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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話 番外編その三の2 生活社「生活選書」と三宅周太郎『芝居』

 生活社のことは『近代出版史探索』131で書き、『同Ⅴ』913などでフレイザー『金枝篇』の版元として紹介しておいた。また「ユーラシア叢書」として復刻される書物を送り出しながら、その一方で『同Ⅴ』927の「ギリシア・ラテン叢書」といった古典の出版も試みられていたのである。

  (「ギリシア・ラテン叢書」、『エリュトラー海案内記』)

 それでいて翻訳書と対照的な『同Ⅴ』952の『くらしの工夫』などの実用書も刊行し、花森安治ともリンクしていたことになる。この事実に関しては、河津一哉、北村正之『「暮しの手帖」と花森安治の素顔』(「出版人に聞く」20)を参照されたい。

  「暮しの手帖」と花森安治の素顔 (出版人に聞く 20)

 『日本出版百年史年表』によれば、生活社は昭和十二年に鐵村大二によって支那関係書、経済書出版として始まっているのだが、どのようにして先に挙げた多彩な出版活動に至ったのかは定かではない。そこには雑誌『中国文学』や『東西問題』なども含まれているからだ。それに昭和十八年にはB6判並製の「生活選書」なるシリーズも刊行され、三〇点近く出されたと思われるので、未刊とあるものも含め、それらのラインナップを示しておこう。

  

1 青木巌 『ヘロドトスの歴史と人』
2 中川起元 『絵を見る目』
3 吹田順助 『パンと見世物』
4 河盛好蔵 『ふらんす手帖』
5 岩田豊雄 『フランスの芝居』
6 中野好夫 『語学ノート』
7 宮原晃一郎 『北欧の散策』
8 田中於菟彌 『印度さらさ』
9 高橋健二 『子供部屋』
10 谷川徹三 『芸術小論集』
11 岡田真吉 『映画と国家』
12 保田与重次郎 『蒙彊』
13 稲村耕男 『研究と条件』
14 亀井勝一郎 『人生論』
15 高橋広江 『ヴァレリイの世界』
16 佐々木治綱 『永福門院』
17 樺俊雄 『哲学と時代精神』
18 中橋一夫訳 『異神を追ひて』
19 三宅周太郎 『芝居』
20 中山省三郎 『露西亜文学手帖』
21 杉浦民平 『イタリア文芸復興史Ⅰ』
22   〃    『   〃   Ⅱ』
23   〃    『   〃   Ⅲ』
24 植村鷹千代 『現代美の構想』
25 久保田万太郎 『浅草記』
26 大山定一 『芸術の精神』
27 野村光一 『音楽の天才』
28 後藤末雄 『日本・支那・西洋』
29 菊地武一 『世界文学史上』
30   〃   『  〃  下』
31 渡辺一夫 『畸人伝』


 4  13 17 

 このうちの8の『印度さらさ』と19の『芝居』を拾っている。これらの明細は前者の奥付表の「生活選書」リストによるが、6、20、23、26、27、28は近刊予定とあるけれど、すべて刊行されたのかは確認に至っていない。しかしこれだけを見るならば、戦時下の昭和十八年の「選書」のようには思われず、戦後の文芸出版社の「選書」企画といっても通用するのではないだろうか。

 私の関心からいえば、高橋順次郎の弟子筋にあたる田中於菟彌の『印度さらさ』がインドの祭式などを論じ、興味深いのだが、ここでは三宅周太郎の『芝居』のほうに言及してみる。それは次回との関係もあるけれど、奥付には前者が二千部に対し、後者は一万部とされているからだ。同じ「選書」でも同年に出されているのに、初版部数にこれだけのちがいがあることに驚くし、取次の日配は買切制を導入していた事実を考えれば、このテーマの書籍は一万部を売り切ることが可能だった配本事実を伝えていよう。
 
芝居

『芝居』は歌舞伎と人形浄瑠璃を論じた一冊だが、「あとがき」に次のような一文を見出し、一万部という初版部数に納得してしまう。

 私が鈍骨を恥ぢず、弱い肉体を鞭打つてかく著書に努力するのは、私のやうな者の著書を見て頂く読者が尠くない事実を、絶えず感銘しているからである。そして(中略)私は「芝居なる芸術乃至宗教の信者を、一人でも多くふやしたいと思ふからである。

 戦時下にあっても、三宅の読者は確実にいたことになろう。『日本近代文学大事典』を繰ってみると、三宅は写真入りで二段以上にわたって立項され、少年時代からの芝居好き、慶大文科出身で、文藝春秋社の第二次『演劇新潮』編集長も務め、歌舞伎批評に新しいスタイルを作り、後進に大きな影響を与えた画期的な存在、「生涯、歌舞伎と文楽とを愛し続けたジャーナリスト」と評されている。それゆえに一定の読者層が確保され、一万部の初版部数となったのであろう。


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