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古本夜話1367 横浜美術館『小島烏水 版画コレクション』

 今橋映子編著『展覧会カタログの愉しみ』(東大出版会)があるのは承知しているけれど、展覧会カタログの全容は把握しがたく、刊行も古本屋の店頭で出合うまでは知らずにいたことも多い。それに市販されていないので、目にふれる機会も少ない。そのような一冊が横浜美術館企画・監修『小島烏水 版画コレクション』(大修館書店、平成十九年)で、サブタイトルは「山と文学、そして美術」とあった。このカタログが大修館を発行所としているのは、昭和五十年代にいち早く『小島烏水全集』を刊行したことによっているのだろう。

展覧会カタログの愉しみ   小島烏水版画コレクション―山と文学、そして美術   小島烏水全集 第1巻

 烏水が志賀重昂の『日本風景論』や大下藤次郎の水彩画にまつわる人脈に連なり、本探索1364で大下亡き後にその夫人を助け、『みづゑ』の編輯を担った経緯を既述しておいたが、彼が版画や美術コレクターだったことはこのカタログを入手するまで念頭になかった。とりわけ西洋版画はデューラー、ゴヤ、ミレー、ドラクロワ、ドーミエ、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、ピカソにまで及んでいて、当時の西洋版画コレクションとしては驚くばかりの収集のように思われる。

 (『日本風景論』)

 『小島烏水 版画コレクション』の圧巻は浮世絵に加えて、それらの西洋版画を収録した「東西版画コレクション」で、同書の半分以上を占めている。烏水は山や風景論との関係から歌川広重の浮世絵に注視するようになり、優れた浮世絵が国外に流失している事実に気づき、本格的な浮世絵研究と収集を始め、大正三年に『浮世絵と風景画』を上梓するに至る。この版元は『近代出版史探索Ⅱ』225の前川文栄閣で未見だが、日本で最初の実証的浮世絵研究書とされる。歌川広重「東海道五拾三次」や葛飾北斎「冨嶽三十六景」などを中心に四百点近くを収集したようだが、昭和十六年には売り立てられ、散逸したと伝えられている。これらの「東西版画コレクション」の浮世絵図版はその際の『目録』の再現のようだ。

 (『浮世絵と風景画』)

 烏水は大正四年に横浜正金銀行ロサンゼルス分店長として赴任し、翌年にロサンゼルス博物館美術工芸ギャラリー(現ロサンゼルス・カウンティー美術館)で、自らの浮世絵コレクションの展覧会を開催した。同じくその展示室にあったデューラーやレンブラントの版画を見て、西洋版画にも目覚め、こちらも五百点以上を収集し、帰国後の昭和三年に「小島烏水蒐集泰西創作展欄会」を開いた。これも日本で初めての西洋版画の体系的な紹介となった展覧会で、美術界に対して衝撃を与えたとされる。つまり烏水はアルピニストであっただけでなく、先駆的な浮世絵と西洋版画のコレクターにして研究者だったことになろう。

 だがそれはひとまずおき、ここで肝心の水彩画のことにもどらなければならない。『小島烏水 版画コレクション』の最初のセクションは「山と文学から美術へと」題され、次のような言及がなされている。

 烏水は、大下藤次郎や丸山晩霞、三宅克己らの自然の美を描いた水彩画にも共感し、自著の口絵や挿幀を彼らに依頼し、自然美を軸として文学と美術の融合を試みた。また、彼らの作品評を雑誌に発表し、「水彩画講習所(後に日本水彩画研究所と改称)」の開設に際しては資金援助をした。特に大下との交流は深く、1909(明治2)年に大下が急逝すると、彼が主催していた雑誌『みづゑ』の編集を手伝い、廃刊の危機を救った。烏水は、大下藤次郎の水彩画について「清流や止水の表現に優れている」と評し、また、丸山晩霞の作品については、「私はあんなに、水々しい緑、生々しい苔、詩人ワーズワースの話し相手になりそうな岩、画面から禽の声でも落ちて来そうな森林の幽邃を味わったことはなかった」と述べている。

 実際に大下は「梓川と焼岳」「六月の穂高岳」「雨雲の富士山」「題名不詳[山あいの村]」「飯坂付近」「上州赤城連山」、丸山は「題名不詳[夏の山岳風景]」「展けたる谷」「題名不詳[森の中]」「同前[山岳風景、万里の長城]」が収録されている。烏水の大下評の「清流や止水の表現に優れている」は「梓川と焼岳」、丸山評の「水々しい緑」と「ワーズワースの話し相手になりそうな岩」は「同題名不詳[夏の山岳風景]」、「生々しい苔」と「禽の声でも落ちて来そうな森林の幽邃」は「同前[森の中]」を前にしてもらした言葉のように思われる。

 また大下の「梓川と焼岳」を口絵とし、丸山の装幀によるのは『山水美論』(如山堂、明治四十一年)、丸山の口絵と装幀は『山水無尽蔵』(隆文館、同三十九年)、『雲表』(左久良書房、同四十年)で、これらの書影も『小島烏水 版画コレクション』で見ることができる。

   

 なお水彩画は大下と丸山の他に、三宅克己、荒木猪之吉、吉田博、鶴田吾郎などの作品も収録され、烏水のコレクションと同時代の水彩画家たちの世界をうかがわせている。また自筆スケッチ帖なども含め、八点に及ぶ荒木の作品はここで初めて目にするが、横浜生まれの山岳画家で、烏水の親友といえる人物であり、単行本の表紙や口絵を最も多く手がけているようだ。いずれ古本屋でめぐりあえることを期待しよう。


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