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古本夜話1189 ヴィゼッテリイとゾラの英訳

 前回の井上勇も『制作』の翻訳に際し、「ヴイゼツテリイ監督のもとに出版された英訳」も参照したと「覚書」に記していた。前々回の山本昌一は『ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学』の「ゾラと荷風・枯川」において、従来の所謂「ヴィゼッテリイ本」ヴィゼッテリイ書店」に対して異議を表明している。そこでは拙訳『パスカル博士』の「あとがき」の「ヴィゼットリー親子の刊行による英訳」という言も引かれ、ゾラの英訳本の訳者と出版社と刊行の時期はそれぞれ異なるので、「ヴィゼッテリイ本」を書誌的にはっきり認識すべきだと山本は述べている。

f:id:OdaMitsuo:20210814100331j:plain:h115 ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学  パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 そのことに言及する前に、『リーダーズ・プラス』(研究社)に恰好のヴィゼッテリイの立項を見出しているので、まずはそれを示しておく。人名ハイフン、発音記号などは省略する。

リーダーズ・プラス

 Vizetelly ヴィゼテリー Henry Richard ~(1820-94)⦅イタリア系の英国の出版業者;版画家としてIllustrated London News /に寄稿;この雑誌に対抗する自分の雑誌Pictorial Timesを1843年に創刊;Illustrated London News の特派員としてParis(1865-72)および Berlin(1872)に派遣された;普仏戦争に際してParis攻囲戦を目撃し,のちに息子のErnest と共にParis in Peril (1882)を書いた;また出版業者としてフランスおよびロシアの作家の作品を翻訳出版したが、Zolaの作品の出版によって、猥雑性をめぐる2度の訴訟に巻き込まれた;回想録Glances back through Seventy Yearsを出版(1893);弟のFrank(1830-83)もIllustrated London Newsの海外特派員であったがSudanで殺された。息子のEdward Henry(1847-1903)とErnest Alfred(1853-1922)もジャーナリスト;2番目の妻との間の息子Frank Horace(1864-1938)は米国に帰化(1926),New York の Funk and Wagnalls社の編集陣に加わってStandard Dictionaryなどの編集を行なった⦆

 先にこれを挙げたのは山本の「ヴィゼッテリイ本」の解題が、この父子関係をふまえないとよくわからないからである。ここには一族と出版の関係が簡略に示されているが、ゾラの英国亡命の世話をしたことにはふれられていない。なおここではヴィゼテリーとされているが、これからは山本に従い、ヴィゼッテリイを使用する。

 山本はゾラに関する「ヴィゼッテリイ本」を次の三種類に分類している。ヘンリィが中心となり、ヴィゼッテリイ書店から出版したV版、ヘンリィの二男であるアーネストが訳し、編集したシャトー・アンド・ウィンダス社(Chatto & Windus)のC版、長男エドワードがハチンソン社(Hutchinson)から出した訳書を3番目のH版とするものだ。

 そして山本は「ルーゴン=マッカール叢書」のV版十五冊、C版十二冊、H版四冊のリストと各書影も掲げ、「ヴィゼッテリイ本」の実像を提示し、次のように記すのだ。

 V版、C版、そしてこのH版が、ヴィゼッテリイ父子がかかわった、主としてルーゴン=マッカール叢書についての大よそである。改めていうまでもないが、ヴィゼッテリイ書店はゾラだけを出版したわけではなく多数の書を刊行しているのであって、それはヴィゼッテリイから出版されている本のうしろの広告を見れば一目瞭然である。これはシャトー・アンド・ウィンダスの書も同様であって他に多くの書を刊行しているのも広告を見ればわかるのである。ただヴィゼッテリイ書店は当時の英国の出版協会などがゾラの英訳書などを中心にヘンリィ・ヴィゼッテリイを告発し、ヴィゼッテリイ書店が立ちゆかなくなったために、C版の刊行になったことは知られている通りであるが、ここではこの点には立ち入らない。

 山本は島崎藤村や島村抱月を研究する過程で、日本の自然主義者たちが読んだフランス語の英訳本に興味を持ち、その探求と収集を始め、このような実証的地平に至ったことになる。私などには想像もつかないほどの長い年月と洋書購入費を投じての成果であり、それだけでも顕彰すべきだと思われる。

 私はたまたま拙稿「ヴィゼッテリー社のゾラとドストエフスキーの英訳」(『古本屋散策』所収)で書いているように、古書目録でC版のHis Excellencyの一冊だけを入手している。山本の丹念な収集に対して貧しい極みだが、同書を参照して、「ルーゴン=マッカール叢書」の最後の未邦訳『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』を翻訳するに至ったこともあるので、シャトー・アンド・ウィンダス社の出版物に少しばかりふれてみよう。

ウージェーヌ・ルーゴン閣下―「ルーゴン=マッカール叢書」〈第6巻〉 (ルーゴン・マッカール叢書 第 6巻)

 『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の英訳His Excellency に関して、山本はV版の一八八六年本、C版の一九〇〇年本を挙げている。だが私の手許にあるのは一八九七年本、四六判上製、本文三五九ページである。山本がC版書影として掲載しているのはThe Fortune of the Rougons (『ルーゴン家の誕生』)で、イラストは異なるものの、レイアウトは同じで、それは一九九六年本であることからすれば、「C版は一冊一冊全部デザインが異なり表紙の色の鮮か」という特徴を共有していた。確かにHis Excellencyの表紙は色褪せているけれど、鮮やかな臙脂色だったことがうかがわれる。 

 本扉の前のページに「ルーゴン=マッカール叢書」既刊として、『パリの胃袋』『金』『夢想』『壊滅』『パスカル博士』がリストアップされ、『夢』の訳者はEliza.E.Chaseだが、その他にはE.A.Vizetellyとあるので、アーネストが翻訳したことになろう。だが『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の「序文」はアーネストと明記されているものの、訳者名は付されていない。父のヘンリィが訴えられたこと加え、この小説が政治をテーマとすることから、あえて訳者名を伏せたのであろうし、そうした「忖度」が「序文」に感じられる。

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション) 金 (ゾラ・セレクション) 夢想 (ルーゴン・マッカール叢書) 壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書) The Dream (『夢』)

 同書の巻末にはシャトー・アンド・ウィンダス社の一九〇二年九月の出版目録が三〇ページに及び、千冊以上の小説と文学作品が掲載され、同社が予想外に大出版社であることを教えてくれる。それらを詳細にたどってみたいけれど、ここではゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」に限定するしかない。そこには前述の他に『制作』『生きる歓び』『ジェルミナール』『ムーレ神父のあやまち』『ルーゴン家の誕生』『プラッサンの征服』が加わり、翻訳、序文を伴う編集はアーネスト・A・ヴィゼッテリイとあるので、実質的にC版はアーネストが担ったことが確認できるのである。

制作 (上) (岩波文庫) 生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション) ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)

 なお J・フェザー『イギリス出版史』(箕輪成男訳、玉川大学出版部)を繰ってみたが、ヴィゼッテリイ書店事件への言及は見られなかった。

イギリス出版史

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