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古本夜話1516 萩原朔太郎個人雑誌『生理』と椎の木社

 続けて室生犀星にふれてきたが、萩原朔太郎のことに戻る。朔太郎は昭和八年に個人雑誌『生理』を創刊し、詩、アフォリズム、エッセイ、評論を寄せ、『郷愁の詩人の与謝蕪村』の連載は蕪村の再評価を促すものだった。これは『近代出版史探索Ⅱ』370でも言及している。ただ『生理』のほうは朔太郎の趣味性が強い雑誌だったこともあって、全五冊を出し、十年に休刊となった。『生理』は『日本近代文学大事典』に解題もある。

 この『生理』の刊行所は百田宗治の椎の木社で、昭和三十九年に本探索1496の冬至書房から「近代文芸復刻叢刊」のひとつとして刊行されている。創刊号の菊判五二ページの表紙には朔太郎の手になる朱色の『生理』の文字と「人体生理之図」が配置され、「萩原朔太郎私家版」とある。寄稿者は朔太郎の他に室生犀星、竹村俊郎、萩原恭次郎、三好達治、佐藤惣之助、辻潤で、それぞれ詩や句や散文などが掲載となっている。

 朔太郎は「編輯後記」において、個性の趣味を発揮した日夏耿之介の『サパト』や佐藤春夫の『ことだま』が念頭にあったが、「面白く、今尚名雑誌」「逆説縦横、真に痛快極まる雑誌」だと記憶に残るのは、『近代出版史探索Ⅱ』219の永井荷風の『文明』だと述べている。しかし自分は彼らと比べて、「無才没趣味な一無能者にすぎない故、どうせろくな雑誌が出来ない」と記しているけれど、満を持しての個人雑誌の創刊だったと思われる。

 それらの事情と創刊に至る経緯などは別冊の伊藤信吉「生理解題」に譲り、ここではこれ以上言及せず、その刊行所の椎の木社にふれてみたい。なぜならば、この『生理』全五冊に椎の木社の出版物の広告が掲載され、その明細を初めて目にするからである。この機会を得て、『生理』全五冊に見られる椎の木社の書籍をリストアップしてみる。

1  室生犀星詩集 『鐵集』
2   〃     『別摺 十九春詩集』
3  ロオトレアモン、青柳瑞穂訳 『マルドロオルの歌』
4  ヴァレリイ、秦一郎訳 『純粋詩論』   
5   〃   、辻野久憲訳 『詩の本質』
6  伊藤整 『イカルス失墜』
7  三好達治詩集 『南窗集』    
8  ジョイス、左川ちか訳 『室楽』
9  安西冬衛 『渇ける神』
10  ヴァレリイ、菱山修三訳 『海辺の墓』
11  椎の木同人 『詩抄Ⅰ』『詩抄Ⅱ』
12  井伏鱒二 『随筆』
13  瀧口武士詩集 『園』
14  小村定吉艶詩選 『春宮美学』
15  スタイン、春山行夫訳 『スタイン抄』
16  城左門、矢野目源一訳 『フランソワ・ヴィヨン詩抄』
17   『西脇順三郎詩集』
18   『日夏耿之介詩集』
19   『萩原朔太郎詩抄』
20  萩原朔太郎 『定本青猫』
21  ジョイス、北村千秋訳 『一片詩集』
22  ポオ、佐藤一英訳 『大鴉』
23  〃 、阿部保訳 『詩の原理』
24  三好達治短歌集 『日まはり』
25  西脇順三郎詩論 『純粋な鶯』
26  小村定吉 『邦訳支那古詩』
27  百田宗治 『詩作法』
28   〃   『多花帖』
29   〃   『ぱいぷの中の家族』


(『室楽』)(『一片詩集』)(『大鴉』)

 これらは『生理』が刊行されていた昭和八年五月から十年二月にかけての椎の木社の刊行在庫と新刊ということになるけれど、すべてが未見で、もちろん入手にも至っていない。青柳瑞穂訳『マルドロオルの歌』が出されていることは聞いていたが、ここで椎の木社からの刊行だと知った次第だ。これらの書籍は『椎の木』第三期の昭和七年から十一年にかけての出版物に属すると考えれば、さらに点数は増えるはずだ。

 それに加えて、『椎の木』の他に『生理』だけでなく、春山行夫の『スタイン抄』が掲載された『尺牘』、西脇順三郎たちの『苑』などのリトルマガジンも発行していたのである。また「本邦唯一の純粋詩雑誌」と謳われている『椎の木』には佐々木仙一訳『マルドロオルの歌』の収録も見え、戦前のこの時代に青柳と佐々木の二人がロートレアモンに注視していたことを教えてくれる。

 このような椎の木社の出版活動の現実は想像するしかないが、それぞれの詩人や翻訳者たちの自費出版も引き受け、その窓口となっていたように思われる。朔太郎は『生理』1の「編輯後記」で、「幸ひ百田君の椎の木社で、一切の面倒を見てくれる上、出版を引き受けるといふ話」と書いているが、それも直販、取次、書店ルート販売のことを意味しているのだろう。

 その『生理』1には巻末に「椎の木社通信」が付され、次のような文言を目にする。「ヴァレリイ『海辺の墓』は読者諸賢からかなり過褒の辞を得て居ります。普通本の紙も大変評判がよろしい。特製の菊金紙局紙摺函入の大型本を一度御覧下さい。新宿と銀座の紀伊国屋の店頭にだけ出しました」。これは紀伊国屋との直接取引かどうかわからないけれど、椎の木社が読者への直販だけでなく、都内の有力書店とは取引していたことを示していよう。

 なお読者から十二冊の書影入り「椎の木社刊行書」六十一冊リストを恵送された。これは古書目録のコピーのようで、全冊で百八十万円の古書価が記載されていた。


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