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古本夜話1148 近藤春雄『ナチスの青年運動』

 『三省堂書店百年史』は昭和十年代の書店に関しては多くの写真を掲載して、支那事変以後の売場の変遷、また「名著目録(昭和五年―十五年)」示して、「名著の供給を絶やさなかった」事実を伝えてようとしているが、自社出版物についてはほとんど語っていない。

 しかし三省堂にしても、昭和十年代の出版活動が戦時下という時局の影響を受けざるをえなかったと推測される。それらの全貌は講談社や文藝春秋社と同じく、明らかになっていないけれど、ここに近藤春雄『ナチスの青年運動』があることからすれば、それだけでなく三省堂も、『近代出版史探索Ⅲ』582の日本評論社『新独逸国家大系』『近代出版史探索Ⅳ』715のアルス「ナチス叢書」などのシリーズではないにしても、ナチス関連書を刊行していたのであろう。

f:id:OdaMitsuo:20210415231750j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210419164857j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20170922194451j:plain:h120(「ナチス叢書」)

 それに加えて、『三省堂書店百年史』でもふれられていないが、民族学協会と民族研究所との関係から、同協会調査部訳として、大東亜戦争下にビレン・ボンネルジヤ『ベンガル民族誌』などの民族学書を刊行している。だがこれらは稿をあらためたいし、ここでは近藤の著書だけにしぼりたい。

ベンガル民族誌 (アジア学叢書) (『ベンガル民族誌』、大空社復刻)

 この昭和十三年刊行の『ナチスの青年運動』を古本屋の均一台で拾ったのはサブタイトルに「ヒットラー青少年団(ユーゲント)と労働奉仕団(アルバィツティーンスト)とあるように、ナチス精神の本質を表象するドイツ青年運動の二大主流をテーマとしていたからだ。それにこのドイツの二大運動は、大政翼賛会が大東亜戦争下において、少年団や青年団に与えた影響を想起させた。また裏の見返しカバーにあった帝国少年団協会常任理事という肩書が付された大沼直輔『学校少年団の理論と訓練』なる一冊はそれと重なるようにも思われた。

 また当時、同じようなタイトルのウォルター・Z・ラガー『ドイツ青年運動』(西村稔訳、人文書院)に加えて、ニコラウス・ロンバルト『男性同盟と母権制神話』やクラウス・テーヴェライト『男たちの妄想』(いずれも田村和彦訳、法政大学出版局)を読んでいたことにもよっている。『近代出版史探索』114のローゼンベルグの『二十世紀の神話』というナチス神話や同117のヴァイニンガーの『性と性格』に見られるミソジニーを、ヒットラー青少年団や労働奉仕団のようなファシズム下の青年運動と無縁ではないはずだとの思いもあったからだ。

ドイツ青年運動―ワンダーフォーゲルからナチズムへ 男性同盟と母権制神話―カール・シュミットとドイツの宿命 (叢書・ウニベルシタス) 男たちの妄想 I: 女・流れ・身体・歴史 (叢書・ウニベルシタス)

 『ナチスの青年運動』の著者の近藤は外務省出身の大学教師、ドイツ文学研究者のようで、昭和十二年は欧米にあり、その「序文」に次のようにしたためている。

 欧米半歳の旅を終へて、昨冬十二月、久方ぶりで再見した祖国は、日支事変漸く進み、南京陥落の快報によつて、街には、日の丸の旗の波、をして、万歳と凱旋の氾濫に、感激と興奮の真只中にあつた。威なる哉、皇国日本!

 昭和十二年=一九三七年といえば、三三年にヒトラーがドイツ国家元首に就任し、ナチズム全盛期を迎えようとしていた時代にあったから、「伯林の旅窓」にいた近藤はそのドイツ体験と日支事変以後の日本を重ね合わせ、昂揚した気分のままでこの「序文」を書いていることが伝わってくる。

 しかもこちらは未見だが、まず『ナチスの文化統制』(岡倉書房)を書き、続いてこの『ナチスの青年運動』を刊行とされる。その「序文」に見えているように、昭和十三年の日本は前年に国民精神総動員の実施に続き、国家総動員法が施行され、それらとパラレルに五月に日本の少年団がドイツに派遣され、八月のそれとの交換のかたちでヒットラー青少年団が来日している。それらは『ナチスの青年運動』の最初の「序文」を寄せているドイツ青年省駐日代表ラインホルト・シュルツェが六月付で述べているように、いずれも三十人で、ヒットラー青少年団のほうは日本の青少年と三ヵ月の共同生活を営む準備に取り組んでいるとされる。シュルツェは近藤と並ぶ口絵写真が示されている。

 シュルツェの言によれば、世界は憎悪と不安の中にあり、共産主義とユダヤ主義は世界文化を破壊せんばかりの炎をかり立て、その一方で、民主主義の国際的連携が世界平和を保証するものだとされている。そうした世界状況下にあって、「二大民族の青年が、真情を以て、相互の民族的特性に就ての知識と理解を有」するのだ。

 ヒットラー青少年団は初期段階で、地方に分散した独立少年団に過ぎなかったが、クルト・グルーベルという青年が熱誠をもって取り組み、その最初の集団の建設者となった。彼はザクセンを中心として、青年たちに呼びかけ、プロパガンダを仕掛け、ここにヒットラー青少年団は呱々の声を挙げるに至る。その運動はザクセン知事や同志の努力を得て、多数のヒットラー青少年団の地方分団の成立へと向かった。

 そして一九二九年のナチス党大会において、ヒットラーの前に二千人のヒットラー青少年団の最初の隊列行進が行なわれた。その指導者となったシラッハはローゼベルクの国民社会主義的青年運動を全体主義に勧誘し、一九三三年にヒットラー青少年団への傘下へと合流させるに至った。その他も大小無数の各青年団組織や宗教団体も加わり、百を超える多数に及び、ここにヒットラー青少年団は全国的団結を達成したのである。

 簡略にたどっただけであるが、このような歴史を知ると、一ページを占めて掲載されている「ドイツ国青少年団組織」図が理解できるように思われる。ヒットラー青少年団だけで、労働奉仕団への言及はできなかったけれど、こうした青年運動は国家総動員法中にある日本の青年団や少年団も参照すべきものとされたのだ。それに加えて、日本の少年団のドイツへの派遣とその交換のかたちのヒットラー青少年団の来日は大きな話題をよんだはずであり、近藤の『ナチスの青年運動』はまさに時宜を得た一冊として出版されたのではないだろうか


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