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古本夜話1302 片山潜『革命的社会主義への道』

 一九二〇年=大正九年に片山潜はアメリカ当局による検挙の危険から、大西洋を臨むアトランティック・シティに逃れ、自伝と社会主義論を書いていた。

 これらのうちの自伝のほうは翌年に室伏高信の手にわたり、『改造』に連載され、『自伝』として改造文庫化されたことは既述しておいたが、社会主義論は前回の高橋亀吉の添削を得て、石垣宋太郎を通じて、モスクワの片山のところに送られた。内藤民治は大正十三年にモスクワで片山と出会い、原稿を預かり、出版を託されていたのである。この原稿は岡田宗司編『革命的社会主義への道』(刀江書院、昭和四十五年)として刊行され、手元にある。刀江書院とその経営者高山洋吉に関しては『近代出版史探索』150ですでに言及しているし、岡田とは新人会をともにしていた。内藤のほうだが、岡田と異なり『近代日本社会運動史人物大事典』には立項されておらず、索引に見えているだけだけれども、『日本近代文学大事典』においては立項があるので、それを引いてみる。

 

 内藤民治 ないとうたみじ 明治一八・一〇・二八~昭和四〇・七・一五(1885~1965)思想家。新潟生まれ。東京農業大学卒。明治三九年渡米し、ニューヨーク・ヘラルド紙の特派員となる。世界各国を歴訪して帰国した大正六年、「中外」の主幹として活躍。翌年一二月、吉野作造、麻生久らと協議し、浪人会に対抗する進歩的思想家の結集をはかり、「黎明会」を創立。一一年、後藤新平とともにソ連極東代表ヨッフェを日本へ招く。日ソ漁業、林業、石油、通商問題解決につくすなど国際人として活躍した。

 これに岡田による内藤の紹介を付け加えれば、内藤は大正三年に帰国後、同郷の親友堤清六が手がけていた北洋漁業の事業の拡大を支援し、その事業で大きな利益を得た堤から資金援助を受け、総合雑誌『中外』を創刊した。そして社会主義者たちに執筆の場を与え、『解放』『我等』などの先駆となった。大正八年の『中外』休刊後、極東通信社を創立し、また日露相扶会を立ち上げ、労農露西亜承認運動を展開したとされる。

(不二出版復刻) 

 このような内藤の個人史と社会的背景があって、大正十三年における彼の訪露と片山との出会いがあり、それを記した「老革命家の祖国日本へのアッピール」が書かれ、『革命的社会主義への道』に、岡田の「片山潜のボルシェヴィズムへの転換と本書の成立」と並んで、巻頭に収録されることになるのである。

 内藤はモスクワのホテル・ルックスで片山からこの原稿を日本の人たちに読んでもらいたいと差し出された。内藤は片山の記念すべき原稿をあずかっても、日本の検閲状況下ではいつ出版できるかわからないと応じた。しかし片山はもう六十五歳になるし、これは「僕の志」でもあり、「せつせつたる祖国日本にたいするアッピールなんだ」と告白したので、内藤は「その原稿を感激にふるえる手」で受け取ることになった。それはひとえに「片山は風格の高い日本人」であり、「この原稿にまつわる深い郷愁(ノスタルジア)の謎」も秘められていると内藤は思ったからだ。

 それに内藤の日本の国民代表、国賓待遇としての渡露と一年半余の滞在、及び日ソ通商条約の基本交渉の取りまとめは、片山の仲介によっていたのである。しかし片山の原稿は内藤の帰国に伴い、神戸税関と警視庁、検事局によって二度も没収の憂き目にあい、ようやく取り戻したものの、筺底深く秘蔵しておくしかなかった。

 ところが昭和二十三年になって、国際出版株式会社から出版されるに至ったのである。その際に寄せられたのが前出の「老革命家の祖国日本へのアッピール」であり、「そこに二十六年の時が流れている」し、片山の死が「今から十五年まえのこと」だと述べているのは、この戦後を迎えての出版を意味している。内藤が戦後の左翼文献の一度に堰を切ったような出版洪水の中で、あえて片山の遺稿を刊行しなかったのは共産党系出版社ではなく、自らの手で出版したかったからだろうと岡田は推測している。

 国際出版は朝日新聞社の仏印特派員だった前田義徳が創立した版元で、内藤はやはり朝日新聞記者の古垣鉄郎の紹介で前田と昵懇になり、出版へと至ったようだ。しかも注と解説は、後に『社会主義運動半生記』(岩波新書)を著し、『現代史資料』(みすず書房)を手がけることになる山辺健太郎によるものだった。しかし国際出版は小版元で出版部数も少なく、また売れ行きもよくなかった上に、間もなく廃業となり、刀江書院刊行前には入手困難な一冊となっていたのである。

 (『現代史資料』16)

 なおこれは蛇足かもしれないが、前田と古垣はいずれも後のNHK会長となり、内藤のほうは刀江書院の口絵写真に故人としての掲載がある。昭和四十年に鬼籍に入り、刀江書院からの再版を見ずして亡くなっている。

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