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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1524 「家庭図書館」「総合大学」としての『大百科事典』

 『近代出版史探索Ⅲ』427などで見てきたように、平凡社では昭和二年の『現代大衆文学全集』から始まり、出版社としては最多の円本の版元となっていく。この事実に関してはそれらをリストアップした拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)を参照されたい。

 (『現代大衆文学全集』)  古本探究

 しかし当然のことながら、最初の『現代大衆文学全集』はベストセラーになったけれど、それに続く円本のすべてが順調だったわけではなく、雑誌『平凡』の失敗と相俟って、昭和六年には第一次経営破綻を迎えてしまう。その再建のための企画が『大百科事典』の刊行で、当時も編集業務は進められていて、それによって社運を挽回したとされる。その木村久一編集長は東京帝大で心理学を専攻し、大学教師などを経て、同年に平凡社に入社していたのである。『平凡社六十年史』もその編集部体制にふれているし、ここでしか見られない名前もあり、そのまま引いておくべきだろう。

    

 編集部には当時望み得るせいいっぱいのベスト・メンバーを揃えた。木村編集長のもとに、科学方面の主任のような立場で今井末夫と、新光社で「万有科学大系」の編集に当たっていた徳満喜義、さらに今井と同様原稿の審査にあたった沢田久雄、近藤憲二、天人社出身の鎌田敬止、ヨーロッパ帰りの、守田有秋、第一書房出身の酒井欣、東日学芸部出身の安成二郎、再入社した橋本憲三、「国際年鑑」を手がけたことのある古荘国雄、後に中央公論社取締役となる藤田圭雄、「科学画報」の編集長だった岡部長節なども参加している。女性は石川鈴子と小森歌子の二人だった。それぞれの分野の専門家や語学のベテランなどがおり、いかにも「大百科」編集部にふさわしい顔ぶれだった。
 沢田久雄は編集事務長として執筆者との交渉など、いっさいの事務を総括し、木村久一は編集長として項目の選定や記事内容、全体のつり合い、文体の統一などに注意を払った。編集の組織はカード調査部、原稿依頼蒐集部、原稿精査統制部、校正部、図版部、庶務会計部にわけられ、原稿依頼部はさらに自然科学およびその応用、精神科学一般、文学美術、社会一般の四部(中略)にわかれ、相互に連絡をとりながらひとつの有機体として動いた。

 そしてこれは『現代人名情報事典』』(平凡社、昭和六十二年)の木村の立項にも見えているが、それまで「エンサイクロペディア」の「辞典」に対し、事物現象の説明という意味を備えた「事典」を採用したのは木村のアイディアであったという。

現代人名情報事典

 もちろんその他にも多くのエピソード満載だったはずだが、それでも予告どおりの昭和六年十一月に『大百科事典』の第一巻が刊行された。その広告と下中弥三郎なども含んだ編集者の集合写真が並んだ一ページが『平凡社六十年史』に収録されている。

 最初の予約締切は十二月二十日だったが、予約者数は一万七千人を数え、さらに一年後には二万五千人に達したという。私が架蔵している『大百科事典』の奥付を見ると、まさに昭和六年十一月の刊行で、そこには平凡社の印紙が貼られ、「複製複刻転載を許さず」という文言が記されていた。またこれが上製で、定価五円五十銭とあるにもかかわらず、予約特価は三円八十銭とされていることからすれば、第一巻は一円七十銭という三割以上の値引きだとわかる。おそらく最初の数巻はそれが適用されたはずで、そのことによって二万五千人という予約者を獲得したのであろう。それゆえに、『大百科事典』は円本時代をくぐり抜けてきた編集と営業販売のエキスが凝縮して流れこんでいたことを伝えていよう。

 それはまた奥付に編輯兼発行者下中弥三郎とあるように、彼自身の『大百科事典』にこめた出版理念の凝縮でもあったといっていい。下中はその巻頭に「大百科事典を世に送る」を寄せ、次のように記している。

 新語辞典の元祖『や此は便利だ』を処女出版として発足した我社は『大百科事典』の完成を念願しながら二十年の歳月を満たす機会に到達した。
 本『大百科事典』は、新しさに於て一九三一年代のあらゆる知識を包括し、東西古今五千年、全世界に亙る森羅万象、人類史上の一切の事物現象を余すところなく網羅解説するあらゆる文化価値の一大宝蔵であり、万人の日常生活に欠き得ざる家庭図書館であり、坐りながら学び得る一大総合大学である

 『大百科事典』のコンセプトはこの日常生活における「家庭図書館」にして、「一大総合大学」という言葉に尽くされていよう。そしてそれはフランスの『ラルース』、ドイツの『マイエル』、イギリスの『ブリタニカ』に匹敵するものだという自負も語られている。確かに図版、写真、挿画を多く使用していることが特色で、私もかつて拙稿「講談社と『大正大震災大火災』」(『古雑誌探究』所収)において、「カントーダイシンサイ」のページを引き、その被害地図や死者、行方不明者数、及び家屋被災リストを示したことがあった。その記述は関東大震災から十年も経っていなかったことも相乗してか、まだ生々しいニュアンスがこめられているように思った。それから事件や災害は同時代の百科事典類で確認したほうがリアルなことに気づき、そのように『大百科事典』も利用してきたことを付記しておこう。

大正大震災大火災  古雑誌探究


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