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古本夜話1404 長沼賢海編『南蛮文集』と「南蛮物」

 前々回ふれなかったが、三島才二編校註『南蛮稀聞帳』は浜松の時代舎で見つけたもので、そこに長沼賢海編『南蛮文集』(南陽堂、昭和四年)もあり、一緒に購入してきている。

(『南蛮稀聞帳』)  

 前者の鮮やかな色彩の装幀は既述したが、後者は黒衣をまとったマリア像を装画とし、千ページを超える厚さで、四六判ながら、束は五センチに及び、六円五十銭という高定価である。中沼は九州帝大教授で、この『南蛮文集』に収録した「切支丹文献」は「序」によれば、「大正十三年春から翌十四年秋まで、欧州に居りました間に、蒐集したものばかり」、「慶応前後に出版された、国語の切支丹文献中の代表的なものが多い」と述べられている。それはどのような「切支丹文献」なのか、リストアップしてみる。

 *「天草版平家物語」
 *「天草版イソツプ伝」
 *「天草版イソツプ物語」
 *「科除規則」
 *「校正再刻とがのぞき規則」
 *「ぎやどべかどる」上下
 *「校正胡无血利佐無能略」
 *「懺悔録」
 *「どちりなきりしたん」
 *「彌撒拝礼式」

 これらの「切支丹文献」はヨーロッパにも流失し、長沼が図書館や古文書館などで筆写したものをベースとしているが、日本でも明治になって復刻されたものもあるようだ。私が知っているは「天草版イソツプ物語」「どちりなきりしたん」くらいで、それらの文献に通じているわけではない。念のために『キリシタン書・排耶書』(『日本思想大系』25、岩波書店、昭和四十五年)を参照してみると、「どちりいなーきりしたん」「こんちりさんのりやく」=「胡无血利佐無能略」の収録は見られるが、その他のものはない。それに参考文献にも『南蛮文集』は見当たらない。長沼の「序」によれば、同書は昭和三年に『近代出版史探索Ⅲ』562の警醒社から刊行され、翌年の春陽堂版は再版と考えられ、それなりに評判となり、売れたようなのだ。ただ当時は「切支丹文献」というよりも、『南蛮稀聞帳』と同じく「南蛮物」という分野にとどめられていたのかもしれない。

日本思想大系〈25〉キリシタン書・排耶書 (1970年)

 私が「南蛮物」を知ったのは、かつて新村出の『新編琅玕記』(旺文社文庫、昭和五十六年)を読んだからで、そこには「近世輸入服飾品とその名称」「ちゃるめら」「南蛮酒に就いて」などが収録されていたのである。そして明治末から昭和初めにかけて南蛮異国情緒というトレンドが形成され、その中心にいたのが新村で、『南蛮更紗』(改造社、大正十三年)、『南蛮広記』(岩波書店、同十四年)、『琅玕記』(改造社、昭和五年)などが続けて出されていた。

(旺文社版) (『南蛮更紗』)(『南蛮広記』)

 旺文社文庫に関しては『近代出版史探索Ⅶ』1317で、正木ひろし『近きより』にふれているが、当時の文庫として端倪すべからざるラインナップのセクションだったはずで、新村の『南蛮更紗』や『南蛮広記』なども続刊され、読むことができるはずだった。ところがその後廃刊へと追いやられたことで、それは実現しなかったのである。旺文社文庫編集事情と廃刊については、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(「出版人に聞く」4)、伊藤清彦『盛岡さわや書店奮闘記』(同2)を参照されたい。その「旺文社文庫日録」は井狩春男『文庫中毒』(ブロンズ新社)に収録されていることも付記しておこう。

(弘文堂版)リブロが本屋であったころ (出版人に聞く 4) 盛岡さわや書店奮戦記―出版人に聞く〈2〉 (出版人に聞く 2)  文庫中毒

 それもあって、新村の「南蛮物」にはいずれ古本屋で出会えるだろうと思っていたのだが、見つけられないままに時が過ぎ、代わりに『南蛮稀聞帳』を拾ったことになる。そして「南蛮物」が前者のような南蛮異聞と切支丹文献といったかたちで出版され続けていたことを教えられたのである。その始まりは明治四十二年の北原白秋『邪宗門』における南蛮異聞情緒に求められ、その「邪宗門秘曲」に示された「われは思ふ。末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。」は『近代出版史探索Ⅲ』425のエピグラフに引いておいたように、生田蝶介の『島原大秘録』三部作へと継承され、その後の時代小説に大きな影響を及ぼしていったと見なすことができよう。この三部作は『同Ⅲ』427の平凡社の円本『現代大衆文学全集』に収録されるに至っている。

原城天帝旗 (島原大秘録) (『島原大秘録』第3巻『原城天帝旗』)

 そうした意味において、昭和初期には「南蛮物」として、時代小説も加えられたことになるし、そのかたわらで『南蛮稀聞帳』や『南蛮文集』が刊行されていた事情を了承するのである。


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