また春陽堂が続いてしまったので、ここで単行本ではあるけれど、大正十五年刊行の石井研堂の『増訂明治事物起原』も挙げておきたい。そこには『近代出版史探索』152で既述したように、「予約出版の始」という項目もあるからだ。残念ながら「外交販売の始」はないけれど、その前史が予約出版にあったことは明白だ。その「予約出版の始」を引いてみる。
明治十四年ころより古書の翻刻予約出版一時大に行はれる。稗史小説を主とするもの、漢籍を主とするもの、政治経済書を主とするもの、其書籍の種類は一様ならざれども、其出版方法等は、何れも大同小異なり。(中略)
漢籍に次では、徳川期近代の小説類と憲法政事の訳書などにて、未だ外国趣味の文学輸入には及ばざるを見る、予約出版元と出版書の部類を類集して之を左に出す。書籍の出版に就て予約といふ方法に図ることも、此時代に始りしことならん。
ここでは住所も含めて挙げられているのだが、それらはすべて東京で、しかも大半が京橋区なので、予約出版と版元名だけを示す。なお番号は便宜的に振ったものである。
1 殖産叢書 | 大日本殖産書院 |
2 漢籍類翻刻 | 鳳文館 |
3 同 | 東洋出版会社 |
4 同 | 東京印刷会 |
5 同 | 弘文館 |
6 為永物 | 橋爪貫一 |
7 八犬伝 | 著作館 |
8 馬琴もの | 東京稗子出版社 |
9 物語もの | 東京金玉出版社 |
10 膝栗毛 | 諧文 |
11 三大奇書 | 法木徳兵衛 |
12 文明史、憲法史等 | 政書出版社 |
13 政治書類 | 共同出版会 |
14 泰西政治書 | 自由出版会社 |
15 万国亀鑑 | 以文会社 |
こうした予約出版と版元配置図、及び2から5までの漢籍事情は、拙稿「明治維新前後の書店」「明治前期の書店と出版社」(いずれも『書店の近代』所収)で示しておいた。けれども、まだ出版社・取次・書店という近代出版流通システムは確立されておらず、近世からの出版、取次、書店、古本屋を兼ねた業種のままで、貸本屋や絵双紙店の比重が高かった。近代出版流通システムの根幹である取次が出現するのは明治二十年代に入ってからで、ここで東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋といった雑誌を主体とする五大取次が揃い、近代出版業界がスタートしていくのである。したがって、これらの予約出版と版元はそうした過渡期を体現していたといえよう。
それに加えて、『増訂明治事物起原』は第八類「教育学術」の「予約出版の始」に続いて、「監修の流行」が置かれ、以下のようにある。「著訳書、何某監修と署すること行わる。これ、知名の士の人爵等を並べて、其出版ものゝ優良るを保せしむるものゝ如し、されども、監修者、唯名義の賃貸を収むるのみにして、曾てその出版物に責任を負ふ者なし」「大抵狗肉の羊頭なり」と。図らずも、ここに「予約出版」と「監修」の始まりが揃い、小川菊松の言葉を借りれば、「この畑育ち」の人々が明治後期の予約出版や外交販売市場と流れこんでいったと推測される。
そうした系譜もさることながら、この『増訂明治事物起原』そのものにもふれておかなければならない。石井が巻頭の「第二版を出すまで」において、「本書の編纂に就て(初版の巻頭例言)」を併録しているように、明治四十三年に橋南堂から初版が出されている。それは二十年前のことで、第二版は菊判二段組、八四二ページに及び、初版の「四倍半大」となったとされる。初版は未見だけれど、いつか手にとることができるだろうか。
また付け加えれば、この『増訂明治事物起原』の刊行は、石井が関東大震災に出会い、「惨火の幾多貴重の海内孤本を灰火せし」を目撃し、また「老齢還暦に達し」、「宜しく速に初版の増訂を完了すべし」との使命に駆られてだった。それを後押ししたのは『近代出版史探索Ⅲ』 623などの明治文化研究会諸友の「新旧過渡期の文化史」に対する熱意でもあった。
そこに本探索1098の春陽堂の和田利彦と木呂子斗鬼次も「書肆の意気込みて出版を促さるゝこと」あり、「今年の春に入りて脱稿」へとこぎつけたのである。そしてあらためて装幀と挿画が、『近代出版史探索Ⅲ』 472,473などの小村雪岱であることを知った。『増訂明治事物起原』は関東大震災の出来、明治文化研究会の発足、新旧過渡期の文化史への関心の高まりの中で、春陽堂のバックアップも受け、第二版刊行となったことが了承されるのである。
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