出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1433 スメドレー『女一人大地を行く』、白川次郎、尾崎秀実

 アグネス・スメドレーは一九二八年にデンマークに赴き、その海辺で数ヶ月を過ごし、『大地の娘』(原題Daughter of Earth)という自伝的作品を書き上げた。それが次のように始められているのはそのことによっている。

  Daughter of Earth

 私の前にはデンマークの海がひろがってゐる――寒々と灰色に涯しもなく。水平線といふものはなく海と灰色の空とは融けて一つになつてゐる。翼をひろげた一羽の鳥が海原を越えて飛んで行く。
 こゝに来て数ケ月私は海を眺め、そして一人の人間生活の記録を書いて来た。私の書いたものは誰かゞ一時をそれによつて愉快に過すやうにと作られた絵画でもなく、また精神を鼓舞して生存の憂鬱から解放する和楽でもない。それは絶望と不幸の中に描かれた人生の物語りでもある。
 私はわれわれが皆ある奇妙な事情でたまたま生を受けるやうになつたこの地上のことを書いてゐるのだ。私は卑賤なものゝ喜びと、悲しみと、孤独と、苦悩と愛情とを書く。

 これは昭和九年に改造社から白川次郎訳『女一人大地を行く』として刊行されたものからの引用である。ただ同書は入手しておらず、昭和二十九年の酣燈社版によっているのだが、こちらは白川のペンネームではなく、尾崎秀美実訳にあらためられている。それは序文に当たる「アグネス・スメドレー女史の顔」も同様である。この戦後の版元に関しては拙稿「酣燈社と水野成夫」(『古本探究Ⅱ』所収)を参照されたい。

 (改造社版) (酣燈社版) 古本探究 2

 尾崎はドイツの新聞の特派員の彼女と上海で知り合っている。『女一人大地を行く』は一九二九年にアメリカで出版され、十二ヵ国で翻訳されているが、邦訳は十三番目になってしまったとの断わりも見えている。それにスメドレーからは自分の協力したドイツ訳版による邦訳を依頼されていたので、英語版に基づき、ドイツ語版も参照したとも述べられている。このドイツ語版はユリアン・グンベルツによるもので、初版は二万三千部だったとされ、十三ヵ国の翻訳といい、この時代にまだ中国へと向かっていなかったけれど、スメドレーもエマ・ゴールドマンやマーガレット・サンガと並ぶ世界的なスーパーヒロインとして位置づけされていたことがうかがわれよう。

 それからこれは高杉一郎の『大地の娘』に教えられたのだが、スメドレーを特派員として中国に送った日刊新聞『フランクフルター・ツァイトゥンク』の一面に、ブレヒトとベンヤミンの共訳による『大地の娘』Eine Frau allein)が連載され始めたという。この「近代出版史探索」シリーズは『同Ⅴ』の「あとがき」で記しておいたように、ベンヤミンの『パサージュ論』(岩波書店)をひとつの範として書き進められてきたので、それは驚きでもあった。その事実は高杉にとっても同じだったらしく、彼も書いている。「この二人の訳者とスメドレーのあいだには親交があったにちがいないが、その後の三人三様の足跡をたどると、はげしい歴史の潮流におし流され、あるいは破滅させられる人間の運命を思って、嘆息しないではいられない」と。

大地の娘―アグネス・スメドレーの生涯   パサージュ論(一) (岩波文庫, 赤463-3)

 この場合、「破滅させられる人間」とは一九四〇年に亡命者としてスペイン国境で自殺に追いやられたベンヤミンを想定しているのだろうが、それに加えて『女一人大地を行く』の訳者である白川次郎=尾崎秀実のことも念頭にあったにちがいない。尾崎もまた昭和十六年にゾルゲ事件に連鎖して検挙され、十九年にゾルゲとともに絞首刑に処せられたからだ。しかし二人はスメドレーを通じて知り合っていたし、後に尾崎は「深く顧みれば、私がアグネス・スメドレー女史や、リヒャルト・ゾルゲに会ったことは私にとつてまさに宿命的であつたと云ひ得られます。私のその後の狭い道を決定したのは、結局これ等の人との会(ママ)逅であつたからであります」と供述するに至る。これは『ゾルゲ事件(二)』(現代史資料』2、みすず書房)における尾崎の上申書の一節だが、高須もこれをアレンジして引いている。
 
  現代史資料〈第2〉ゾルゲ事件 (1962年)

 またこれは石垣綾子の『回想のスメドレー』(みすず書房)の中で、ひとつのエピソードが語られている。それは「ゾルゲ事件」の章においてで、石垣が戦後の一九四六年二月になって、尾崎が四四年に死刑に処せられたことを知らせると、スメドレーは動転し、死人のようにおし黙り、泣き崩れた。それからかぼそい声で、「あのかたは私の……私の大切なひと、私の夫、そう、私の夫だったの」といったのである。それまでスメドレーは石垣に尾崎の名前を明かしていなかったし、「病人のようなもだえる彼女の言葉は、極端にいえば半狂乱の謔言であったが、真剣な告白」で、石垣も衝撃を受けたことになる。ただスメドレーと尾崎の関係は前々回に挙げた『アグネス・スメドレー 炎の生涯』では否定されていることを付記しておく。

回想のスメドレー (1967年) (みすず叢書)   

 それでもここで『大地の娘』の著者と訳者をめぐる「三者三様」ならぬ「四者四様」の行末を見ることになったのである。幸いにしてアメリカに亡命したブレヒトは戦後のマッカーシズムの中で東ベルリンに去り、新たな自己の演劇体系の実践と劇場の仕事で、二十世紀の演劇に多大な影響を与えたとされる。

 なお『女一人大地を行く』の翻訳協力者として、英文学に造詣の深い深沢長太郎と聴濤克己が挙げられているが、風間道太郎『尾崎秀美伝』(法政大学出版局)によって、二人が朝日新聞社の同僚であることを知った。
 
  尾崎秀実伝 (教養選書)


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら