気味、主治、付方を記して実用に供する便にした。本書に対しては種々の非難を加えられているが、著者1人の力でなしとげたことは敬服に価する。ことに1607年に本書が日本に伝えられ、林道春がこれを幕府に献上してから日本においても大いに行なわれるようになり、本書に関する本草学上の著作が、2、3刊行され、日本の本草学に対して大きな影響を及ぼした。

 『世界名著大事典』の場合、邦訳があれば、末尾にそれが明記されているのだが、ここでは「本書に関する本草学上の著作が、2、3刊行され」という、ある含みを感じさせる記述で終わり、次の解題に江戸時代の本草学者小野蘭山の『本草綱目啓蒙』は挙げられているけれど、『頭註国訳本草綱目』は示されていない。また昭和八年にはやはり春陽堂から『頭註国訳本草綱目』の監修者の白井光太郎の『本草学論攷』全四巻なども出されているので、「2、3刊行され」とはこれらを意味しているように思われる。

 そうした事情は関知できる立場にないし、とりあえず第一冊を見てみる。先述したように監修・校註は白井光太郎、顧問は木村博昭、考定は牧野富太郎など五人、訳文は鈴木眞海となっている。まずは内閣文庫所蔵の一九五〇年初版『本草綱目』(所謂「金陵本」)が八葉の口絵写真として掲げられ、それに白井の自筆による「序」、訳者の鈴木の前書きに当たる「例」が続いている。ここではその鈴木の「例」を追ってみる。それを鈴木は次のように始めている。

  本草の典籍には、学術的にも、実用的にも、近代の知識を刺激する多くの事実を蘊んでゐた。或は科学の将来に胎された、太古以来の一大秘宝蔵とさへ嘆称されてゐたのである。しかし、如何せん、その内容に向つて研究を進むるには、先づ第一に難関がある。それはその学問の目的からいへば、殆ど重要意義の乏いものではありながら、而も近代人の訪問を遮つた、極めて頑堅な鉄扇であつたのだ。記述の難解難読が実にそれである。

 本草の学問における「難解難読」は特殊な学問体系を有し、「その国語、文章は、その学問を湮没の危殆にまで駆り導いた、怖るべき厄介な障碍物であつたのだ」。そのために「極めて少数特殊の専門学者以外の近代一般人には、その門戸をさへ窺ふ由なき有様」であり、ここに「本草綱目五十二巻全訳の僭なる企」が胚芽してきたことになる。

 鈴木は澁川玄耳の弟子だったようで、その旧蔵本の『本草綱目』を古本屋から得て、「慨然として孤志を振ひ、遂に訳稿の筆を起し、首尾完きを得んためには、一腔の心血を傾け尽さんこと」を誓ったとされる。それは井上通泰の激発も受け、白井博士の監修、及び懇切周到なる手配のもとに終了するまでこぎつけたとある。そして最後に「春陽堂主人和田利彦氏、特に資を投じて版行の事に従はれ、組版その他の手数に多くの我儘を容された芳情は尤も多とするところ」との謝辞が記されている。

 「駒込桔梗艸盧に住むという鈴木のプロフィルはつかめないけれど、当時の本草学研究の先駆者、植物病理学の創始者の白井の全面的協力と春陽堂の和田のバックアップを受け、足かけ六年に及ぶ『頭註国訳本草綱目』全十五巻を完結させたことになろう。

 しかも奥付には監修兼翻訳者として、白井と鈴木の名前が並記され、その上には二人の印が押されている。それは彼らに著作権があり、印税も生じることが明らかだ。それらを含め、特殊な専門書、「非売品」で定価五円、「頭註」というタイトルなどを考えると、この『頭註国訳本草綱目』は主として予約出版による外交販売ルートを想定しての企画出版だったと見なすべきだろう。


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