前回のジャック・白井に関連して、もう一編書いておきたい。
『日本アナキズム運動人名事典』の「白井・ジャック」の立項における参考文献として、坂井米夫『ヴァガボンド通信』(改造社、昭和十四年)が挙げられていた、それは著者にしても書名にしても、石垣綾子『スペインで戦った日本人』にも見えていなかったし、坂井の名前も人名事典などに見当たらず、どのような人物なのかも不明であった。それでもいずれ『ヴァガボンド通信』には古本屋で出会えるのではないかと思っていた。
ところがいつになってもまみえることなく時が過ぎてしまったのだが、その代わりに坂井米夫『ヴァガボンド・襄』という一冊を拾ったのである。同書は昭和二十三年に板垣千鶴子を発行者とする板垣書店から刊行されたB6判並製三九〇ページの書籍で、用紙は戦後の出版状況を反映した上質なものとはいい難い。だが装幀は戦後混乱期の社会世相をまったく感じさせないイエローのポップな絵によるもので、ライトな都市風景を描いている。
そして著者の名前の横には「ワシントンにて」との言葉が添えられ、これが日本ではなく、アメリカの光景、ワシントンの街の風景などだと察せられる。装幀者は寺田竹雄で、坂井と異なり、『日本近代文学大事典』に立項があり、明治四十一年生まれの画家で、大正十一年から昭和十年にかけて渡米し、昭和六年にカリフォルニア美術学校を卒業し、二科展に出品し、新聞小説に才筆を示したとされる。
それに加えて、奥付の著者名は Y・SAKAIと記され、その住所はWashington D.C.U.S.A.とある。また本扉も同じ寺田の挿画だが、タイトル、著者名、出版社とすべて英語表記で、表紙の体裁も含めて、『ヴァガボンド・襄』の内容をうかがわせるものである。ただ本扉次ページには「日本の民主化のために」という献詞めいた言葉が掲げられ、その下には「本書の内容、人物、人名など類似又は一致するようなことがあっても、小説ですから単なる符号過ぎません」との言も添えられ、何よりも同書が「小説」であると断わられている。
またその「はしがき」を記しているのは『近代出版史探索』196などの井上勇で、それは次のように書き出されている。
坂井米夫の名は知る人は知つているはずである。「ヴァガボンド通信」は十数年前、「改造」誌上に連載されて、やがて単行本となり、当時の読書界に、欧米の新声をつたえ一抹清冽の気をふきこんだ。彼はかつて平野咸馬雄君あたりとともに、詩人たらんとして、四十年前の東京の塵埃裡を彷徨していた。アメリカに渡つた動機は、本篇の主人公「襄」の行跡のうちに、ある程度想像出来る。私との交遊もすでに三十年をかぞえるが、彼はアメリカに渡つて以来、日本人を廃業して世界市民となつた。(中略)このヴァガボンドは文字通り、世界を股にかけて、放浪の旅をつづけ、(中略)一九三六年夏、頽勢ようやく明らかになつたバルセロナの国際軍に投じようとする途上、パリの陋居に、突然、私を訪れ(中略)、風のように立ち去つてしまつた。
この井上が寄せた「はしがき」によって、坂井米夫が『ヴァガボンド通信』も著わしていたことが明らかになる。井上がジャーナリストで、同盟通信社パリ支局長であったことから類推すれば、坂井もヴァガボンド的なジャーナリストであり、その理由は定かでないにしても、スペイン革命に参じようとしていた事実が浮かび上がってくる。『ヴァガボンド通信』は未読だし、ジャック・白井との関係もわからないが、それらのスペイン革命と坂井の関係が述べられているために、「白井・ジャック」の参考文献として挙げられていたのではないだろうか。
また井上は『ヴァガボンド・襄』は自分が多少の削除を施し、タイトルも勝手に命名したと述べ、襄という世界市民がアメリカ在住日本人社会にあって記録した貴重なもので、アメリカとその民主主義を理解し、「日本の民主化のために」役立つことを期待するとも記している。それからこれは確認していないけれど、日本版と同時に英語版も刊行されたようだ。
さて「小説」としての『ヴァガボンド・襄』ということになるが、渡米し、日本語新聞の記者となった襄が悪達者ともいえる筆致によって、ニューヨークを主とする在米日本人社会を描いたものだ。それは紛れもないひとつの階級社会として存在し、それがアメリカ社会とのコントラスト、歴史の推移に伴う変容、太平洋戦争と強制収容所、日本の敗戦と占領、天皇性の問題までがたどられ、小説という領域からはみ出してしまうドキュメント的色彩が強い。もし「襄」という主人公名が与えられなければ、リアルなノンフィクションとして読まれていたように思われるし、それが井上の配慮によっていささか緩和されたのではないだろうか。
ところが坂井米夫がジャーナリストであるとの見当はついたので、念のために『[現代日本]朝日人物事典』を繰ってみた。すると何と立項されているではないか。しかもそれは『「週刊読書人」と戦後知識人』(「出版版人に聞く」17)の植田康夫によるもので、彼の生前に坂井のことを尋ねておくべきだったと思った次第だ。坂井のプロフィルが判明したこともあり、引いておこう。
坂井米夫 さかい・よねお 1900.9.1~78.11.21 新聞人。佐賀県生まれ。明治学院文科中退。1926(大5)年渡米し、サンフランシスコの『日米新聞』、ロサンゼルスの『羅府日米』記者を経て、31(昭6)年『朝日新聞』特派員となり、スペイン内乱、中近東、インドシナを取材した。日中戦争を取材後の38年に再渡米し、47年から『東京新聞』特派員となり、ワシントンに滞在し、対日講和原案の特報やダレス特使との単独会見をスクープ、48~52年NHKラジオの「アメリカ便り」でアメリカ事情をリポートし好評を博した。64年から『産経新聞』特派員となり、在ワシントン日本人記者団の最長老として活躍した。
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