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古本夜話1464 アーサー・ランサムとロシア革命

 前回、アーサー・ランサムの著作として、『一九一九年のロシア、六週間』や『ロシア革命の危機』を挙げておいたが、彼もまたジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』を同じように体験していたのである。そのために『アーサー・ランサム自伝』の「はじめの言葉」で、ルーパト・ハート=ディヴィスが述べている「一九一七年以降、長年にわたって、ランサムはロシア革命史を書くことを考えていたので、記憶とはべつに膨大な量の原稿とメモを保持していた」とされる。

  世界をゆるがした十日間〈上〉 (岩波文庫)   

 ランサムとロシアのダイレクトな関係は、一九一四年にある出版社から『サンクト・ペテルブルグ案内』というガイド本を頼まれたことによって始まっている。ただそれ以前にランサムは原語でロシアの昔話を読むために、ロシア語を独習していて、それが後の『アーサー・ランサムのロシア昔話』へと結実していったことになる。

 アーサー・ランサムのロシア昔話

 そのことはともかく、ランサムはガイド本取材でただちにペテルブルグに向かい、二ヵ月ほどで完成させた。だが第一次世界大戦が起き、この都市も戦争とデモの熱狂に巻きこまれ、その「案内」が役立たずとなり、出版されずに終わったしまった。しかしその仕事をきっかけとして、ペテルブルグの地理と都市事情に通じ、それから三年後にピョートル大帝の都市とレーニンの都市が二重写しとなるロシア革命の現場に立ち合うことになったのだ。

 それはイギリスの『デイリー・ニューズ』通信員としてで、『近代出版史探索Ⅵ』1183のラスプーチン暗殺や革命の予兆が伝わる中にあって、ランサムは一九一七年元日にペテルブルグ=ペトログラードへと向かった。そしてついに革命が始まり、このランサムたちにとっても「動かしがたい重圧として人民の首根っこをおさえ、自由をうばってきたロシア独裁体制が目の前でくずれ解体するのを見て、私たちはほとんどそれを信じることができなかった」十日間が展開されていくのである。

 それは『アーサー・ランサム自伝』にあって、24「ソヴェトの誕生」から27「新たなはじまり」で語られていく。一方で、ヒュー・ブローガン『アーサー・ランサムの生涯』においては「ロシアと戦争」「革命」「ボルシェヴィキ」「ロキンヴァー」と四章が割かれている。それらはこの評伝の三分の一以上に及び、ランサムにとってもロシア革命との遭遇と体験が大きな事件に他ならなかったことを示していよう。その事実は「ツバメ号」シリーズにしても、戦争と革命をくぐり抜けることによって開花、結実したことを告げているのかもしれない。

 

 ブローガンは「ここで彼は、歴史と政治の渦の真ん中にすいこまれ」、「イギリス海外特派員がかつて背負ったことがないほどの責任を背負いこむこと」になったと述べている。ランサムは記録する天分に恵まれていたし、その円熟した文体はニュース電文にもはっきされ、活気がみなぎっていた。また何よりも彼の特質だったのは政治的関り合いがなかったことで、「革命」の章のエピグラフに引かれている彼自身の言葉によれば、「革命を最前列で見ている人間が本のこと、それもこともあろうに子どもの本のことばかりを考えていた」のである。それは『ピーターおじいさんの昔話』のことをさしているのだろう。

 そのようなランサムではあったが、ロシアとイギリスの関係、革命がイギリスに与える影響を重視し、『デイリー・ニューズ』の記事もそれらを反映していた。彼はレーニンをフィンランドア駅に出迎え、その演説を見聞きしたし、ボルシェヴィキの動向にも注視し、トロツキーにもインタビューし、ロシア革命に関する記事を送り続けていたのである。そうしてランサムは一九一八年に『ロシアの真相』、一九年に『一九一九年のロシア、六週間』、二一年に『ロシアの危機』という三冊が書かれることになるのだが、『ロシアの真相』と『ロシアの危機』は入手困難となっているようだ。

 だが『一九一九年のロシア、六週間』は小さな本ではあるけれど、ベストセラーとなり、「この小さな本は、彼の履歴の中でも、もっとも価値ある業績の一つにかぞえられる」とブローガンは記している。それはやはり同年に発表されたリードの『世界をゆるがした十日間』と同じく重要な事実を語り、リードと比べてみると、その長所と限界もはっきり見えるとして、次のように書いている。

 『六週間』は、それには及ばないとしても、それでも革命が進んだ時期についての、補足的な目撃者の記録として、きわめて高い価値をたもっている。(中略)さらにいえば、もの書きとしては、リードよりランサムのほうがすぐれている。(中略)生き生きと明快で、しかも簡潔な描写力はリードのとうてい及ばないところである。ランサムは、すでに、『ピーターおじいさん』と『デイリー・ニューズ』の記事の多くでこの才能を見せてくれたが、(中略)その才能が、このパンフレットをすぐれたものにしたことはまちがいない。
 要するにリードとランサムは、補完しあっていた。二人の本には、やや似たような出版後日談が生まれた。当初大成功をおさめたこの二冊は、著者が二人とも、ロシア革命の第二期の指導者は当然トロツキーだとして、スターリンにはまったく触れていなかったために、左翼人にとっては迷惑の的となり、二冊とも長い間姿を消していた。(後略)

 だがリードの『世界をゆるがした十日間』は版権切れもあってペンギン・ブックスなどのペーパーバックス化されたが、ランサムの『一九一九年のロシア、六週間』のほうは一九二〇年代以後再版されておらず、読むことができない。それもあって邦訳を望むことも無理だろうし、残念であると書きつけておくしかない。ちなみにレーニンはランサムのほうは認めていなかったようだ。また『エマ・ゴールドマン自伝』において、ランサムはロシア革命の背信を伝えようとする記者として、一ヵ所だけ登場していることを付記しておこう。

  エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉


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