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古本夜話 番外編その一の1 中央公論社『農民文学十人集』

 『近代出版史探索Ⅶ』1263で、『日本近代文学大事典』第六巻の「叢書・文学全集・合著集総覧」などを参照しながら、プロレタリア文学シリーズを挙げた際に、数は多くないけれど、農民文学もリストアップされていることにあらためて気づいた。「昭和期」だけでも、それらを示してみる。

 『労農詩集第一輯』(全日本無産者芸術連盟出版部、昭和三年)、「労農ロシヤ文学叢書」(マルクス書房、同四年)、「農民の旗」(新潮社、同六年)、「新農民文学叢書」(砂子屋書房、同十三年)、「土の文学叢書」(新潮社、同十四年)、『農民文学十人集』(中央公論社、同十四年)、「『土の偉人』叢書」(新潮社、同十六年)などである。
 
 (「労農ロシヤ文学叢書」) (「新農民文学叢書」)

(「土の文学叢書」)(『土の偉人』叢書)

 私は『近代出版史探索』192などでふれているように、ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の農村小説『大地』の翻訳者でもあり、同183の農民文芸会編『農民文芸十六講』を始めとして、かなり農民文学に言及している。先の砂子屋書房「新農民文学叢書」と丸山義二『田舎』に関しては、これも同199で取り上げている。しかし『農民文学十人集』はその後入手したこともあって、論じてこなかったのだが、当時の農民文学も産業構造から考えれば、プロレタリア文学のバリエーションに属すると見なせるので、ここで書いておきたい。

 大地 (ルーゴン・マッカール叢書 第 15巻)  (『田舎』)

 ちなみにいつも手元において参照している矢野恒太記念会『数字で見る日本の100年改訂第5版』のデータによれば、明治初期の農業人口割合は八〇%近くを占め、紛れもない農業国で、戦後の昭和二十年代までは五〇%に及んでいた。しかも昭和戦前においては地主、小作制度と小規模自作農という構造ゆえに、農民の七〇%が小作農、もしくは小規模自作農ということになり、小作農の多くが高い小作料にあえいでいたのである。

数字でみる日本の100年 改訂第5版: 20世紀が分かるデータブック 日本国勢図会長期統計版

 それもあって、『近代出版史探索Ⅶ』1278の『世界プロレタリア年表』の「日本之部」に明らかなように、小作争議が頻発していたし『同Ⅶ』1277の阪本勝が日本農労党に属していたことも、そうした証左となろう。また同じく『近代出版史探索』153や『同Ⅲ』575などの埴谷雄高にしても、昭和初期には左翼農民運動に加わり、全農戦闘化協議会の機関誌『農民闘争』の編集に携わり、昭和六年の日本共産党入党後には地下生活の中で、日本で最初の農業綱領草案の作成に参加している。つまり戦前においては農業革命がコアにすえられていたといってもいいし、それが実現したのは皮肉なことに、敗戦によってもたらされたGHQによる農地改革を通じてだったのである。

(『世界プロレタリア年表』)

 さて前置きが長くなってしまったが、中央公論社の『農民文学十人集』にふれなければならない。この昭和十四年に中央公論社から刊行された巻本の解題が『日本近代文学大事典』に認められるのは、函に「全篇書下し」とあるように、当時それなりに話題になった企画で、何らかの助成金を得た出版だったとも考えられる。ただ『中央公論社の八十年』などに言及は見られないけれども。

(『農民文学十人集』)

 とりあえず、その十人による「全篇書下し」作品をリストアップしてみよう。これは函にも示されているが、番号は便宜的にふったものである。

1 打木村治 「アンペラ物語」
2 鍵山博史 「寡婦」
3 楠木幸子 「花簪」
4 下村千秋 「故郷」
5 塚原健二郎 「碑文」
6 橋本英吉 「彦山川流域」
7 丸山義二 「区長」
8 森山啓 「野菜車」
9 鎚田研一 「酪農」
10 和田伝 「のぼり坂」

 6の橋本は『近代出版史探索Ⅴ』855、7の丸山は『近代出版史探索』199、10の和田は『同』185で既述しているが、和田は1の打木や2の鍵山と並んで、昭和十三年に有島頼寧農相の肝入りで発足した農民文学懇話会の中心メンバーであった。そのことから考えると、『農民文学十人集』はこの会を背景として編まれたのではないだろうか。「編者」による「まへがき」には「こゝに集めた十篇の小説は全部書き下ろしである。出来るだけ互ひに読み合ひ、書き足してやつと出来上つた」と記され、また「最近農村問題があらゆる意味でいよゝゝ重大になりつゝある」とも述べられているのは、そうした当時の農民文学状況を物語っているように思われる。

 奥付の著作者代表は4の下村となっているけれど、編者の名前は掲載されておらず、不明だが、おそらく農民文学懇話会関係者であり、彼が中央公論社に持ちこみ、刊行されたのであろう。この「全国的の農村漁村の最近の現実から生れた作品」のひとつだけを論じても、この十冊にふれたことにはならないので、残念ながらそれは断念することにする。


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