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古本夜話1337 三宅雪嶺と『志賀重昂全集』

 『日本及日本人』(『日本人』)が三宅雪嶺や志賀重昂を中心とする政教社から刊行され、そこに前回の鵜崎鷺城『薩の海軍 長の陸軍』、中島端『支那分割の運命』、コナン・ドイル、藤野鉦齋訳『老雄実歴談』、『青木繁画集』、長谷川如是閑『額の男』『倫敦』、鳥居素川『頬杖つきて』、川東碧梧桐選『日本俳句鈔』第二集の一ページ出版広告を見て、あらためて政教社が書籍出版社であることを確認させられた。それに三宅も『出版人物事典』に立項されている。

(『日本人』創刊号) (『薩の海軍 長の陸軍』) (『支那分割の運命』)(『青木繁画集』) (『倫敦』)出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [三宅雪嶺 みやけ・せつれい、本名雄二郎]一八六〇~1945(万延元~昭和二〇)政教社創業者。金沢生れ。東大哲学科卒。東大編輯所、文部省編輯局に勤務したが、一八八八年(明治二一)志賀重昂、井上円了、杉浦重剛らと政教社を創立、雑誌『日本人』を創刊、一九〇七年(明治四〇)『日本』を合併して『日本及日本人』と改題、主筆となった。また出版では雪嶺の著書『真善美日本人』『偽悪醜日本人』『我観小景』をはじめ、ベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』などを出版した。二三年(大正一二)政教社を離れ、女婿中野正剛と『我観』を創刊した。四三年(昭和一八)第三回文化勲章を受賞。戦後(昭和二四~二九)に回想録『同時代史』全六巻が刊行された。

 (『日本風景論』)同時代史 第2巻 明治十一年より明治二十六年迄

 政教社の書籍に関して、岩波文庫の『日本風景論』『倫敦』は別にして、先述のものや雪嶺の著作を入手していないこともあって、これまで言及してこなかった。それでも筑摩書房の『明治文学全集』に『政教社文学集』『三宅雪嶺集』があることは承知していたし、架蔵しているのだが、何となく敷居が高い感じで、それほど親しんでこなかった。とりわけ前者は志賀重昂、杉浦重剛、陸羯南、福本日南、長澤別夫、内藤湖南篇で、馴染みがうすく、福本の「エミール・ゾラ」などを参照してきただけだった。

日本風景論 (岩波文庫)  倫敦!倫敦? (岩波文庫) 明治文學全集 37 政教社文學集  明治文學全集 33 三宅雪嶺集

 ところが志賀だけは『世界山水図説』(冨山房、明治四十四年初版、大正元年十五版)、『志賀重昂全集』(第二巻、同全集刊行会、昭和三年)を入手していた。ただ前者は教科書副読本的な学校採用書籍で、刊行は赤坂区霊南町の地球調査会事務所とのジョイント企画である。後者は重昂死後の翌年に、編輯者兼発行者を志賀富士男とするものである。彼はおそらく重昂の息子だと考えられるが、こちらは円本時代の「非売品」扱いで、刊行された全八巻の一冊であった。『日本近代文学大事典』の志賀の項のところにこの『全集』の扉が書影として示されているが、私が入手したのは函入菊判上製の一冊で、その装幀造本は『日本風景論』の著者にふさわしいギリシア文様をあしらい、その下にラクダの隊列を浮かび上がらせるというシックなものであった。

 (『世界山水図説』)   (日本図書センター復刻)

 したがって円本に則った「非売品」扱いでの全集予約出版形式、及びその装幀造本からして、単に重昂の子息が編輯者兼発行者として設立した全集刊行会から出版しただけだとは考えられず、有能な編集者と販売に通じた営業担当者がいたはずだと思われた。しかし手がかりがつかめず、取り上げてこなかったのである。そこで前回『日本及日本人』にふれるに及んで、その発行兼編輯人八太徳三郎などの政教社の編集者たちが志賀重昂全集刊行会のスタッフを務めたのではないかと思われてきたのである。

 それは先の立項でもみたように、雪嶺は他の同人たちとの間で意見の対立が生じていた。また大正九年創刊の『女性日本人』の不振、十二年の関東大震災による被害もあり、雪嶺の『日本及日本人』は九月で終刊となり、彼は中野正剛と『我観』を創刊する。他の同人たちは十三年政教社から『日本及日本人』を復刊するが、ナショナリズム的偏向が著しく、見るべきものは少ないとされる。

(創刊号)

 雪嶺と他の同人たちの対立、その際の重昂のポジション、政教社と『日本及日本人』編集部の復刊の関係は詳らかにしないが、昭和二年に重昂は亡くなっている。だがそれは円本時代の只中であり、『日本風景論』のベストセラーの著者にして地理学者、政治評論家の死が全集刊行へ向かうのは当然の成り行きだったし、政教社と『日本風景論』などの版権の問題も絡んでいたにちがいない。それゆえに発行所は政教社ではなく、新たに子息を編輯兼発行者とする志賀重昂全集刊行会が設立されたのではないだろうか。

 同会は志賀富士男の住所と同じ東京市外代々木に設けられているが、それはいずれもダミーのように思われるし、実際には彼に代わる編集兼発行者がいたはずで、それが『日本及日本人』の発行編輯人を務めた八太だった可能性も大いにありうる。だが長きにわたって留意しているにもかかわらず、八太が『近代出版史探索Ⅲ』558の井上哲次郎の関係者だったことしか判明していない。いずれ雪嶺の『同時代史』(岩波書店)も読まなければならない。


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