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古本夜話1331 雑誌委託制の始まりと婦人誌の全盛

 明治三十年代後半から大正にかけて、多くの女性誌が創刊され、大正時代には神近市子や望月百合子たちが新聞の婦人記者となり、昭和に入ると婦人誌が全盛となっていく。だが二十世紀の昭和時代が婦人誌の全盛だったことを記憶している読者や出版人はもはや少数派に属するのではないだろうか。昭和五十年代まで、『主婦の友』『婦人倶楽部』『主婦と生活』『婦人生活』の新年号発売は出版業界の一大イベントのようで、それぞれに家計簿と付録を競い、料理などの実用記事と相俟って「主婦」や「婦人」が良妻賢母を表象するタームとして機能していたことになろう。

 しかしそのような婦人誌も昭和末期から平成にかけて、『婦人倶楽部』を始めとして休刊に追いやられ、主婦の友社に至っては図書館やカザルスホールを備えていていた御茶の水本社もなくなってしまい、往年の婦人誌の栄光も忘れ去られようとしている。だが戦中から戦後にかけて、『主婦の友』を創刊した石川武美は出版業界の重鎮として、しかも取次においても重要な役割を担っていたのである。『出版人物事典』の立項を引いておこう。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [石川武美 いしかわ・たけよし]一八八七~一九六一(明治二〇~昭和三六)主婦の友社創業者。大分県生まれ。中学二年で上京。同文館書店に入店。営業部を経て、『婦女界』『婦人之友』の編集に参加。海老名弾正に師事、キリスト教の洗礼を受ける。一九一六年(大正五)東京家政研究会を興し、翌年二月『主婦之友』を創刊、二一年(大正一〇)社名も主婦之友社と改称。『主婦之友』は実生活にすぐ役立つ雑誌として、婦人雑誌に新しい分野を開拓した。四一年(昭和一六)財団法人文化事業報国会を設立、四七年お茶の水図書館を開館、戦時中日本出版会会長、日本出版配給株式会社社長をつとめた。五〇年(昭和二五)東京出版販売株式会社(現・トーハン)社長。第一回印刷文化賞を受賞、五八年(昭和三三)、婦人家庭雑誌の創造と確立、大型化の先鞭をつけた功績で第六回菊池寛賞受賞。著作は『石川武美選集』(御茶の水図書館)に収められている。

 石川が戦時中の国策取次の日配、戦後の東販の社長に就任していることだけをとっても、彼の出版業界における特異なポジションと『主婦之友』の編集のみならず、流通販売の神話が了承されるであろう。残念ながら『主婦之友』は含まれていないけれど、明治から大正にかけて創刊されたそれらの婦人誌の複刻が手元にあるので、創刊編集者などを加えて挙げてみる。


1 『婦人画報』   明治三十八年  近事画報社   国木田哲夫(独歩)
2 『婦人世界』   明治三十九年  実業之世界   増田義一
3 『婦女界』   明治四十三年  同文館   森谷定逸
4 『婦人公論』   大正五年    中央公論社   麻田駒之助
5 『婦人くらぶ』  大正九年    大日本雄弁会  太田稠夫

 1の『婦人画報』だけは四六倍判でアールヌーヴォー調の表紙と照応するように、その半分近くは女性、絵画なども含んだ一ページの口絵写真による「画報」で占められ、タイトルにふさわしいイメージに包まれている。近事画報社に関しては拙稿「出版者としての国木田独歩」(『古本探究』所収)を参照してほしいし、『婦人画報』は東京社に引き継がれ、『近代出版史探索』30の柳沼沢介の武俠社から婦人画報社へと継承されていく。

 2の『婦人世界』の創刊は本探索でも繰り返しふれてきているが、近代出版史における事件だったのである。それはその創刊号や『実業之日本社七十年史』でも言及されていないが、博文館の雑誌に代表される買切制に対して委託制を導入したことである。大正六年創刊の『主婦之友』がそれにならったのはいうまでもないだろう。つまり『婦人世界』と『主婦之友』はともに手をたずさえて雑誌の委託制を推進したことになり、その事実が石川をして、取次の社長も兼ねるという出版業界の特異なポジションへと押し上げたのではないだろうか。

 3の『婦女界』は大正元年に都河龍の婦女界社へと譲渡され、昭和戦前の婦人誌の一方の覇を唱える存在となった。5の『婦人くらぶ』はいうまでもなく、戦後の講談社の『婦人倶楽部』として、これも婦人誌の範のような存在であった。

それらに対して、4の『婦人公論』は神近市子や伊藤野枝も同人だった『青踏』に影響を受け、『中央公論』の婦人問題特集の好評を背景とし、嶋中雄作が主として創刊企画に携わったこともあり、自由主義と女権拡張をめざしていたことが明白に伝わってくる。なおこれは近代文学館の「複刻 日本の雑誌」ではなく、「中央公論社創業100年記念」複刻版によっている。

  (「中央公論社創業100年記念」複刻版)

 これらの創刊号復刻をあらためて手にして比較してみると、束がある厚さにもかかわらず、『婦人くらぶ』を除いて、背に雑誌タイトルが付されていない。それはこれらの婦人誌が創刊時から書店において複数配本による平積み販売、もしくは面陳販売を前提として流通していた事実を物語っているし、そこにも委託制販売への移行が表われていると推測される。

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