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古本夜話1438 大橋青湖と『釣の趣味』

 前回アテネ書房の「『日本の釣』集成」に言及したのは久しぶりであり、それに関連して三編ほど続けてみたい。

(「『日本の釣』集成」)

 大正は趣味の時代であり、釣もそのひとつに数えられるし、そのことを象徴するように、『釣の趣味』という雑誌も創刊されている。それは編輯兼発行人を大橋邦之介として、大正八年八月に釣の趣味社から発行されたのだが、十二月号で廃刊となり、わずか五冊出しただけで終わってしまった。釣の時代の到来とはいえ、雑誌読者層の形成は難しく、まだ時期尚早だったことになろう。

 この短命に終わった雑誌は幸いにして、アテネ書房で合本復刻され、創刊号のカラー表紙にはFISHIING TESTと英語タイトルも添えられ、アメリカ人らしき夫婦とその家が描かれている。それらを考えれば、『釣の趣味』は同様の欧米の雑誌を範と仰ぎ、創刊されたように思える。ただ大正時代の趣味雑誌は復刻されたことによって手に取れたのであり、そうでなければ、出会えなかったであろう。

(『釣の趣味』アテネ書房復刻)

 創刊の辞にあたる「釣遊楽の真趣味鼓吹」を寄せているのは大橋邦之介で、後に秀湖、青湖を名乗ることになるのだが、まずはその言に耳を傾けてみよう。ルビは省略する。

 釣魚遊は、郊外水辺で無ければ得がたいこと、これ亦遊楽として最良条件を具備して居る、潮風に吹かれ川風に撫でられながら、朝陰夕暉に対して其技を楽む、真に神仙遊とも謂ふべきである、時の古今を問はず、地の東西を論ぜず、此の遊楽に没頭するものゝ多き、素より恠むに足らないのである。
 他の釣客の研究を聞て、自家の釣技上に裨益を与ふること有らば如何、自家の楽趣を披瀝して他の楽趣を分たば如何、数多の同趣味者、多階級の同趣味者、相親み相近づいて、益々其釣趣を饒多ならしめたならば、これ即ち人類界の幸福増進策の一ではあるまいか 予ら同人が微力を顧みずして、本誌が発刊するもこの目的以外に出でざるのである。

 階級を横断する「趣味の共同体」の夢が語られている。『近代出版史探索Ⅵ』1130の石井研堂を始めとする二十人近い寄稿者たちもその夢に賛同し、創刊に際して馳せ参じたのかもしれないし、それは関東大震災以前の大正デモクラシーのひとつの反映だったのではないだろうか。それに大橋の定かなプロフィルは判明していないけれど、その名前からして博文館の大橋一族の一人とされているので、雑誌への思い入れは強かったはずだ。その証左として、B6判、六十余ページの『釣の趣味』には東京堂、博文館、博文館印刷所のそれぞれの一ページ広告、奥付に見られる六大取次の配置、これも一ページを占める釣竿、釣道具店が一堂に会した発刊祝儀広告とそれらの特約販売は広告と取次も含め、バックに有力な営業担当者名が控えていることを示唆していよう。

 創刊号もさることながら、私にとって興味深かったのは第二号で、幸田露伴(談)の「釣の極意は唯一句」、秋風生「徳川慶喜公の釣」、国木田治子「独歩の釣竿」は初めて読んだ。「独歩の釣竿」にだけにふれるが、独歩は釣り好きで、石井研堂や『近代出版史探索Ⅴ』805の小杉未醒と釣友達でもあったこと、及び病床でも釣竿と弄び、遺言はその釣竿を片見として石井にというものだったことを知った。かつて治子の小説『破産』を参照し、「出版者としての国木田独歩」(『古本探究Ⅲ』所収)を書いているが、ここで釣り好きの独歩を教えられたことになる。露伴にしても治子にしても、聞き書きであり、この第二号の編集は石井によると思われる。

古本探究〈3〉

 ところが五冊出したところの十二月号で、「本誌、江潮同好諸君の愛顧に背くは遺憾の至りなれど、本号に限り廃刊し、又機を見て再び諸君と相見ることもあるべし」といい、「本誌廃刊」を告知する。かくして「日本最初の釣魚雑誌」は廃刊へと追いやられたのである。しかし皮肉なことに、アテネ書房の復刻を確認すると、釣の名著は昭和に入って多くが出版されていったと見なせよう。それは大橋青湖もしかりで、『釣魚夜話』(第一書房)、『襍筆 釣魚譜』(博文館、いずれも昭和十八年)が挙げられる。

 (『襍筆 釣魚譜』)

 前回の上田尚の『釣魚大全』(洋々社、昭和五年)、『釣の趣味』に出てくる松岡文太郎の正続『釣狂五十年』(いずれも青野文魁堂、同八年)、釣書の第一人者となった佐藤垢石の『鮎の友釣』(万有社、同九年)、『釣の本』(改造社、同十三年)、『釣趣戯書』(三省堂、同十九年)も同様である。それこそ石井研堂の『釣遊秘術 釣師気質』(博文館、明治三十九年)は例外としても、大正八年の『釣の趣味』には出版広告として、高橋清三『釣魚独案内』(東文堂)、渡辺義方『釣師必携釣遊案内』(水産社)、岸上鎌吉『趣味の魚』(日新聞)の三冊しか見えていなかったことに比べれば、本当に時代が変わったと実感される。それは時代の出版トレンドを表象しているように思われる。
   
   


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