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古本夜話1462 大日本文明協会とリップマン『世論』

 浜松の典昭堂で、ウォルター・リップマンの『世論』を入手した。しかもそれは裸本で、背タイトルの旧字の『與論』がかろうじて読める一冊だった。それだけでなく、版元は大日本文明協会で、『近代出版史探索Ⅲ』569などの「大日本文明協会叢書」の一冊として、大正十二年十月に刊行されていたことになる。同協会と理事長、その「叢書」に関しては拙稿「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)、編輯長浮田和民は『同Ⅳ』666、編輯理事の宮島新三郎は『同Ⅲ』555を参照されたい。

古本探究

 やはり浮田のところで、大正十一年に大日本文明協会からルドルフ・シユタイナーの『三重組織の国家』が翻訳されていたことを取り上げておいたが、リップマンのこの『世論』も同様だったのである。私が『世論(よろん)』(掛川トミ子訳、昭和六十二年)を読んだのは岩波文庫によってで、すでに大正時代、しかも関東大震災の翌月の出版を確認していなかった。ちなみに『世論』は同じくアメリカの一九二〇年代に言及したF・L・アレン『オンリー・イエスタデイ』(藤久ミネ訳、研究社)と対で読まれるべきだと思っていた。

世論 上 (岩波文庫) (岩波文庫版)

 『世論(せろん)』(Public Opinion)に関しては本探索でも繰り返し参照してきた『世界名著大事典』(平凡社、昭和三十五年)において、アメリカの著名な評論家リップマンの「少壮の時期の作品で、世論研究としても、政治学の著述としても、半古典的名著」と始まる長い改題があったけれど、未邦訳とされていたからだ。そのために岩波文庫版はようやく翻訳されたかという思いが強かったことに加え、掛川の「解説」と「リップマン略年譜」を通じ、リップマンがジョン・リードのハーバード大学の同期生で、リードに大きな影響を与え、また彼らは伝統的なクラブに対抗し、社会主義者クラブなどを結成し、リップマンがその会長を務めたことを教えられた。さらにそこにはリードがリップマンに捧げた一ページに及ぶオマージュ的詩文(野村瑞穂訳)も掲げられ、同じくT・S・エリオットもハーバードに連なる社会環境にいたことをうかがわせている。

世界名著大事典〈第1巻〉アーカン (1960年)

 そうした事柄だけでなく、大正十二年における『世論』の翻訳を発見するに及んで、日本においてリードの『世界を震撼させた十日間』よりも早く出版されていたことを知ったのである。『世論』は一九二二年、リードのドキュメントは一九一九年とまさに同時代の著作に他ならなかった。リードのロシア革命はいうまでもないけれど、リップマンの場合も、ロシア革命と第一次世界大戦後の混乱を背景とするもので、いずれも二十世紀初頭の国際的な革命と戦争の時代におけるリアルタイムの重要な著作といえよう。それゆえにほぼ同時代に翻訳刊行されていたと考えられる。

 リップマンは『世論』のエピグラフとして、プラトンの『国家』のよく知られた、人間は洞窟の中に閉じこめられていて、その壁に移る影を見ているだけではないかという洞窟の比喩を掲げている。そして第一部の「序」としての「第一章 外界の頭の中で描く世界」から始めている。そこでリップマンはまず洞窟の比喩ならぬ「疑似環境」を提起する。その中での人々の行動は共通するひとつの反応を生じさせ、「社会生活というレベルでは、人の環境適応と呼ばれる現象がたしかに数々の虚構という媒体を通じて起こるもの」だとされる。

 それはウィリアム・ジェームズのいうところの人間の文化の大部分は「われわれの頭の中にある諸観念を無作為に再放射し、再定着させたもの」、パターン化したものとする定義に基づき、ステレオタイプ化されたメッセージが生み出されていくことを意味している。それらのメッセージは個々の人間の内部でそれぞれの関心と同一化し、「世論」、もしくは「国家意思」「集団精神」「社会的目的」となるのだが、それがどのようにして形成されていくのか、詳細に検討に及んでいくことになる。

 つまり「世論」もまたステレオタイプにされたものとして捉えられ、分析され、それが章タイトルにも顕著なので、八部まで続くそれらを挙げてみれば、「外界への接近」「ステレオタイプ」「さまざまの関心」「共通意志の形勢」「民主主義のイメージ」「新聞」「情報の組織化」という構成を示すのである。そこにうかがえるのは二十世紀における出版と新聞ジャーナリズムの成長、及びラジオや映画などの新たなメディアの台頭であろう。

 とりあえず『世論』のイントロダクションの簡略な紹介を試みたわけだが、ここで想起されるのはアメリカの戦後の一九五〇年代から六〇年代に書かれた社会学的著作のことである。かつて拙稿「図書館長とアメリカ社会学」(『新版 図書館逍遥』所収)において、それらが主として東京創元社の「現代社会学叢書」に収録されていたことに言及し、リストアップしておいた。

新版 図書館逍遙

 だがここでは後に「図書館長」となったダニエル・J・ブーアスティンの『『幻影(イメジ)の時代』』(星野郁美、後藤和彦訳)だけにふれてみよう。翻訳タイトルに「マスコミが製造する事実」が付されているように、彼はそこでキーワードとして「疑似イベント」というタームを用い、戦前に比べて途方もなく猛威をふるう戦後のメディア化と消費社会について分析している。そしてそこで起きている事柄が幻想のメカニズムの中で繰り拡げられているものではないかと問い、六二年に『幻影の時代』( The Image;Or ,What Happened to The American Dream] )を著わすことになったのである。しかしそこにリップマンの『世論』に見られる「疑似環境」と言論のステレオタイプ化の問題を置いてみると、ブーアスティンの『幻影の時代』が六〇年代の『世論』として読むことができるし、同じくハーバード大学出身のリップマンの影響下に成立したことがうかがわれる。

幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)   

 ただそのことはさておき、日本の大正時代における『世論』の翻訳経緯と事情はどのようなものだったのだろうか。訳者は早大政治科出身の中島行市、山崎勉治だが、その序に当たる「巻頭に」で、「自己自身の選択に依つてゞはなく、文明協会の指定に依つて学んだ本書」でもあり、「翻訳に不適任」との告白も目にすることからすれば、十全な理解の上に翻訳が成立したようには思われない。それは版元の大日本文明協会にしても同様で、国内的には新聞と雑誌ジャーナリズムの台頭、明治天皇の死、米騒動の勃発、メーデーの始まりなどを背景として、「例言」に見えているように、「近代諸情態の下に於ける世論」の「基礎的観念」を形成する「検閲、宣伝、公開、選挙、新聞、情報事務等」への「徹底的の解釈」を与え、「民本主義の帰結」にまで及んでいると述べている。そして「我国の現状を思ふに、果して健全なる世論ありと云ふを得るであらうか」と問いながらも、「世論の力は吾人を栄えてある未知の境地へと導く唯一の舗石」だと結ばれている。

 しかし実際には「ステレオタイプ」は「一般意志」、「疑似現実」は「似而非環境」と訳され、戦術した第四部「さまざまな関心」、第五部「共通意志の形勢」は省略され、「民本主義の概念」「新聞神」「情報組織」と続いていてくので、リップマンのいう「世論」そのもの輪郭がいくつか脱落したかたちでの翻訳と構成となっている。もちろん日本の大正時代において、アメリカの政治状況とメディア環境が異なっていることは承知しているし、それらをふまえての翻訳が困難であることもわかっているにしても、ほぼリアルタイムでの『世論』のような著作の翻訳の難しさが浮かび上がってくるように思われる。


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