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古本夜話1279 ハウゼンスタイン『芸術と唯物史観』と阪本勝

 本探索でプロレタリア文学や社会運動の隆盛に伴う、いくつものリトルマガジンの創刊をみてきたが、それらは多くが従来の出版社によるものではない。そのことは翻訳に関しても同様であり、想像する以上に多種多様な訳書が刊行されたと思われる、そうした典型として挙げられるのは昭和円本時代の『近代出版史探索Ⅱ』390の平凡社『社会思想全集』、本探索1224などの春秋社『世界大思想全集』である。これらの他にも、前回ふれたように、希望閣を始めとする左翼系小出版社からも翻訳本が出されていた。それらの全貌は相次ぐ発禁処分による収集の困難、及び国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)のような書誌文献が出現していないこともあって、明らかにされていないというべきだろう。

 そうした出版社のひとつに同人社が含まれ、この版元についてはやはり『近代出版史探索Ⅱ』233、234で既述しているけれど、その後昭和三年刊行のハウゼンスタイン、阪本勝訳『芸術と唯物史観』を入手している。菊判上製三〇八ページ、裸本の一冊で、函はあったと思われる。邦訳タイトルは当時の出版トレンドから左翼文献的なタームが使われているが、ドイツ語原文はDie Kunst und die Gesellschaft 、すなわち『芸術と社会』である。「訳者序」に示されているように、同書の原著は『あらゆる時代及び民族の芸術に於ける裸体人』の大冊で、その後二巻として刊行された前巻の翻訳である。

芸術と唯物史観 (『芸術と唯物史観』)  (Die Kunst und die Gesellschaft)

 その事実はミケランジェロ「最後の審判」を始めとする裸体を描いた二十点以上の一ページ挿画に加えて、第二篇「裸体人の文化的前提」にも顕著であり、思い切って『芸術と裸体』としたほうがふさわしかったのではないだろうか。阪本も「裸体芸術が研究の直接の対象となつてゐる点が、最も著るしい独創性を含んでゐる」と評し、次のように続けているのだから。

 今迄平凡な、アカデミツクな『芸術史』の中に羅列されてきた無数の芸術品を、一定の思惟方法の下に整理し、一定の髪の毛の描写にも、エバの唇の微笑、アダムの臍にも、或ひは又古書を飾る模様にされた頭文字の曲線の中にも、常に時代の臭ひ、経済的社会の香を嗅ごうとする、すばらしい著者の『眼』には、訳者はただ感嘆を繰返すのみである。

 これにハウゼンスタインの言を加えれば、「裸体人の姿態の表現といふこといが、社会史的に、如何にして可能であつたか」がたどられていることになろう。拙稿「フックス『風俗の歴史』」(『古本屋散策』所収)や『近代出版史探索Ⅱ』246のキント『女天下』と同じく、ハウゼンスタインの原著もおびただしいまでの図版入りの大冊であったにちがいない。それだけでなく、阪本によれば、ブハーリンの『史的唯物論』はその社会の芸術現象をハウゼンスタインの同書に依拠し、また櫛田民蔵がモスクワのマル・エン研究所のリャザーノフを訪問した際、やはり同書を日本へ持ち帰るようにと勧められたという。

古本屋散策

 それらのことから推測されるように、ハウゼンスタインはこの時代によく知られた美術史家だったのだろう。ちなみにこれも例によって、中央公論社の『世界文芸大辞典』を繰ってみると、ハウゼンシュタインとして立項されている。彼はドイツの美術史家で、「美術の内容と形式に新生面を与へるものとして、マルクスの唯物史観の立場と創作体験の綜合を、既に欧州大戦前に提唱した先覚。美術の持つ政治的抗力と芸術的価値の併立を認める一方、両者を本質的に区別する」と指摘されている。続いて著書の原書タイトルも挙げられ、『文化と社会』も含まれているが、どうしてなのか、邦訳は示されていない。

 訳者の阪本のほうも、『近代日本社会運動史人物大事典』で引いてみると、東京帝大在学中、吉野作造のデモクラシーの洗礼を受け、新人会会員となり、昭和二年には兵庫県普通選挙初の県会議員選挙に日本労農党から立候補し、二十七歳で全国最年少県議となっている。先の「訳者序」が「普選下最初の国会総選挙の激闘を終えて」とある同三年春の日付となっているのは、その後日選挙譚を物語っているのだとわかる。それらにはあまり驚かないが、その一方で、阪本は美術、演劇にも通じ、戯曲も書き、自らもファウスト役などを演じていたことはいささか意外であった。しかも大阪の北野中学時代には佐伯祐三が親友で、名著とされる『佐伯祐三』(日動画廊、昭和四十五年)を上梓しているという。それは未見だが、ハウゼンスタインの翻訳の系譜を引き継いでいるかもしれない。

近代日本社会運動史人物大事典 (『佐伯祐三』)

 さて最後になってしまったけれど、同人社の翻訳書に関してもふれておかなければならない。それも『芸術と唯物史観』の巻末広告で知ったのである。そこには「同人社出版書目」として、『社会科学大辞典』の執筆者や編輯者などによる七十冊余の著書や翻訳が並び、続いて「我等叢書」としてカウツキー、櫛田民蔵訳『マルクス・エンゲルス評伝』、ホヂスキン、細川嘉六訳『労働弁護論』、マルクス・エンゲルス、嘉治隆一訳『独仏年誌鈔』などが掲載されている。

 またさらに注視したいのは「続刊予告」されている「社会問題叢書」と「社会主義古典叢書」である。前者はマルクスやエンゲルスなどの翻訳が、後者はサン・シモン、フーリエなどの所謂空想的科学者たちの著作で、フーリエ、平貞蔵訳『四個運動論』も挙がっている。そこで『全集叢書総覧新訂版』を繰ってみたが、残念ながら両叢書とも見出せなかった。おそらく「続刊予告」はされたものの、刊行されなかったと見なすべきだろう。


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