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古本夜話1332 陸軍画報社と中山正男『一軍国主義者の直言』

 『神近市子自伝』において、日蔭茶屋事件で出獄後の大正九年に、彼女が四歳年少の鈴木厚と結婚したことが語られている。彼は早稲田大学を中退した評論家で、文学、歴史、社会主義に通じていて、辻潤が連れてきたのだった。

 

 ところがその後、三人の子どもをなしたものの、支那事変が起きた昭和十二年頃から鈴木は『陸軍画報』の編集を手伝うようになった。そして飲酒と暴力が日常的になり、金使いも乱脈で、愛人も囲い始め、離婚へと至ったのである。残念ながら、鈴木は『近代日本社会運動史人物大事典』の「索引」に神近やエロシェンコとの関係から見出されるけれど、その他には言及されていないので、彼の編集者としての仕事がどのような軌跡をたどったかは不明である。

近代日本社会運動史人物大事典

 だがここで断片的でしかないが、『陸軍画報』のことが出てきたし、このような機会を得たので、陸軍画報社にもふれておきたい。たまたま陸軍画報社の金子空軒『近代武人百話』を拾ったばかりだし、表紙には「徴兵制度七十周年記念出版」「陸軍省報道部推薦」と銘打たれ、奥付には昭和十八年二月初版三千部、十九年六月再版一万部とある。口絵写真には「近代武人」たちの八ページがすえられ、「序」を寄せているのは陸軍情報局大佐松村秀逸、中佐秋山邦雄で、版元と出版コンセプトからして兵書に分類してかまわないだろう。

     

 著者の金子もその筋ではよく知られた人物らしく、明治末期より大正年間にわたり、軍人雑誌『文武』を主宰し、後に陸軍省嘱託として『つはもの』新聞を創刊し、編輯に携わってきたようだ。『近代武人百話』の巻末広告は姉妹篇として『陸軍史談』の広告も見られる。ただ敗戦によって、兵書出版は戦犯に問われるのではないかという危惧から、ほとんどが版元によって焚書化されたとも伝えられているので、兵書出版の全貌を再現することは難しいだろう。

 だが昭和九年から敗戦まで陸軍画報社社長を務めた中山正男は戦後に『一軍国主義者の直言』(鱒書房、昭和三十一年)などを残しているので、陸軍画報社のアウトラインはつかむことができる。『近代武人百話』の発行者は八木澤清とあるが、それは編集長だと思われる。また中山は『出版人物事典』には立項されていないのだが、『日本近代文学大事典』には見つかるので、それを引いてみる。

 中山正男 なかやままさお 明治四四・一・二六~昭和四四・一〇・二二(1911~1969)小説家、実業家。北海道佐呂間町生れ。専修大学法科中退。下中弥三郎に見いだされ雑誌「維新」「陸軍画報」の編集に当たる。日中戦争に陸軍嘱託として従軍。『脇崎部隊』(昭一四・一 陸軍画報社)以下の従軍記を発表。自伝小説『北風』(昭一七・三 平凡社)を書く。戦後追放。解除後は木材、石油、出版などの会社を興す一方『馬喰一代』正、続(昭二七・七 日本出版協同株式会社)『馬喰一代風雲篇』(昭和二八・六 東光書房)を書き、映画化もされた。日本ユースホステル協会会長、新理研映画社長。
 

 これを中山の『一軍国主義者の直言』によって補足してみる。中山は満州事変から支那事変に至る軍国主義の隆盛の中で大学生活を送り、必然的に国家主義者になっていく。そして平凡社の下中弥三郎が経営していた維新社に入った。維新社は時流に乗った日本主義標榜の雑誌『維新』を刊行し、自由主義や共産主義と戦う右翼の人々が論陣を張っていて、「多分に軍国主義昂揚の前座的」役割を果たしていたという。この『維新』は未見であり、『平凡社六十年史』にも、その発行の記載はあるけれど、言及はされていない。中山の証言は続いている。

 私ははじめこの維新社の営業部員になって、広告とりや雑誌の特殊販売を受持った。ところが下中社長はいまひとつ、維新社の経営で『陸軍画報』というのを発行していた。この雑誌を維新社の名において、在満州兵の慰問品に売りさばくのが私の仕事である。私は入社早々この販売に相当の成績をあげて下中社長に認められた。まもなく維新社は経営困難の理由で『陸軍画報』の発行を分離した。
 『陸軍画報』はやがて陸軍省新聞班の応援のもとに、原口健三が主宰して発行をはじめた。ところがこれも半年ぐらいで経営困難になった。そのときピンチヒッターとして登場したのが二十四歳の私である。以後終戦まで十年、『陸軍画報』の経営者として、国防思想と軍事知識の普及に全力をつくすとともに、多くの軍人とも知り合った。

 これらの中山の立項と証言によって、軍事画報社の軌跡、及び『一軍国主義者の直言』における昭和十二年からの支那従軍記、北支軍宣撫班創立者にして、「どこまで続くぬかるみぞ」の作者八木沼丈夫への言及で、その軍歌のよってきたるところが明らかになる。

 それに私は十代の頃に、三船敏郎、京マチ子主演、木村恵吾監督『馬喰一代』(大映東京、昭和二十八年)を観ているが、原作者のことはまったく知らなかったし、後に『馬喰一代』(東都書房)を読んで、その事実を知ったのである。

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 なお『下中弥三郎事典』には『陸軍画報』が立項され、中山の証言を補足する内容であろうことを付記しておく。


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