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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1405 村岡典嗣『吉利支丹文学抄』

 例によって浜松の時代舎で、村岡典嗣の『切支丹文学抄』を見つけた。菊判上製、付録を合わせると三五〇ページの一冊である。裸本ながら藍色の本体に寄り添うような、天金ならぬ天青の造本は、神父の僧服を彷彿とさせるし、三円五十銭の定価はこうした分野の読者層と人気を伝えているかのようだ。

 版元は改造社で、大正十五年五月に刊行されていることからすれば、『近代出版史探索Ⅵ』1062の円本『現代日本文学全集』の第一回配本『尾崎紅葉集』とほぼ同時期の出版だったとわかる。連日の新聞を騒がす鳴り物入りの円本プロパガンダの只中に出されていたのである。それに巻末を見てみると、前回の新村出『南蛮更紗』と松崎實『考註切支丹鮮血遺書』のそれぞれ一ページ広告が掲載され、円本時代が「南蛮物」や「吉利(切)支丹物」も出版トレンドだったことをうかがわせている。ちなみに『近代出版史探索Ⅶ』1376の芥川龍之介『支那游記』の広告もあり、「支那」も同様のように思われる。

  (『南蛮更紗』) (『考註切支丹鮮血遺書』)

 実はかつて拙稿「小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と松山俊太郎」(『古本屋散策』所収)において、小栗が参照したヴィリヨンの『日本聖人鮮血遺書』に言及したことがあった。これも時代舎で入手したもので、大正十五年に日本カトリック刊行会から「カトリック叢書」第一編として出版されている。この「叢書」が何冊刊行されたのかは不明だが、改造社を始めとする、これらの出版の事実からしても、大正時代から「南蛮物」や「切支丹物」の出版ブームが招来されていたのであろう。
 

 それを背景として、村岡の『切支丹文学抄』も刊行されたと考えられる。彼は『日本近代文学大事典』にも立項が見出されるように、東北帝大教授として日本思想史を講じ、『本居宣長』(岩波書店)を著し、同じく岩波書店版『本居宣長全集』の編纂にも携わっている。その村岡がこのような著作も刊行しているとは思ってもいなかったし、もちろん先の立項でもふれられていない。それは彼もその「はしがき」で、自ら「編者」として、「吉利支丹研究者たる資格を有する者ではありません」と断わった上で、「数年前、偶ま外遊の機を得て、英仏の大文庫所蔵の二三の文献に親しく接」して、それらの「伝来唯一といふべき稀覯書」の「筆録」を試みたと述べている。その中から選択し、日本に存在し再刊されている同種の古典からの抜抄を加え、さらに「序論付録」も添え、「此方面の研究者の為に、資料を提供しようといふ目的」で公刊されたことになる。

本居宣長  本居宣長全集〈第1巻〉宇比山踏,玉勝間,答問録 (1968年) (『本居宣長全集』)

 村岡の言は『切支丹文学抄』に紹介されている文献が異なり、さらに多くの「さん・ぺいとろの御作業」などの十四編に及んでいるにしても、前回の長沼賢海編『南蛮文集』のコンセプトとまったく同じだといっていい。また村岡は続けて、その「序説」にも挙げられ、『南蛮文集』にも収録されている「どちりなきりしたん」の東洋文庫からの刊行、大阪毎日新聞社による「吉利支丹叢書」の出版企画も挙げ、「この種の文献が続々世に出でゝ、学界公共の資料とならむことを、学徒の一人として切望します」とまで記している。それは読者や出版社のみならず、アカデミズムの世界においても、円本ではないけれど、この分野の出版人気が高かったことを告げていよう。

 

 そうした事実を物語っているのは、『切支丹文学抄』にはさまれていた新聞の切り抜きである。これはその書評部分けの切り抜きなので、新聞名と年月日を特定できないが、大正十五年のものだと推測される。それは先述の『考註切支丹鮮血遺書』の松崎實による『切(ママ)支丹文学抄』と、これも前掲の姉崎正治の『切支丹禁制の終末』(同文館)の書評に他ならない。そこには「ほとんど期を同じうしてこの貴重な二文献が世に出た事はその方面のために実に祝福すべき事でなければならない」とあるからだ。

 

 村岡の編著は既述しているので、姉崎の著書にふれてみる。『切支丹禁制の終末』は先に出た『切支丹宗門の迫害と潜伏』に続く姉妹編だとされる。松崎の長い書評をたどると、旧幕から明治にかけて切支丹攻撃の書が多かったが、村岡や姉崎の編著の出現に及んで、「切支丹入門の手引」や「護教論」にスポットが当てられようになり、それらは「学究の閑文学」ではなく、きわめて「重要な文献的価値」を有すると見なされてきたからだ。

 

 つまりそのような切支丹の再発見に伴い、これも先の日本カトリック刊行会の「カトリック叢書」、大阪毎日新聞社の「切支丹叢書」が企画刊行されていた。また改造社は昭和四年に『近代出版史探索』104の世界文庫刊行会『世界聖典全集』の新版を刊行しているが、それは切支丹の再発見と同じく、昭和に入っての多彩な世界宗教の見直しと再評価をも含んでいたことになるのだろうか。

世界聖典全集


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