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古本夜話1458 岩上順一『歴史文学論』と森鷗外「歴史其儘と歴史離れ」

 入手したのは二十年以上前になるのだが、そのままずっと放置しておいた一冊があった。それは機械函入、岩上順一『歴史文学論』で、昭和十七年に中央公論社から刊行されている。

 読まずにほうっておいたのは、そうしたそっけない装幀に加え、岩上を知らなかったこと、及び学術的なタイトルに、かつて読んだルカーチの『歴史小説論』(伊藤成彦、菊盛英夫訳、『ルカーチ著作集』3、白水社)を想起したことにもよっている。いずれあらためてルカーチも絡め、目を通すつもりでいたにもかかわらず、長き時が流れてしまったのである。しかし前回の新日本文学会の中央委員の一人として岩上の名前が見出されたことで、『歴史文学論』を探して繰ってみると、そこには藤田親昌などへの謝辞がしたためられていた。藤田は横浜事件において検挙された中央公論社の編集者であり、『歴史文学論』の刊行と横浜事件が同じ昭和十七年だという事実を考慮すれば、それらもリンクしていたと見なすこともできよう。

ルカーチ著作集〈第3〉歴史小説論 (1969年)

 そこで『日本近代文学大事典』で岩上を引いてみると、思いがけずにその立項は半ページ以上の三段に及び、岩上が昭和十年代から二十年代にかけて、有力な文芸評論家であった事実を教えられた。ちなみに横浜事件絡みでいえば、やはり検挙された中央公論社の畑中繁雄は岩上の早稲田高等学院時代の同人誌メンバーであり、岩上のほうも昭和十八年には治安維持法違反で検挙されている。その一方で、岩上は『歴史文学論』の他に、『文学の饗宴』(大観堂書店、昭和十八年)、『文学の主体』(桃蹊書房)、『横光利一』(三笠書房、いずれも同十七年)を続けて刊行している。

(『文学の主体』)(『横光利一』)

 これらの著書の中でも、『歴史文学論』は書き下ろしであり、「永い間の念願」の一書だったようで、「まえがき」で、まず「歴史小説とは何ぞや」と発し、次のように記している。

 特に文芸批評にとつては、このことは、もつとも重要視されなければならない問題である。歴史小説の本質を解明することは、今日の批評のもつとも基本的な仕事である。それはただに歴史小説の成長のためばかりではなく、一般に小説の成長そのもののためにも必要な仕事である。何故なら、歴史小説もまた現代に於ける小説であつて、小説といふものの本質的性格を具有してゐるからである。歴史小説の本体を衝いてゆくことによつて、同時に、小説一般の実体に見参することも出来るにちがひないからである。そして小説の実体が、作家にも批評家にも見失はれてゐることと、今日ほど甚しい時はあまりないからである。あらゆる点から見て、歴史文学に関する、したがつて同時に一般小説に関する、理論的、体系的考察と研究と批評の樹立は、今日の基本的な課題の一つであると思ふ。

 そしてさらに歴史文学を通じての近代日本文学の真の流れと傾向、歴史文学史における本系的性格と真の方向の発見、読者に対する物を考える力と理解する力の結びつきへの希望が語られてもいる。

 それらはこの『歴史文学論』が太平洋戦争が近づく予感やアメリカ開戦と併走して書かれ、大東亜戦争祝賀行事に添うようにして刊行されたことと密接に関係していよう。それは昭和十六年に発売された小林秀雄の『歴史と文学』(創元社)への言及にも明らかで、小林の「どのやうな史観であれ本来史観といふものは、実際の歴史に推参するための手段であり道具である」のだが、それらが「精緻になり万能になると、手段や道具が、当の歴史の様な顔をし出す」との言を岩上は引いている。そしてこれが「人間の英知と理性の全幅的活動に対する、否定と軽侮にみちたもの」「史観そのものの否定」だと断罪する。

(『歴史と文学』)

 その小林の言に対して、岩上は「歴史の実体と照し合せつつ、歴史の実体そのものの認識の中から史観そのもの精到性をたかめなければならぬ」と書き記すのだが、これは岩上の軌跡から考えても、階級闘争に基づく唯物史観と見なしてかまわないだろう。それゆえに岩上の歴史文学論は森鷗外の大正四年の「歴史其儘と歴史離れ」まで遡行し、その実践として「興津弥五右衛門の遺書」に始まる史伝物、「伊沢蘭軒」などの伝記文学、「阿部一族」を始めとする歴史小説を論じていく。

 この『歴史文学論』の半ば以上はそれらの鷗外の作品論で占められ、彼の「歴史其儘と歴史離れ」というふたつの系譜が分かれ、パラレルに進んでいく地平に芥川龍之介や菊池寛の歴史的寓話小説も成立したとされ、それは島崎藤村の『夜明け前』へともリンクしていくのである。

 これらは言及を見ていないけれども、『近代出版史探索Ⅲ』438の村雨退二郎たちが唱えた「国民文学」問題とも通底していたはずだし、いずれもそこに昭和十年代後半の社会状況が重なっているように思われる。その後、尾崎秀樹の『歴史文学夜話』(講談社、平成二年)を読んだ。これは講談社の『日本歴史文学館』全三十五巻の「別冊付録」に連載されたもので、「鷗外からの180篇を読む」とのサブタイトルが付されているように、鷗外の「歴史其儘と歴史離れ」から始まっている。そこには岩上の『歴史文学論』への言及もあり、岩上の仕事が影響を失っていなかったことを示していよう。長きにわたって読まずにいた不明を恥じる。

歴史文学夜話―鴎外からの180篇を読む


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