出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1436 森本厚吉と文化生活研究会出版目録

 前々回の石垣綾子『わが愛、わがアメリカ』における彼女の自由学園をめぐる回想を読むと、あらためて大正時代において、新たなる学校や雑誌、思想や文化が立ち上がってきたことが臨場感をもって浮かび上がってくる。彼女はその時代の只中を通過してきたのだ。

 

 それは『近代出版史探索Ⅱ』228の羽仁もと子による『婦人之友」創刊や自由学園の創設などに象徴的で、その学習は実生活に基づくものをめざし、一泊の取材旅行をさせ、レポートを書かせたりした。石垣の場合は近江ミッションで、宣教師ヴォーリスの営むメンソレータム会社による収益を投じる社会福祉事業が対象だった。そうしたレポート活動は自由学園の卒業生を婦人之友社の記者として迎え入れるためのものであった。 

 石垣を社会主義運動や婦人運動へと誘った矢部初子にしても、津田塾を出て、吉野作造の『文化生活』の編集、『婦人公論』への寄稿、翻訳などに携わり、平塚らいてう、市川房枝、奥むめおたちが結成した新婦人協会に加わっていた。『近代出版史探索Ⅶ』1331で明治三十年代後半から大正時代にかけて婦人誌の創刊が続き、昭和に入ると全盛を迎えていることを既述したが、それら以外にも多くの関連雑誌が創刊されていたのである。

 そこで想起されたのは文化生活研究会のことである。同会に関しては拙稿「岡村千秋、及び吉野作造と文化生活研究会」(『古本探究Ⅲ』所収)で取り上げているが、その際には詳細がつかめておらず、伊庭孝の『音楽読本』に言及しただけであった。だがその後、これも拙稿「三宅やす子『偽れる未亡人』『未亡人論』」「『ウーマンカレント』と文化生活研究会」(いずれも『古本屋散策』所収)で述べておいたように、同会の『未亡人論』を入手し、その巻末広告で、文化生活研究会が『文化生活研究』という講義録を十二冊刊行していたことを知った。

古本探究〈3〉 古本屋散策  (『音楽読本』)

 この講義録の主幹は森本厚吉、顧問は有島武郎、吉野作造で、吉野の大学普及運動に基づく講義録『国民講壇』のラインと森本や有島の文化生活運動がリンクしたところで成立したと考えられる。『日本出版百年史年表』を繰ってみると、大正九年五月のところに、「文化生活研究会創業(福永重勝1894・11・3~)事務所を警醒社書店内におく。《通信大学講座、文化生活研究会》その他出版」とある。ちなみに森本も『日本近代文学大事典』の立項を引いてみる。


 森本厚吉 もりもと・こうきち 明治一〇・三・二~昭和二五・一・三一(1877~1950)評論家。舞鶴市生れ。増山純一郎の三男。森本活造の養子となる。札幌農学校卒、米国に留学、北海道帝大教授となる。「文化生活」を創刊、女子文化高等学院を創設し、生活文化の向上に寄与した。有島武郎と親交があり、札幌農学校在学中、有島をキリスト教に入信せしめ、『リビングストン伝』(明治三四・三 警醒社)を共著として刊行、また晩年農場解放に尽くした。著書『成人より生活へ』(大一一・一〇 文化生活研究所)ほか十余冊あり。

 この森本の立項によって、『文化生活研究』が『文化生活』の創刊に結びつき、石垣がふれていた矢部初子の『文化生活』編集とはそれらをさしているのではないかということ、また『リビングストン伝』の版元だったことから、警醒社内に文化生活研究会が置かれ、警醒社の福永文之助の息子らしき福永重勝が発行者となった事情が了解される。

 また先の拙稿で、文化生活研究会の出版物を引き続き追跡したいとも記しておいたのだが、それから十年以上も過ぎてしまった最近になって、浜松の典昭堂で大正十四年刊行の尾佐竹猛『維新前後に於ける立憲思想』を入手している。これは四六判上製七〇〇ページを超える大冊で、サブタイトルに示されているように「帝国議会史前記」をたどり、その「立憲思想」の系譜をトレースした労作といえる大著である。その「本書推薦の辞」をしたためているのは吉野作造に他ならない。

