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古本夜話1095 長塚節『土』と平福百穂

 夏目漱石、『朝日新聞』連載、春陽堂といった三題噺からすれば、必然的に長塚節の『土』が思い出される。

 明治四十三年に節は漱石の依頼によって、『東京朝日新聞』に『土』を連載し、四十五年に春陽堂から出版された。しかも漱石の「『土』に就て」という序文を添えてである。そこには『土』の連載途中で自分が病気になったために完結を見ておらず、「意外の長篇」ならしめた「作者の根気と精力に驚い」たと、まず述べられている。

 さらに『土』の単行本化を願っていたのは主筆の池辺三山で、節は池辺の序も望んだが、その三日後に急死してしまい、それは実現しなかった。私は春陽堂からの『土』の出版が漱石か池辺の推薦によってだと思いこんでいたが、節が春陽堂と直接交渉し、連載から二年後に出版の運びとなったようである。

 私は以前に「フランスと日本の農耕社会―ゾラ『大地』と長塚節『土』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を書いているので、ここでは『土』についての作品論は省略し、『土』『長塚節全集』の装幀や出版事情にふれたい。

郊外の果てへの旅 (『郊外の果てへの旅』)

 まず装幀だが、これは平福百穂によるもので、函入、菊判上製のすばらしい装幀、造本である。『土』の内容の暗さと対照的な紅色の函に、本体は白地に緑の木と赤い実が描かれ、それだけ見れば、『土』という小説の装幀だとは思われない。平福は画家でもあるが、歌人として節と『馬酔木』や『アララギ』をともにしていたことから、節の依頼を受け、装幀に携わったのであろう。

 f:id:OdaMitsuo:20201122180056j:plain:h115(近代文学館復刻)

 その緑の葉と赤い実は、『土』で今わのお品が、夫の勘次に牛胡頽(うしぐみ)の下に埋めたものを棺桶に入れてくれと頼む場面からとられているのだろう。それはお品自らが酸漿(ほゝづき)の根を使って堕胎した子の亡骸であり、彼女はそれが原因で破傷風にかかり、死んでいくのである。また函の紅色は酸漿のメタファーなのかもしれない。明治時代にあって酸漿による堕胎は民間医療として広く伝承されていたようで、それもかつて拙稿「春秋社と金子ふみこの『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)でもふれている。これを書いていた頃はどこでも酸漿を見かけたが、近年はまったく目にしていない。気候の不順や温暖化と関係しているのだろうか。

古本探究

 そうした事実からわかるように、その鮮やかな造本や装幀はそのイメージとは逆に、死を表象するものと見なしてかまわないだろう。この平福による『土』の装幀はその四ヵ月後の大正元年九月に、同じく春陽堂から刊行された漱石の『彼岸過迄』に影響を与えたと思われる。橋口五葉の装幀も木と緑の葉と黄丹の実が描かれているのだが、それは「生命の樹」に他ならず、そこには女性と鳥たちが集い、タイトルの『彼岸過迄』に寄り添うように、生の息吹が発せられている。これらの二作の装幀は明治、大正と年号は異なっていても、ほぼ時を同じくして出版されたことによって、そうした対称性を浮かび上がらせてしまったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20201122191111j:plain:h110(『彼岸過迄』)

 節からの百穂への『土』の装幀依頼の推測、及びその五葉への影響と話が前後してしまったが、やはり春陽堂から大正十五年に出された『長塚節全集』第六巻に百穂宛の四十八通の書簡の収録があった。その中に「其十三」」(明治四十五年三月五日付)で、「色彩(図案に非ず)が如何にも引き立たず影うすき感じのするものにては、どうも心持悪くて仕方なく候」ゆえに、「成るべくは其コツテリしたものを希望」と伝えている。そして「其十六」(同五月二十日付)では次のように述べている。
f:id:OdaMitsuo:20201122160205j:plain:h95

 「土」春陽堂よりとどき申候。装幀に付先日二葉の御葉書頂戴致し候ひしが、成程変更致し候方ずつと宜しかるべく、扉の絵ある以上は見返しは要らぬ道理、殊に扉の如きは色の配合極めておもしろく存じ候。表紙は本屋がもつと銭をかけ候はば引立ち可中に、此だけは大兄も定めし御不満に候はんかと存じ候。然し小生には此だけにて近来出色のものとして、充分の敬意と満足とを表し申候。(後略)

 こここで節が百穂の装幀に関して、「近来出色のものとして、充分の敬意と満足とを表し」たことに安堵する。私にしても函はともかく、装幀は大胆にして素朴でありながら、その構図は当時として「近来出色のもの」ではないかと思われるからだ。

 それらはともかく、「表紙は本屋がもつと銭をかけ」云々という言葉が見えたので、奥付を確認してみると、検印欄には春陽堂の印が押されているだけで、『土』もまた原稿買切で出版されたことを意味している。本探索1089などで繰り返し書いてきたように、明治末期になっても、漱石などを例外として、新聞小説などの原稿は買切で印税は発生していないし、前回見たように、それが印税へと変わるのは昭和円本時代を通じてのことだったのである。


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