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混住社会論26 内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)

ナンミン・ロード



前回の笹倉明『遠い国からの殺人者』が発表された同じ八九年に、内山安雄の『ナンミン・ロード』が「特別書き下ろし長篇小説」として、講談社から刊行された。

遠い国からの殺人者

これは中絶してしまった船戸与一の「東京難民戦争・前史」の系列に位置する作品と見なせるし、同様にベトナム人を主人公としている。そして三人称の難民の目を通じて叙述されていく、日本における混住の民族葛藤の物語だといっていい。それは「五月の半ば、グエン・ミン・トクは四年近く住んだ六畳一間のナンミン長屋から、リアンと一緒に出ていこうとした」という一節から始まり、次のように続けられていた。

 トクは十年前、タイ国籍の偽造パスポートを手に一人ぽっちで入国し、そのまま不法残留者として潜行生活に入った。わずか十三歳だった。そして今、この国には存在すらしない人間ということになっている。
 共同生活者のリアンとは、ここに入居する少し前、ボランティア団体が運営する日本語学校で知り合った。リアンはアメリカの将校とベトナムのオンリーの間に生まれた混血児だ。食堂の皿洗いをしていたお下げ髪の垢抜けない十七歳の女が、今では二十一歳の妖艶な夜の女に変貌している。

本連載の読者であれば、説明するまでもなく、トクが七九年のボートピープル時代の難民で、佐々木譲『真夜中の遠い彼方』メイリン笹倉明『東京難民事件』のメイランと同じ軌跡をたどった「エア・ピープル」の一人だとすぐに了解されるだろう。

だが『ナンミン・ロード』のトクが二人と異なるのは、彼女たちが様々な意味でのボランティアによって支援され、危機からの脱出が試みられていくことに対し、彼の場合は船戸与一が「ヴェトナム難民の明日の選択」(『叛アメリカ史』所収、ちくま文庫)で示した難民のステップをたどっていくことだ。船戸のテーゼは5つの段階に分かれ、それは本連載24で示しておいたけれど、内山の『ナンミン・ロード』はそのうちの2の「人種主義との本格的邂逅」を描いているといえる。アメリカを例にして、船戸は述べている。「都市に流れついたヴェトナム難民は本格的な人種主義に直面する。白人労働者階級から新参のアジア人として疎外され、差別構造のボトム(底辺)に位置づけられる」と。『ナンミン・ロード』のトクたちの場合、それは戦後における占領を象徴する基地のある町で、いきなり混住の実態と錯綜に遭遇していることになろう。

叛アメリカ史

そのような物語を分析する前に前述の二人も含め、『ナンミン・ロード』を彩る主な「ナンミン」たちを紹介しておくべきだろう。

*グエン・ミン・トク / 不法残留者。福祉モデル企業の倉庫会社勤務。父は大学教授だったが、再教育キャンプで自殺。母は難民としてアメリカに渡り、再婚。 ベトナムからボートピープルとして兄妹と三人で脱出したが、海賊に襲われ、兄は殺され、妹は犯され、香港にさらわれる。
 *リアン / トクの同居者。アメリカ兵とベトナムのオンリーの混血児。日本で「ナンミン」認定は受けているが、定住資格がない「特別在留許可」だけを取り、アメリカへの移住を夢見る。GI相手の売春を行う。
 *ラン / トクの妹。日本にきて三年。縫製工場に勤め、寮に住む。日本人デザイナーの恋人ができ、転職するが、妊娠して捨てられ、新宿の売春クラブに籍を置く。
 *ラップ / リアンの腹違いの弟で、十六歳。母に捨てられ、ベトナムの施設で育ち、来日したばかり。
 *バン / 「ナンミン」のエリートで、日本国籍を持ち、短大を卒業し、日本でも指折りのメーカーのエンジニア。トクはランとバンの結婚を望んでいる。
 *ロイ / トクの職場の同僚。ボランティアの信子と婚約するが、彼女の家族の反対にあい、破談。
 *ファックとチュエン /やはりトクのかつての同僚で、現在は麻薬ビジネスに関わる。
 *ズオン / トクの以前の友達で、今はファックとチュエンの仕事を手伝う。麻薬中毒で、二人の日本人を殺傷し、警察に追われている。
 *ミンレイ / 新宿のクラブのホステス。六年前にベトナムを出て、三年前に日本上陸。
 *チェン、リュー、サム / トクの職場の同僚たち。ただしパート待遇。

これらの十三人のベトナム人たちの物語が『ナンミン・ロード』であり、主人公にすえられたトクは、他の男女を問わないベトナム人たちを映し出す鏡像のような役割を果たしている。

「ナンミン」たちを取り囲んでいるのは、グエン・キム・タン、彼は日本女性と結婚して帰化し、南十蔵を名乗る東京の私立大教授で、「ナンミン問題のイデオローグ兼ボランティア」、福祉系モデル企業として「ナンミン」たちを雇っている倉庫会社のワンマン社長、その溜まり場である喫茶店の進駐軍の白人とパンパンの混血児のマスター、日本語を教えるボランティアだが、ソープランドに勤めている久美子、ランをもてあそぶ気取ったデザイナーの松井などである。これらの人々も「ナンミン」たちを日本社会の状況の中に浮かび上がらせる装置のような存在として、混住の困難さと差別のメカニズムをあからさまに照らしだす。