 それに加えて、この尾佐竹の著書には拙稿「上海の内山書店」(『書店の近代』所収)のラベルが貼られているままで残り、この一冊が百年以上前に上海で購われ、どのような経路をたどったのか、私の手元に届いたことになる。それも想像すると興味深いのだが、今回言及したいのはその巻末広告の「文化生活研究会版」書籍のことなのである。それは五十冊以上に及び、しかも関東大震災後の小出版社の在庫としては充実しているという印象を受ける。煩をいとわず、それらをリストアップしてみる。番号は便宜的に振ったものであり、タイトルに付された角書部分は省く。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

1 内田清之助 『鳥の研究』
2 石井時彦 『カナリヤ』
3 及部辰之助 『セキセイインコ』
4 石井時彦 『文鳥と十姉妹』
5 間島謙一 『鷓鴣と鶉』
6 宮本謙吉 『窯辺雑記』
7 鳥居龍蔵 『極東民族』第一巻
8 越智真逸 『生理衛生の解説』
9 小林光茂 『声の教育』  
10 北村政治郎他 『無線電話と無線電信』
11 佐々木諦 『無線電話の基礎と其応用』
12 村島帰之 『歓楽の墓』
13 杉田直樹 『誰か狂へる』
14 中村左衛門太郎 『地震』
15 徳富健次郎 『太平洋を中にして』
16 吉野作造 『新井白石とヨワン・シローテ』
17  〃   『露国帰還の漂流民幸太夫』
18  〃   『斯く信じ斯く語る』
19 越智真逸 『夫婦読本』
20 穂積重遠 『婚姻制度講話』
21 三宅やす子 『未亡人論』
22 賀川豊彦 『愛の科学』
23 古屋芳雄 『崇高への道
24 永井潜 『反逆の息子』
25 西村伊作 『現代人の新住家』
26 ヴォーリス 『吾家の設計』
27  〃    『吾家の設備』
28 佐野利器 『住宅論』
29 上原静子 『家庭園芸と庭園設計』
30 田村剛 『庭園の知識』
31 永井潜 『医学と哲学』
32 木村俊臣 『漢学・時間・空間』
33 福島東作 『スポーツマンの心臓』
34 第一外国語学校編 『英語研究苦心談』
35 上田尚 『釣の呼吸』
36  〃  『釣り方図解』
37 田辺尚雄 『蓄音機の知識』
38  〃   『レコード名曲解説』
39 田辺八重子 『家庭踊の踊り方』
40 田辺尚雄 『現代人の生活と音楽』
41 西村伊作 『生活を芸術として』
42 有島武郎 『生活と文学』
43 西村アキ子 『ピノチヨ』
44 加藤正徳編 『フランス童話集』
45 手塚かね子 『家庭向西洋料理』
46  〃   『西洋料理の正しい食べ方』
47 湯川玄洋 『食養春秋』
48 近藤耕蔵 『家庭物理学十二講』
49 西村伊作 『我子の教育』
50 三宅やす子 『我子の性教育』
51 高橋ミチ子 『新育児法と看護の仕方』
52 佐賀房子 『こども服』
53 西村光恵 『子供服の新しい型とその裁ち方』
54 井上藤蔵 『楽しいゲームの遊び方』

(『カナリヤ』) 主張と閑談 (第1輯) (『新井白石とヨワン・シローテ』)(『フランス童話集』)

 これに「近刊予告」として吉野作造『公人の常識』『現代政治講和』、さらに森本の著書やその他のものも含めれば、百冊近くに及ぶのではないだろうか。しかもそのラインナップからうかがわれるように、鳥の飼い方、囲碁、釣りなどの趣味、夫婦の生活と子どもの教育、住居と設備設計、レコードと音楽やダンス、西洋料理のレシピや食べ方、子供服の仕立て方といった新しい生活様式に関する実用書的なものが並んでいるし、それが「文化生活研究会版」書籍の特質だといえよう。

 それは関東大震災後の姿を著わし始めた『近代出版史探索Ⅵ』1041の郊外文化住宅の生活のイメージと重なり合っているのだろうし、「文化生活研究会版」書籍はそれを表象し、昭和以後の実用書の範となったように思われる。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら