真夏の空の下にある中学校の屋上の高架水槽の上で、ひとりの少女が夢想していた。「そこへ行けば、願いが叶えられるという、そこは忘れられた世界最後の楽園、わたしはそこへ行きたい。ZONE―聖域―……。」と。
その少女は羽木陽美子(ヒミコ)で、そこにもうひとりの少年が合流する。少年の名前は浅田甲斐(カイ)。彼も「ここより他に……もうひとつの世界がある」と思っていた。同じ組に彼の幼馴染みの工藤満(ミチル)と時雨(ときふる)がいて、カイとミチルはメーテルリンクの『青い鳥』のチルチルとミチルのような関係にあった。
ミチルはクラスの長期欠席者の鹿島亜理子(アリス)を登校させるために訪ねていく。名前のことはいうまでもなく、「ハンプティーダンプティ」の歌とともに登場するように、彼女がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』から召喚されていることは明白で、壊れた家の天使として出現する。これで主要な五人のメンバーが揃ったといえよう。
カイは時雨に告白する。小学校六年の夏に「それ」に出会い、「この世界は眼に見える物だけで成り立ってるんじゃない! 僕のまわりには眼に見えない、もうひとつの世界が広がっている」ことがわかった。そしてそれが何かも。
「『ZONE―聖域―』…それが…僕の心臓にささった鏡のカケラの正体なんだ……それは……ほんの僅かな期間だけ地方発行の文芸誌に掲載された連載小説……これがその文芸誌……連載の第一話目なんだけれど、たぶんそれだけで時雨にはわかってもらえると思うよ……」
そして冒頭のシーンでのヒミコとミチルのモノローグが、『ZONE―聖域―』の一節として引用される。その三回で中絶してしまった作品の中に、ミチルは「ひとりの人間の心の底からの叫び」を聞き、「僕たちの戦いを始める」ために、それが掲載されていた『書源』を発行するH大学文芸部を訪ねる。すると編集部長はすぐに『ZONE―聖域―』とその作者についての用件だと察し、次のようにいう。
「とても感覚的で、まるで散文(ママ)みたいな文章が組み合わされているだけ。
詩っていえば聞こえはいいけど、見る人によってはまるで覚え書きの羅列のような……、
たしかにあなたたちのような年ごろの人たちの心をとらえて放さない“何か”があるようだけれど……
ZONE―聖域―は小説としては全く稚拙、評価には価しない。」
それが打ち切りの理由だとされるが、それは「最大公約数」的意見で、『ZONE』以上に面白い作品はないとカイは反論する。部長にしても、それは本心でなかったことから、カイは作者の住所を教えられ、そこを訪ねる。すると出てきたのは他ならぬヒミコだった。彼女は心臓の病気で二年近く入院し、その間に書いた小説が『ZONE―聖域―』だったのだ。だがヒミコは思ったことや考えたことを書いたのではなく、感じたことをそのまま表現しただけで、自分の意志は介在していない文章が大きな影響力も持つことが怖ろしいし、続きは書かないと断言するのだった。
しかしカイとヒミコがともにピアノや作曲に秀でていたことから、ヒミコが『ZONE』の続きを書くことを条件に、ミチルたち四人でバンドを組むことが提案される。そして四人を前にして、もう一度『ZONE』のストーリーがカイの口からあらためて提示される。
「僕らの住んでいるこの世界とほとんど変わらない平行世界(パラレルワールド)の話なんだ。そこだと今、僕らが現実だと思っている世界が実は仮想空間で、その外にこそ本当の現実世界が存在する。でも仮想空間の外は聖域とされていて、外に出ることは許されないんだ。
そのことに気づきだした数名の少年たちは仮想空間を壊し、現実世界へ戻ることを考えはじめる。ZONE―聖域―を目指す少年たちはその思想の証しとして右腕に赤いバンダナを巻いて―…!
初めは小さな活動だったけど、仲間がひとり増えふたり増え、次第に大きな社会現象までになっていく―……(中略)
嘘と現実の間で悩みながらただひとつ…ZONE―聖域―を目指していろんな経験をしていく―……「ZONE」はそういう物語(ストーリー)なんだ。」
そこには同世代の人々が同時に感じている共同概念=「みんなの思い」や、「時代の夢」がこめられている。それを小説だけでなく、メロディと詩を伴う音楽でも伝えようとする試みがバンドの結成ということになる。時雨がギターで、ミチルとアリスがボーカルなのだ。カイとヒミコによる曲はカイのピアノに弾かれ、二人の歌声を通じ、中学校に突き抜けるように響きわたり、生徒全員を魅了するに至る。「これが『ZONE―聖域―』のちから…」だとミチルが思い知らされる場面で、第1巻は終わっている。
この『紺碧の國』は先に挙げた小説の他に、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』やゲーテ、寺山修司の詩の引用からもわかるように、様々な物語をベースとし、またヒミコの命名などに表われているように、『古事記』などの神話も援用している。それに『ZONE』はシュルレアリスムにおける自動記述からなる小説と見なすことができよう。
だがそれらの中でも、カイとミチルの設定やタイトルの由来からすれば、やはり物語のパラダイムはメーテルリンクの『青い鳥』にその祖型を求められるであろうし、タイトルの『紺碧の國』も、『青い鳥』における「思い出の国」「幸福の花園」「未来の王国」のイメージが反映されているのではないだろうか。
そして第2巻はカイたちの音楽活動の展開へと移っていくわけだが、本格的な同世代、同時代の反響を描いていこうとするところで、掲載雑誌の休刊という不測の事態も重なり、中絶してしまっている。それゆえに『紺碧の國』の「紺碧」の意味が、夏休みの続きであるような「唄とみんなの騒ぐ声と夏の空とまるでどこまでもつづくように思える永遠の時間……」だけにとどまり、『青い鳥』にこめられた様々なメタファーの投影まで至っていない。もう少し進行、展開されていれば、物語と読者、流行と共同幻想といった深い問題にも関わっていくことになったはずなので、そのことも含め、完結に至らなかったのはとても残念に思える。
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