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古本夜話1434 石垣綾子、ジャック・白井、青柳優

 前回の石垣綾子『回想のスメドレー』ではないけれど、石垣の「回想」によって、記憶に残された人たちがいる。彼らはジャック・白井と青柳優で、前者は『日本アナキズム運動人名事典』、後者は『日本近代文学大事典』に立項されているので、まったく無名の人物ではないのだが、私にとっても石垣の「回想」の印象が強い。

回想のスメドレー (1967年) (みすず叢書) 日本アナキズム運動人名事典

 ジャック・白井のことを知ったのは石垣の『オリーブの墓標』(立風書房、昭和四十五年)によってだった。その「プロローグ」には次のような一節が見出された。「ジャック・白井という男は全く無名で、片隅に忘れ去られた存在に過ぎない。しかしその彼は苦難にみちた反ファシズムのスペイン戦場にとびこんで、そこで死んだただひとりの日本人である。/ジャック・白井がかつて日本人のだれもがえらばなかった道をえらび、そして死んだ」と。

 当時はジョージ・オーウェルのスペイン革命に兵士として加わったルポルタージュ『カタロニア讃歌』(鈴木隆、山内明訳、現代思潮社、昭和四十一年)がよく読まれていたし、筑摩書房版、角川文庫版も続けて出されていたのである。そのような時代であったからこそ、出版経緯は詳らかでないが、立風書房から『オリーブの墓標』、増補改訂版『スペインに死す』(昭和五十一年)、後に『スペインで戦った日本人』(朝日文庫、平成元年)も刊行されたのであろう。

カタロニア讃歌    スペインで戦った日本人 (朝日文庫)

 ジャック・白井は函館に生まれ、船員としてニューヨークに移り住んだが、孤児だったことから白井という苗字以外は知られていない。一九三〇年代にニューヨークのジャパニーズレストランでコックとして働き、片山潜とつながる日本人労働者クラブに加わり、そこで石垣と知り合っていたのである。そしてスペイン内戦に際し、共和国防衛のためにアメリカ人義勇兵の一人として第15国際旅団リンカン大隊に属し、三一年七月にマドリード西方のブルネテ戦線で戦死するに至る。

 このようなジャック・白井にしても、石垣のレクイエムというべき「回想」が書かれなかったら、その存在は忘れられたままになっていたかもしれない。しかし幸いにして『オリーブの墓標』が刊行されたことによって、ジャック・白井はその後のスペイン市民戦争をめぐる物語において、様々な痕跡をとどめていくことになるのである。逢坂剛『斜影はるかな国』(朝日新聞社)はジャック・白井以外にも日本人義勇兵、それも政府軍の国際旅団に加わった男がいたことを物語のコアにすえている。

斜影はるかな国

 もう一人の青柳優は本探索1405でその名前と著書を挙げておいたが、石垣の『我が愛―流れと足跡』(新潮社、昭和五十七年、後に『わが愛、わがアメリカ』(ちくま文庫、平成三年)において、「青柳優を残して」という章が残されている。石垣は府立第一高女を卒業、大正十年に創立されたばかりの自由学園に入学した。そこで後の村山知義の妻となる岡田寿子を通じて、社会主義グループの赤潤会の活動に関わっていた矢野初子を紹介された。矢野は吉野作造の『文化生活』の編集や翻訳に携わり、石垣もその仲間に加わっていったのである。

 

 しかし大正デモクラシー後退の中で、有島武郎の情死は「理想と現実の接点にぽっかりあいた亀裂のよう」でもあり、それに続く関東大震災と大杉栄、伊藤野枝の虐殺は「権力の冷血な本質を見せつけた最初の事件」だった。石垣は雑誌社を辞め、早大の聴講生となり、女子大生の研究会を開いていく中で、連れ立って築地小劇場に通うようになり、青柳の存在が初めての恋の対象となった。彼は信州出身で、松本中学時代は唐木順三、臼井吉見が同窓であった。

 だが青柳の父は大地主で高名な医者であり、後継ぎの長男が急死したことで、学生の身の青柳と異分子の石垣の結婚を許すはずもなかった。そのような時に姉の夫のワシントン赴任辞令が下り、一緒にこないかという話が持ち上がった。彼女は息苦しい日本を逃れ、女が自由に生きられる国というアメリカのイメージに捉われていたし、アメリカ行きの熱望が高まっていった。

 青柳は石垣のアメリカ行きに賛成し、帰ってくるまでの一年間は「将来のために互いに耐える別離」だとして、それをお互いに信じ、彼女はアメリカへと旅立つことになる。早大講師だった猪俣津南雄にニューヨークの知り合いの紹介を頼むと、友人の彫刻家石垣栄太郎の名前を名刺の裏に書いてくれた。だが結局のところ、一年で帰ることなく、彼女はニューヨークで栄太郎と結婚するに至り、日本に帰国したのは戦後になっての昭和三十年を迎えてからだった。

 青柳のほうは『日本近代文学大事典』の立項において、「当時女子大生であった後の石垣綾子(評論家)との相思は遂げられずながい傷心となった」と記されている。ということはこれもよく知られた恋の顛末ということになるのだろうか。また彼は『近代出版史探索Ⅶ』1227の加藤朝鳥の妹と結婚したようだ。

 それらはともかく、古本屋で青柳の著書には出会っていない。先の立項には昭和十年代の早稲田派新進評論家として活躍し、小学館の『近代日本文学研究』上下巻を編集したとある。こちらは端本を古本屋で見かけているので、売れ残っていたら、今度買い求めることにしよう。


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