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古本夜話1336 鵜崎鷺城『頭を抱へて』と興成館書店

 前回の大正二年の『日本及日本人』第六〇四号のトップ書名記事に鷺城学人「誤られたる大隈伯」が挙げられていることにふれた。これは「人物評論」としての連載の一編のようで、武内理三他編『日本近現代史小辞典』(角川書店)を参照し、大正二年三月の政治状況を絡め、要約してみる。

日本近現代史小辞典 (角川小辞典 25)

 大正元年に西園寺内閣が陸軍の師団増設要求によって倒されると、不況下にあって緊急財政、減税を求める実業家などから軍閥批判が高まった。そうした政治状況下で軍の実力者の桂太郎が後任内閣を組織すると、政友会、国民党を中心とした憲政擁護運動へと発展し、大正二年に桂はそれに対し、自ら立憲同志会を組織し、解散をもって対抗しようとした。ところが二月に議会が民衆に取り巻かれ、やむなく総辞職した。これは大正政変とよばれ、鷺城が「過ぐる政変以来」と書き出しているのはそれを意味している。その桂内閣に代わって、山本権兵衛内閣が成立するのだが、大正四年にシーメンス事件で倒れ、大隈重信が立憲同志会を与党として内閣を組織するに至る。

 このような政治的過程において、大隈は明治四十三年に政界を退き、早大総長となっていたのである。それなのに政党争いに巻きこまれるようなかたちの大隈のカムバックは間違いで、鷺城は「政治よりも本業ならざる教育に成功せるを自覚し、専ら国民教育家として立ち」続けるべきだと論じている。そして「吾輩は彼を尊敬するがゆえに之を惜み、惜むが故に此一篇を草して彼の反省を促すのみ」と結んでいる。ところがそうはならず、大隈内閣が大正三年四月からスタートしていくのである。

 この鷺城学人は『日本近代文学大事典』に鵜崎鷺城として立項されているので、それを紹介も兼ねて引いておこう。

 鵜崎鷺城 うざきろじょう 明治六・一一・一~昭和九・一〇・二八(1973~1934)新聞記者、評論家。兵庫県の人。本名は熊吉。東京専門学校(現・早大)卒。明治四〇年「東京日日新聞」の記者となり「毎日電報」紙上に人物評論を連載して好評を博す。四二年国民党に参加し、古島一雄らとともに犬養毅を助けて党勢拡張に尽力。四五年東日を退き、以後昭和初年まで「日本及日本人」「中央公論」等において軍閥、財閥の批判に健筆を揮った。大正一一年、関門日日新聞主筆となる。著に『犬養毅伝』(昭七・一二 誠文堂)『人物小春秋』などがある。

 この立項によって、「誤られたる大隈伯」に顕著なように、鷺城が政界と政党のメカニズム、その権力闘争にも通じていることが了承される。この鷺城の著作を二十年ほど前に入手し、その後、谷沢永一が『遊星群』(和泉書院)で言及しているのを目にしているけれど、機会がなくて取り上げてこなかった。それは『頭を抱へて』で、裸本だが、蓮の花と葉をあしらった瀟洒な装幀であり、大正四年に京橋区南鞘町の興成館書店から刊行されている。発行者は西川清吉で、版元名と同じく、ここで初めて目にする。

遊星群―時代を語る好書録 明治篇   

 『頭を抱へて』は前半が「ラスキン情話」「文豪と女性」「神秘的の罪」などの英国文壇物語やベルギーの犯罪事件を対象とした長めのレポートといっていい。だが後半はそれこそ「誤られたる大隈伯」の続編ともいうべき「蒸直しの大隈内閣」から始まる「人物評伝」が十七本、それに類する政治状況論が二十編以上収録され、鷺城が西洋文学事情や世情にも通じ、「時事放談」も語ることができるジャーナリストで、それなりに人気があったことがうかがわれる。これらの掲載誌の記載はないが、多くが大正三年とある。

 (大正3年5月号) 
  
 しかし「自序」に明らかだが、大正政変下での『日本及日本人』における「人物評論」連載は物議をかもしていたようで、「本年は春来舌戦の東奔西馳した」し、相次いで妻子も病み、「しばし探薪の憂を抱く身となり」、それに加えて「精神上不快なること相亜で起れり」と述べている。そうした中にあって「如何に憂事の多き時も、余は読書と述作を廃する能はず。頭を抱へて書を読み、頭を抱へて筆を執る時、楽自ら箇中にあり」とも記し、本書のタイトルもそれに基づくことが明かされている。

 興成館の西川と鷺城の関係は前から続いていたようで、巻末の出版広告には鷺城の『野人の聲』『鳥の目だま』が見え、『頭を抱へて』の正価九十五銭に対して、前者が一円、後者が九十銭であることを考えると、いずれも同じ判型造本によると判断できよう。どのような装幀なのか、見てみたいと思う。古本屋で実物に会うことができるだろうか。

(『鳥の目だま』)


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