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古本夜話1463 「ツバメ号」シリーズ以前のアーサー・ランサム

 アーサー・ランサムは『ツバメ号とアマゾン号』(神宮輝夫訳、岩波書店、昭和三十三年)に始まる十二冊の冒険児童文学の著者としてよく知られている。だが『アーサー・ランサム自伝』(白水社、昭和五十九年)、シューブローガン『アーサー・ランサムの生涯』(いずれも同前、筑摩書房、平成六年)が翻訳されるまでは、彼が「ツバメ号」シリーズの著者となる以前に出版社の少年社員、多くの児童文学や文芸評論の著者、ロシア革命の渦中にあった新聞記者だったことはほとんど知られていなかったと思われる。

ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)   

 それは時代を追ってたどるべきなので、ロシア革命に関しては次回に譲り、まずは出版社における見習いと営業の経験、それに続く所謂「三文文士」時代を取り上げておこう。

 ランサムは一八九七年に大学教授の父親を亡くし、プレップスクールのラグビー校からカレッジに進んでいたが、中退し、ロンドンの新しい出版社で働き始める。その主たる理由は母親が教育書の著者で、出版社に好意的だったことによっている。その出版社はグランド・リチャード社といい、二十九歳の青年リチャーズが立ち上げ、若くして優れた業績を上げていた。ランサムはオフィスの給仕、走り使いとして始めたので、書籍の荷造り、送り状書き、書店への直接配達、著者の原稿取りなどの出版社の万端の仕事に携わった。そのかたわらで、安く入手できる返品や売れ残りの本を読み、「駄文」や「がらくた」ともいえるものを書きまくっていた。

 ロンドンは本屋と出版社の街で、そのひとつであるアーネスト・オールドメドウのユニコーン・プレイスが社員募集の貼り紙を出していたことから、そこに移った。この出版社はいくつもの文芸誌、詩集、美術書を刊行し、オールドメドウ自身も大衆小説や音楽評論を書いていた。だが出版のほうはほとんど恒常的な破産の危機にさらされ、評論や自費出版の仕事によって資金繰りがなされているようだった。

 そこでランサムは書店に対して一、二冊の注文に「五、六冊の代金で七冊」といった「添え本」条件で営業して売り捌き、オールドメドウを驚かせたのである。それでも読み書きの時間はたっぷりあり、ユニコーン・プレイスで文学技法の諸要素を学び、物語と論証的散文のちがいも見きわめられるようになった。そして物語作者やエッセイストも兼ね、一九〇三年からは日刊、週刊新聞に物語や記事を書くようになり、わずかであるにしても原稿料を稼ぎ始めた。

 続いてユニコーン・プレイスを辞め、買い手がある原稿は何でも書き、それにジャーナリスト、ゴーストライター、週刊誌の書評の仕事も入ってきた。ランサムの言を借りれば、それは「生活のためにせっせと書きまくった数年」で「不運だったように思う」が、「同時に、自分のかせぎだけをたよりに、自力で集めた蔵書のある自分の部屋で生活していた私が味わった幸福」はかけがえのないものであった。

 こうしたランサムの「ツバメ号」シリーズ以前の実像にふれたのは、かつて拙稿「三文文士の肖像」(『ヨーロッパ 本と書店の物語』所収)において、十九世紀後半のイギリス出版業界と書物事情に言及したことがあったからだ。その時代は貸本屋全盛時代でもあり、ランサムのような「三文文士」たちが多くいて、蠢いていたのである。そうした中で形成され始めたイギリスの出版業界も、日本と同じく魑魅魍魎とした世界に他ならず、その出版状況において、ランサムは「三文文士」的仕事を積み重ね、一九三〇年代になって『ツバメ号とアマゾン号』に始まる「ランサム・サガ」を刊行するに至るのだ。それならば、それ以前の「ランサム・サガ」以外の本は何かということになるのだが、『アーサー・ランサム自伝』の「訳者あとがき」で、神宮輝夫がそれらを紹介している。

ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

1 『街路の霊魂』The Souls of the Street and other little papers,1904
2 『石像の美女』The Stone Lady(TEN LITTLE PAPERS AND TWO STORIES)
3 『子どものための自然の本』三冊本 Nature Books for Children,1906
  後に合本化、『小鬼と妖精と人くい巨人The Imp and the Elf and the Ogre,1910
4 『妖精の国の大路小路』Highways and Byways in Fairyland,1906
5 『ロンドンのボヘミア』Bohemia in London,1907
6 『物語の歴史』A History of Story-telling, Studies in the Development of Narrative with 27 portraits by J. Carvin,1909
7 『エドガー・アランポー論』Edgar Allan Poe,1910
8 『フォーンの足あと』The Footmarks of the Faun,1911
9 『オスカー・ワイルド』Oscar Wilde,1912
10 『肖像と思索』Portraits and Speculations,1913
11 『不老長寿の霊薬』The Elixir of Life,1915
12 『ピーターおじいさんのロシアの昔話』Old Peter’s Russian Tales,1916
13 『アラジンと魔法のランプ』Aladdin and his wonderful lamp in Rhyme,1919
14 『一九一九年のロシアにおける六週間』Six Weeks in Russian in1919,1919
15 『ロシアの危機』The Crisis in Russia,1921
16 『兵隊と死神』The Soldier and Death,1920
17 『ラカンドラ号の処女航海』Racundra’s First Cruise,1923
18 『中国の謎』The Chines Puzzul,1927
19 『竿と糸』Rod and Line,1929
20 『釣り』Fishing,1955
21 『主に釣りのこと』Mainly about Fishing,1959

The Souls of the Streets and Other Little Papers (1) Bohemia in London (Classic Reprint) (5) Edgar Allan Poe: A Critical Study (Classic Reprint) (7) Portraits and Speculations (Classic Reprint) (10) The Elixir of Life (11)
Old Peter's Russian Tales (12) Aladdin and his Wonderful Lamp in Rhyme (13) Six weeks in Russia in 1919 (14) The Crisis in Russia (15) The Soldier and Death: A Russian Folk Tale Told in English (Classic Reprint) (16)
Racundra's First Cruise (Arthur Ransome Societies) (17) Fishing (National Book League Readers' Guides) (20)

 神宮がこれらを紹介した時点において、イギリスの古書業界でもほとんど入手不可だと述べられていた。だがその後、評伝『アーサー・ランサムの生涯』も出され、これらの執筆出版事情と復刻状況などでも追跡され、それらも入手できるようになったとされる。だがここではその後の邦訳などを挙げておこう。

 12は『ピーターおじいさんの昔話』(パピルス、平成六年)、16は『アーサー・ランサムのロシア昔話』(白水社、昭和六十三年)所収として出版されている。また18は戦前に『支那の謎』(榎米吉訳、支那問題研究会、昭和三年)として刊行されているようだが、未見のままであることを付記しておこう。

ピーターおじいさんの昔話  アーサー・ランサムのロシア昔話  


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