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古本夜話346 今和次郎『日本の民家』と『写真集よみがえる古民家―緑草会編「民家図集」』

今和次郎と吉田謙吉のバラック装飾社から考現学へ至るアウトラインをたどってきたが、ここでは少し時代を戻し、大正時代の今と民家、柳田国男との関係にふれてみたい。

今の主著としては『日本の民家』岩波文庫)があり、これは現在でも民家を考える古典にして入門書と見なすことができ、考現学以上に知られている一冊だといっていいだろう。『日本の民家』の初版は大正十一年に鈴木書店、昭和二年に増訂版が岡書院、その後相模書房から出され、戦前戦後を通じて読まれ続け、さらに平成時代になって岩波文庫に入り、新しい読者を得ていったと思われる。それは『日本の民家』が版を重ねていく過程で、今が「新版の序」でも書いているように、「この本に書いてあるような現実がいつとはなしに消えていきつつあること」、また「やがて、これに記されていることも、まるっきりといっていいい位見失われてしまう時も来る」社会状況を迎えてしまい、まさに「この本の値打ちも出てくる」ことになってしまったからだ。

日本の民家  日本の民家 相模書房版)

最初に出た鈴木書店版は入手していないが、岡書院版は所持している。箱入の四六判ハードカバーの端正な造本で、いかにも岡書院らしい趣きの一冊であり、口絵写真に民家が五枚収録され、それは民家の中で営まれている各地の生活をも伝えようとしているかのようだ。だが岩波文庫版ではそれらが削除され、本の魅力を半減させてしまったような気がする。それはおそらく今の民家論にあって、写真とスケッチと文章の三位一体で成立した事情が忘れ去られてしまったからではないだろうか。

今は「旧版の序」において、柳田国男の手引きによって「民家の調べ」に至った経歴を記している。

 大正六年に柳田先生と佐藤功一博士と発起せられて、我が国の各地の旧い民家を保存する主旨で「白茅会」と云ふのを作られた。そのときの会員は石黒忠篤さん、細川護立侯、大熊喜邦博士、田村鎮さん、内田魯庵先生、木子幸三郎さんであつて、私もそのなかまへ入れてもらうことができた。大正七年まで続いて各地を旅行し、「民家図集」埼玉県の部は会の仕事を記念するものとして残された。白茅会は大正七年の夏「郷土会」と合同して更に長期の旅行を企て、各自分担で研究したことがあつたが、そのときの私の報告体のものは巻末の内郷村の調査である。

柳田の郷土会については拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究3』所収)などを参照されたいが、民家調査を目的として、佐藤を始めとする建築家たちが加わった白茅会も郷土会の延長線上に成立したと見てかまわないだろう。そのような柳田の歩みに寄り添って、今も民家に表象される農村の生活へと接近していったと考えられる。ちなみに明治四十五年に今は東京美術学校図案科卒業後、大隈講堂の設計で知られる早稲田大学建築科の佐藤功一の助手となった関係から、白茅会に入会している。
古本探究3

しかしこの白茅会は翌年までしか存続しなかったこともあってか、その活動の全貌は不明で、今が言及している『民家図集』もどのようなものなのか、読むことができなかった。ところが二〇〇三年になって、永瀬克己、津山正幹、朴賛弼、古川修文編『写真集よみがえる古民家―緑草会編「民家図集」』(柏書房)が刊行され、そこに白茅会編『民家図集』も収録されたことで、それをようやく目にすることができたのである。

写真集よみがえる古民家―緑草会編「民家図集」
それは確かに「埼玉県の部」であり、未製本のままで東京大学総合図書館に所蔵されていたものが底本となっていて、その十葉の本文は写真、間取り図、スケッチ、また柳田、田村、佐藤、今、及び田村の代わりに赤壁徳彦という人物の名前もある、いずれも四人によるレポートから構成されている。奥付にあたる表記として、大正七年十月発行、編輯及発行者白茅会、右代表者名今和次郎、印刷所洪洋社とある。ここに明らかに『日本の民家』の構成の原型が見てとれる。

この白茅会編『民家図集』に結実した調査と編集体験、それに続く郷土会絡みの人文地理学の習得と農商務省下での農村住宅の研究などが加わり、大正十一年の鈴木書店版『日本の民家』に至ったと思われる。

そして同時に白茅会編『民家図集』と、今の鈴木書店版に続く岡書院の増訂版の刊行という民家研究の流れはもうひとつの『民家図集』につながっていく。それが『写真集よみがえる古民家』のサブタイトルに付された緑草会編『民家図集』であり、白茅会編が一冊、十数ページだったことに対し、緑草会編は昭和五年から翌年にかけて県別に第十二輯まで出され、しかもそれらには精巧にして、すばらしい民家の写真が二十五枚から三十枚収録されている。その奥付によれば、緑草会編『民家図集』は白茅会のメンバーだった石黒、大熊、佐藤、柳田、今たち七人を監輯、編輯者を緑草会と横山信、発行兼印刷者を大塚稔、発行所を大塚巧芸社として刊行されている。

月報にあたる「民家輯報」には白茅会編『民家図集』の出現に驚きと刺激を受け、「当時の諸先輩をそのまま指導者とするわが緑草会は、少くもその精神を継いだものであつて、謂はゞ民家採集の先駆でないにしてもその復興である」との言が述べられている。またこれは「非売品」と記されているように、取次や書店ルートではなく、予約会員制通信販売だったと見なしてよく、発行部数は三百部ほどだったと伝えられている。それゆえに緑草会は編集と販売のために大塚巧芸社内に設けられていたのである。

発行者と発行所の大塚稔と大塚巧芸社に関しては本連載157で、草村北星の建築工芸協会とその出版の関係で言及しているが、ここでは『民家図集』の出版者として登場したことになる。それらと編輯者横山信については次回にふれることにする。

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