浜松の時代舎で、前回の今田謹吾が編集し、それに花森安治も関わっていたのではないかと推測される生活社の「日本叢書」を見出した。これは初めて目にする「叢書」にして、堀口大学の詩集『山嶺の気』である。「叢書」といってもB6判並製三〇ページのもので、パンフレット、もしくはブックレットの印象が強い。刊行は敗戦の三カ月後の昭和二十年十一月で、初版五万部、定価は八十銭となっている。既刊として、二十五冊が挙がっていることからすれば、九月頃から刊行され始めたのではないだろうか。その既刊リストを示す。
1 | 中谷宇吉郎 | 『霜柱と凍上』 |
2 | 古畑種基 | 『血液型』 |
3 | 高木卓 | 『郡司成忠大尉』 |
4 | 谷川徹三 | 『雨ニモマケズ』 |
5 | 柳壮一 | 『寒さと人間』 |
6 | 岸田日出刀 | 『すまひの伝統』 |
7 | 小宮豊隆 | 『芭蕉と紀行文』 |
8 | 荒川秀俊 | 『四季の気象』 |
9 | 亀井勝一郎 | 『日月明し』 |
10 | 舟橋聖一 | 『散り散らず』 |
11 | 田中英光 | 『桜田門外』 |
12 | 中谷宇吉郎 | 『科学の芽生え』 |
13 | 阿部次郎 | 『万葉時代の社会と思想』 |
14 | 〃 | 『万葉人の生活』 |
15 | 入澤達吉 | 『赤門懐古』 |
16 | 松枝茂夫 | 『模糊集』 |
17 | 緒方富雄他 | 『独創について』 |
18 | 谷川徹三 | 『茶の美学』 |
19 | 栃内吉彦 | 『若菜頌』 |
20 | 石田幹之助 | 『長安汲古』 |
21 | 野上弥生子 | 『山荘記』 |
22 | 富塚清 | 『若き学徒に告ぐ』 |
23 | 〃 | 『若き女性に告ぐ』 |
24 | 川田順 | 『寸歩抄』 |
25 | 堀口大学 | 『山嶺の気』 |
これらの他に「近刊」として、七十冊近くのタイトルと著者が巻末一ページに紹介され、小説も含め、「題未定」は多くあるにしても、戦後の始まりの出版のかたちと熱気が感じられる。この七十冊近い「近刊」のタイトルと著者をそのまま転載すれば、昭和二十年の敗戦直後における出版企画のリアリティをそのまま伝えられるであろうが、残念ながらこれだけでこの一編を埋めてしまう量なので断念するしかない。その代わりに可能であれば、この「日本叢書」の実物を入手し、実際に「近刊」リストを見てもらいたいと思う。
しかし現実にはこれら「日本叢書」の入手は難しいかもしれない。たとえ五万部の発行であったとしても、先述したようにパンフレットといっていい体裁であるからだ。それに戦後の混乱の中での出版で、そのことに加えて、国策取次の日配はGHQ監視下に置かれ、戦時企業整備によって出版社は三百社、書店は三千店という状況における刊行だったのである。そうした出版状況の中で、「日本叢書」のような出版物がロングセラーとなったとも考えられるないし、まして「近刊」が順調に刊行されていったとも思えない。
そのことを象徴するのは「日本叢書」と同時期に出版された誠文堂新光社 の『日米会話手帳』で、戦後最大のベストセラーとされ、初版三十万部から始まり、三百六十萬部を売り上げたと伝えられている。同書の四六半截の判型は異なるが、三二ページ、八十銭はほぼ「日本叢書」と同じで、類書もなく続いたとされる。だがそれほど多くの部数が出たにもかかわらず、古本屋で実物を見たことがない。戦後雑誌の収集家で、本探索でもしばしば参照している『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)の福島鋳郎が、十五年ほど前に『日米会話手帳』を復刻するというので予約しておいた。ところがその復刻を前にして、福島が急逝してしまい、結局それを見る機会を失ってしまったのである。
またこれも本探索で繰り返し言及している小川菊松『出版興亡五十年』に明らかなように、誠文堂新光社は戦後も総合出版社として、それなりに隆盛していくのだが、生活社のほうは戦後の早いうちに出版業界から退場してしまったと思われるし、生活者の全出版物も判明していないし、現在でも謎の出版社のひとつに数えられよう。それでも「日本叢書」の戦後に向けてのコンセプトだけは表紙裏一ページに謳われているので、それも含め、そのまま引いておこう。
われわれを生み育ててくれた日本
この日本の良いところを持つとよく
知り、良くないところはお互いに反
省し、すぐれたものの数々をしつか
りと身につけ、どんなときにもゆる
がずひるまず、正しく強くのびてゆ
く、もととなり力となる、そんな本
を作りたい。
この文言は前回の今田勤吾によることも考えられるが、私としては後に『暮しの手帖』の創刊に至る花森安治の手になるもののように思えてならない。これらの文言やレイアウトは花森の「見よぼくらの一戔五厘の旗」(『一戔五厘の旗』所収、暮しの手帖社)と通底していると考えられるのだ。花森と大政翼賛会、及び生活社との関係は河津一哉、北村正之『「暮しの手帖」と花森安治の素顔』(「出版人に聞く」20)を参照されたい。
以上で本稿を終えたつもりでいたが、その後ネットを確認してみると、何と福島鋳郎の「もう一つの戦後出版史―小冊子類の刊行を追う―」(「J-STAGE」)が見つかり、そこには「日本叢書」の100までの明細も掲載されていた。それによれば、「日本叢書」1から9までは7を除いて、昭和20年4月から7月の戦時下に刊行されたようだ。
念のために「日本の古本屋」を見てみると、現在でもかなりの点数の入手が可能なようで、私の前述は思い込みによる間違いだったことになるけれど、これも古本入手のエピソードとして、あえて修正しないでそのまま残しておく。
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