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古本夜話1269 スタア社『亜米利加作家撰集』

 前回の奢灞都館の「アール・デコ文学双書」のラインナップを見ていて思い出されたのは、スタア社の『亜米利加作家撰集』のことである。これは昭和十五年刊行の並製三四五ページの一冊で、ヘミングウエイの「五萬弗」が収録されていたことから、『明治・大正・昭和翻訳文学目録』を繰ってみたのだが、この翻訳は見当たらず、こうした戦時下のアンソロジー翻訳集はもれてしまうことを実感したからだ。

 それに加えて、この『亜米利加作家撰集』は二十年ほど前に入手したのだが、保存状態が悪かった。表紙は半ばはがれ、背のタイトルも褪色して読めず、そのために400円という値段が裏表紙に鉛筆で記され、古書価も安かった。また出版社にしてもずっと手がかりはつかめず、ずっと放置しておいた。ところが中野書店の「古本倶楽部別冊・お喋りカタログⅣ」(2009-12)が届き、そこに鮮やかな書影入りで、『亜米利加作家撰集』が15750円の高い古書価で掲載されていたのである。

 そこには「米文学の翻訳や映画の字幕、映画評論でお馴染みの名前が揃っています。中でもJ・Jこと植草甚一は、70年代のサブカルチャーブームの火つけ役として晩年一挙にその名前が知られますが、映画評論や翻訳は戦前からの仕事でした」というコメントが付されていた。私も作家よりも翻訳者陣に惹かれ、『亜米利加作家撰集』を購入したのだが、あらためてそれらの作家と作品、及び訳者を示しておくべきだろう。番号は便宜的に振ったものである。なおポピュラーな作家のファーストネームは省略し、そうでない者はフルネームで記す。ただこの判断は現在からのもので、昭和十五年当時の事情は確認できていない。

1 ヘミングウエイ  海南基忠訳 「五萬弗」
2 スタインベック  清水俊二訳 「ジヨニイ・ベア」
3 ベネディクト・シーレン  双葉十三郎訳 「[雷雨雷雨」
4 アイラ・V・モリス  双葉十三郎訳 「宿命へ翔ぶ男」
5 ルイ・ブロムフィルド  清水俊二訳 「誰でも知つてゐる女」
6 ドライサー  海南基忠訳 「天国への税金」
7 マニュエル・コムロフ  海南基忠訳 「一日の歓楽」
8 ポール・ホーガン  植草甚一訳 「遠くの港」
9 ユージン・ライト  植草甚一訳 「白い駱駝」
10 アルバート・マルツ  大門一男訳 「巷の除夜」

 恥ずかしながら、半分以上の作家はここで初めて目にするもので、当然のことながら作品に至っても同様だ。それでも訳者のほうは植草だけでなく、双葉十三郎や清水俊二はレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』(創元推理文庫)や『長いお別れ』(ハヤカワポケミス)で馴染み深いし、戦後は映画評論や字幕でも周知の存在であろう。それに大門一男は清水の友人だとわかる。ただ最も多くの三作を訳している海南はプロフィルが不明だが、それらの解説から映画にも通じているアメリカ文学者のように思われる。また発行者の荒木誠太郎も定かでないが、映画誌『スタア』の編集長で、スタア社の経営にも携わっていることから考えれば、映画関係者と見なせるであろう。

大いなる眠り (1959年) (創元推理文庫) 長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 7-1)

 奥付の検印紙には「一男」という印が打たれていることから推察すれば、大門一男が中心となって企画、翻訳編集され、映画関係版元のスタア社へと持ちこまれたのではないだろうか。拙稿「清水俊二と多忠龍『雅楽』」(『古本屋散策』所収)で、清水が大門に誘われ、昭和十六年にパラマウント映画会社から六興出版部へ移り、編集者となったこと、また『近代出版史探索Ⅳ』585で、戦時下の六興出版部事情にふれている。それらの事実を重ねてみると、昭和十五年八月に刊行された『亜米利加作家撰集』は大門と清水が本格的に六興出版部に関わる前に、親しい映画とアメリカ文学関係者たちを誘い、試みた翻訳アンソロジーの出版だったように思われる。

古本屋散策

 そこで留意すべきは昭和十五年に芸能人や煙草のカタカナ名が日本語へと改名され、ダンスホールも閉鎖され、各地で紀元二六〇〇年祝賀行事が催され、翌年の十六年十二月には太平洋戦争が始まっていく時代を迎えていたことだ。すなわちアメリカ文学の翻訳出版が困難となる寸前に、アメリカ文化に通じた在野の訳者たちによって、『亜米利加作家撰集』は刊行されたと見なすべきではないだろうか。そうした意味において、この一冊は貴重な試みであったというべきかもしれない。

 それに対する配慮は巻末の近刊とある山下謙一『山西通信』にうかがわれる。この山下は『亜米利加作家撰集』の装幀、及び各作品の扉挿絵を担い、とりわけオリジナルな挿絵は各作品にふさわしいイメージをもたらしている。その山下は出征中で、「三年にわたる、建設部隊全北支活躍中にスナツプされた手紙及びスケツチ」がこの『山西通信』の内容とされ、「逞しい男の腕とその逞しい腕から出る繊細な美術家として神経!」と謳われている。

 この一冊はスケッチや挿絵も多く、美術書として仕上げられているようなので、見てみたいと思うけれど、出会うことができるであろうか。


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