それはまず日本人が「ナンミン」のベトナム人を差別する眼差しで包囲し、その差別、被差別の構造が『ナンミン・ロード』の物語のコアともなっている。デザイナーは具体的に例を挙げていう。「まあ、言葉のギャップもあるだろうけど、しょせん日本人とベトナム人とでは、生活習慣でも考え方の面でも、相入れないんだよね」。それはフィリピン、タイ、パキスタン人へともつながるものであり、「ナンミン」のベトナム人たちもその日本人の差別を継承し、そのように「ジャパゆき」たちを見るのである。

このような差別のメカニズムはヨーロッパ人に対して向けられるものではなく、東南アジアの人々に向けられる、西洋経由のひとつの「オリエンタリズム」と考えるべきだろう。おそらくは欧米人が日本人に対して向けた眼差しが連鎖して、東南アジアの人々にも及んでいく系譜を示し、「ナンミン」と「ジャパゆき」たちはそれを突出させる触媒のようなものとして機能する。

とすれば、「ナンミン」と「ジャパゆき」を前にした場合、サイードが『オリエンタリズム』で述べている言葉をもじっていうと、大半の日本人が「必然的に人種差別主義者であり、帝国主義者であり、ほぼ全面的に自民族中心主義者」になってしまう側面を描いているといえるのかもしれない。それはまた彼らや彼女たちがかつての日本人の似姿であることにも起因しているのではないだろうか。都市に出た近代人が古い田舎や親をうとましく思ったように。

オリエンタリズム

そうした複合性はトクが代々木公園のホームレスたちを訪ねる場面に表出している。かつて浮浪者そのものだったトクは、そこで日本語と生活術を学んだのだ。しかし公園に戻っても、そこでの生活はもはやトクにとって耐えられるものではなかった。流暢な日本語をあやつるようになったトクの日本での生活は、「ナンミン」とはいえ、ホームレスに再び戻ることを不可能にしていたのである。そこに異国での言語と生活の織りなす変容のドラマが垣間見えるように思われる。

最初に示したトクたちの米軍基地のある町の六畳一間の「ナンミン長屋」から1DKのアパートへの引越しは、彼らの生活の向上には結びつかなかった。トクの周辺は犯罪の気配に染められていく。彼はいう。「ロイとか俺まで引きこんで、ベトナム・マフィアでも結成しようっていうのか?」。そして九年前のトクの拳銃による警官殺しが明らかになる。

ランは失踪し、リアンは殺され、ロイはチュエンとファックの麻薬ビジネスに加わり、ズオンはトクの貯金を持ち逃げする。だがズオンは重傷を負い、警官を撃ち、ヘロイン幻覚の中で死んでいく。ズオンは錯乱しながらも、自らの墓碑銘を伝えるかのように、自分の生年月日、経歴、フルネーム、出身地、教師の一人息子で、クリスチャンだったことをベトナム語でまくし立てた。かつて「十三歳のトクとズオンは、東京の片隅で、身を寄せ合って、ベトナム人には厳しすぎる一冬を一緒にすごした。雪の降る夜などは、寒さに耐えられず、抱き合うように寝たこともある。あの頃は、兄弟のようなつもりでいた」のに、トクはズオンのことを何も知らなかったのだ。

ズオンは自分が生きていたことを覚えていてほしくて、トクにそれを話したのだ。日本では生きていく場所がなく、死んで初めて自分だけの場所を確保できるからだ。ズオンに対して、ここでトクはいう。それは「ナンミン」の諦念ではなく、希望の言葉のように発せられる。「そんなことはない。ズオンが思っているより、もっと公平だよ。いや、きっとそうなる。きっと」。そしてズオンの死のかたわらで、まだ三発の弾丸がこめられた銃を手にし、「どこで、どんな目にあおうとも、最後の一瞬まで生きるのを諦めない」と決意するのだ。「二発は行き延びるために、残りの一発はトク自身のために」とあるから、防禦と「最後の一瞬」のためのものとなる。

内山も笹倉明と同様に、ボランティアとして「難民を助ける会」に参画していたようで、「あとがき」において、「声なく弱き人々の側から、時代にかかわる作家でありたい」と記している。

しかし内山の『ナンミン・ロード』は九二年にアルゴ・プロジェクト、五十嵐匠監督により、レー・マン・ホウンなどのベトナム人主演で映画化されたが、最初の長編『凱旋門に銃口を』(講談社ノベルス、後に講談社文庫)ほどにも評価されなかったし、映画もまた同じだったように記憶している。それゆえに文庫化もされておらず、八九年の単行本のままで、もはや誰も語らない。だから拙文をきっかけに、何人かの読者が生まれれば、とてもうれしい。

ナンミン・ロード

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1