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古本夜話1224 スペンサーと澤田謙訳『第一原理』

 本探索1219で、板垣退助が明治十六年の外遊の際に、スペンサーとも会っていたことにふれておいた。それゆえに板垣が持ち帰った英仏独の数百巻の中にスペンサーの著作もあったはずだ。

 しかしスペンサーの『社会平権論』はすでに明治十四年から松島剛訳によって報告社が分冊刊行していたので、板垣がもたらした洋書によるものではなかった。

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 その松島訳『社会平権論』の一部が『近代出版史探索Ⅳ』623の『明治文化全集』第5巻の『自由民権篇』、及び岩波書店『日本近代思想大系』15の『翻訳の思想』に収録されている。後者の「解題」において、近代文学研究者の山本芳明は次のように指摘している。スペンサーは明治十年代の日本で最も影響力を持った思想家の一人で、それは自由民権運動の思想家から明治政府高官にまで及び、その著書は東京大学や慶應義塾を始めとする各大学で教科書として採用され、様々な分野に広く援用されたと。続けてふれてきた黒岩涙香も、スペンサーに心酔し、『近代出版史探索』102の『天人論』にしても、その大いなる影響下に書かれたようだ。

f:id:OdaMitsuo:20211020142235j:plain:h118 翻訳の思想 (日本近代思想大系)

 その中でも『社会平権論』の翻訳は板垣や自由党にも衝撃を与え、当時のベストセラーだったと伝えられている。訳者の松島は紀州藩士の子として江戸に生まれ、幕府開成所でフランス語、維新後には英学修行を志し、慶應義塾に入ると、哲学書を耽読するうちにスペンサーの『社会平権論』に出会い、翻訳するに至ったのである。

 しかしこのようなスペンサーであっても、二十世紀に入ると忘却され、それは日本でも同様だったし、主著の翻訳は続かなかった。だが昭和に入って、ようやく『第一原理』が刊行されるけれど、この時代のスペンサーの位相を『世界文芸大辞典』に見てみよう。

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 スペンサー(ハーバート)Herbert Spencer (1820-1903)イギリスの哲学者、社会学者。病弱のため独学で通したが、鉄道技師の下働きや記者生活をして研鑽を深め、やがて総合哲学の大系を作らふといふ大望を抱き、三十有余年の後終にこれを完成した。これはコントの実証哲学の体系に匹敵するものである。彼の哲学的立場は経験主義にあつたが、宇宙の根本法則を進化にあると認め、これによつてすべての現象を説明した。彼の社会学は有機体的な比論に立脚してゐるが、その内容は社会における進化の説明に他ならない。社会は他のすべての集合体と同一に量の増大とその結合によつて集成に進み入る。茲に社会の同質性から異質性への進化が発現する。そして、この進化の発展すると共に、社会の連帯的関係は愈々密接なものと成る。彼はこの過程において先づ軍事型社会が現われ、次いで産業型社会が現われると成し、後者を以て進化的に優越した典型であると考えてゐる。彼は当時のイギリスの社会を以て産業型社会に対応するものと見たが、これは彼の社会学の基調が新興の資本階級のイデオロギーに基づいてゐることを証明するものである。彼が個人主義的な自由放任旗幟を掲げて国家の干渉を排斥するに努めたのは、この思想から考へて当然のことである。此の点に於いて、彼は最も典型的な理論家と看做されてゐる。主著“Social Statics” (1851),“First Principles”(1862), “Principles of Sociology”(1876-96)。

 これはきわめて正当なスペンサーのプロフィルと評価のように思えるし、ここでは後のリバタリアン政治哲学にリンクする彼の側面も浮かび上がらせている。そこで挙げられている主著の“Social Statics”が『社会平権論』、First Principlesが『第一原理』である。後者は昭和二年に春秋社の『世界大思想全集』28として澤田謙訳で刊行されている。四六判七二一ページの及ぶ大著で、しかもこれは第一回配本なのである。巻数の多い予約出版の円本は知名度が高く、ポピュラーな著作を収録した巻を第一回配本とするのがセオリーだが、『世界大思想全集』の場合はそれに抵触しているように思える。

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 訳者の澤田謙は『日本近代文学大事典』などでは伝記作家と見なされ、大正七年に東京帝大法学部卒業後、東京市政調査会参事などを経て、講談社の『少年倶楽部』『少女倶楽部』などに偉人の伝記を発表し、人気を得た数少ない伝記専門作家の一人とされる。戦前は講談社の『プルターク英雄伝』など、戦後は偕成社から多くの伝記を刊行している。だがどこにも澤田がスペンサーの『第一原理』の訳者だったことは記されていない。

 おそらく想像するに、澤田は東京市政調査会参事を務めながら、東京市政の実情にふれ、『第一原理』に寄せられた「訳者序」の言葉を借りれば、スペンサーの「完成せる『社会有機体設』が現在の法律政治制度の基礎」となったこと、及び「現代の社会科学の長所も短所も、悉くその萌芽を(中略)『第一原理』」に認めたからだろう。そのために翻訳を進め、全訳を完成した。それが『世界大思想全集』の関係者に見出され、その第一回配本として送り出されることになったのだろう。それは大正時代を経てもまだスペンサーの名声が保たれていたことになるのかもしれない。だがそのような澤田がどうして伝記作家へと転身していったのか、『第一原理』と関係があるのかは判然としない。

 スペンサーのことはずっと気にかかっていたのであるが、近年になって『社会平権論』の新訳も収録された森村進編訳『ハーバート・スペンサーコレクション』(ちくま学芸文庫)が出され、その「訳者解説 なぜ今スペンサーを読むのか」に啓発され、このような一文を草してみた。

ハーバート・スペンサー コレクション (ちくま学芸文庫)

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