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古本夜話1364 『みづゑ』と特集「水彩画家 大下藤次郎」

 宮嶋資夫の義兄大下藤次郎のことは何編か書かなければならないので、本探索1353に続けてと思ったのだが、少しばかり飛んでしまった。大下に関しては他ならぬ『みづゑ』が創刊900号記念特集「水彩画家 大下藤次郎」(昭和五十五年三月号)を組んでいる。

みづゑ NO.900 1980年3月号 創刊900号記念特集|水彩画家・大下藤次郎|総目次 ( 900号)

 このA4変型判『みづゑ』は一二六ページが大下の特集、一二〇ページが「みづゑ総目次」に当てられ、この一冊だけで『みづゑ』創刊者の生涯と作品、明治三十八年創刊号から昭和五十五年までの900号のすべての内容をたどることができる。そのためにこの号は貴重な保存版といっていいだろうし、当たり前のことだが、先の拙稿で引用した『出版人物事典』の立項からは伝わってこない大下の知られざるポルトレと人脈を提出し、多くの事柄を教示してくれる。

  出版人物事典―明治-平成物故出版人

 この特集で注視すべきは何よりもまず大下の水彩画が一ページカラーで六十点余を掲載し、大下の画家としての並々ならぬ力量を浮かび上がらせ、一冊の作品集とならしめていることである。私の好みで挙げれば、「日光」や「越ヶ谷」などの村と街道、川沿いの村の佇まいは淡くはかなげに描かれ、大下ならではの水彩画の風景のように感じられる。ここであらためて『みづゑ』が水絵=水彩画のための専門雑誌として創刊されたことを想起する。これらの水彩画に加え、寄せられた「年譜」を含む八本の大下論はいずれも秀逸で、すべてを紹介したいけれど、陰里鉄郎「大下藤次郎の生涯」と孫に当たる大下敦「大下藤次郎の出版活動」にしぼるしかない。

 まず前者により、大下の生涯を追ってみる。大下は明治三年に東京府本郷区真砂町の馬宿、馬車問屋、陸軍馬匹用達、さらに旅屋も兼ねる商人の長男として生まれ、東京法学社(法政大学の前身)を出て、数年の間は家業に従事している。明治二十六年に父が死去し、家督を相続すると本格的に水彩画に打ちこみ始める。そのきっかけは『近代出版史探索Ⅱ』338の三宅克己と知り合ったことで、展覧会への出品、及び画家や文学者たちとの交遊も拡がり、原田直次郎に師事し、森鷗外とも懇意になっていく。

 その一方で、水彩画と風景画に関して、本探索1337の志賀重昂『日本風景論』を読み、国木田独歩『武蔵野』や徳富蘆花『自然と人生』へとも続いていったのである。『武蔵野』と『自然と人生』に関しては、拙稿「新しい郊外文学の誕生」「東京が日々攻め寄せる」(いずれも『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を参照いただければ幸いだ。そうした文学者人脈は三宅を通じて蒲原有明ともつながっていく。

    郊外の果てへの旅/混住社会論

 そして明治三十四年に蒲原の紹介で、鷗外の「題言」を添え、大下の『水彩画之栞』が上梓される。同書は異例の売れ行きで、その年末までに六版を数え、二万部に及んだとされる。それは水彩画ブームを隆盛に導く「栞」でもあり、水彩画絵葉書や流行を誘発し、同三十八年の『みづゑ』創刊へと連鎖していったのである。

 そうした水彩画ブームに寄り添う「大下藤次郎の出版活動」をレポートしているのは、三代目美術出版社の社長である大下敦で、書影を示し、それらをたどっている。私は一冊も入手に至っていないので、それらをリストアップしてみる。

1 『水彩画之栞』 新声社 明治三十四年
2 『水彩画階梯』 内外出版協会 明治三十七年
3 「金色夜叉絵はがき」 盛文堂 明治三十八年
4 『水彩画帖第一輯』 金桜堂 明治三十九年
5 『最新水彩画法』 精美堂/博文館 明治四十二年
6 『十人写生旅行』 興文社 明治四十四年
7 『水彩写生旅行』 嵩山房 明治四十四年
8 『瀬戸内海写生一週』 興文社 明治四十四年
9 『写生画の研究』 目黒書店 明治四十四年

  (『十人写生旅行』)(『瀬戸内海写生一週』)

 この他にも博文館から『水彩習画帖』が五冊出されているようだが、『博文館五十年史』を確認してみると、5と同様に見当らない。おそらく博文館はそれらの発売所を引き受けただけなので、「出版年表」に掲載がないのであろう。だがその代わりのように、中村不折の『水彩絵手本』(明治四十年)三冊が見出される。6と8は大下の単著ではなく、写生旅行をともにした画家たちとの共著で、6には不折も加わっていることからすれば、大下、水彩画、博文館の関係も生じていたと見なすべきで、それゆえに『水彩習画帖』シリーズの発売所にもなっていたことになる。

 ただあらためて驚かされるのは、明治三十年代から四十年代にかけての水彩画の隆盛で、大下はこの時代に水彩画本、講習会、写生旅行などの中心にいて、その只中で『みづゑ』を創刊したとわかる。しかしこれは本探索でもふれておいたように、実用書の分野に属するこれらの水彩画本は古本屋でも出会えず、未見のままなのである。

 それから大下は、明治四十四年の藤次郎の死後、祖母の春子が小島烏水の強力な支援を受け、『みづゑ』の刊行を続け、昭和八年まで二十年以上も実質的な編集責任者のポジションにあったことの偉業をたたえている。もちろんの特集号には大下夫妻の写真も収録されているけれど、春子の弟が宮嶋資夫で、彼が大下の蔵書を通じて文学に目覚め、プロレタリア文学者の道へと歩んでいったことにはふれられていない。だが大下の水彩画と『みづゑ』の時代も本探索1353で既述しておいたように、プロレタリア文学と社会主義運動の時代とつながっていたのである。


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