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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話371 東方書院『浮世絵大成』と『仏教聖典講義大系』

ずっと大判美術書についてふれてきた。それらの出版の流れは本連載243で言及した昭和円本時代の平凡社の『世界美術全集』の刊行によって、出版業界にとっても読者にとっても、広く認知された出版形式となったと思われる。平凡社の企画の目論見は美術の大衆化にあり、それはいってみれば、大型美術書をポピュラーな出版物とする試みでもあったからだ。そして平凡社の『世界美術全集』を起点として、多くの美術全集的な出版がなされ、それは本連載340のアルスの『現代商業美術全集』、中央美術社の『日本風俗画大成』なども同様で、そうした円本時代の産物だと考えていい。そしてこの美術全集の出版は戦後の昭和時代まで継承されていくことになる。

現代商業美術全集 (復刊、ゆまに書房)

そのような円本時代の美術出版に『浮世絵大成』がある。これは昭和五年に東方書院から全十二巻で出されたもので、そのうちの八巻だけを所持している。この巻は東洲斎写楽を始めとする三二五点に及ぶ役者絵を収録していて、原色版は六点だが、コロタイプ版もふくまれた単色版も見応えがあり、この『浮世絵大成』の編集と造本のレベルの高さを伝えている。この『浮世絵大成』は坪内逍遥、笹川臨風、鏑木清方を編輯顧問とし、編輯責任者は吉田暎二となっている。吉田に関しては神谷敏夫『最新日本著作者辞典』(大同館、昭和六年)に立項されているので、それを引いてみる。

 吉田暎二 よしだえいじ
 劇作家で、明治三十三年二月東京市本所区小泉町に生れた。府立第三中学校を経て、早稲田大学露文科に入学したが、大正十二年の大震災に一家全滅に遭ひ中途で同学をやめた。其の後昭和三年十一月迄、歌舞伎座内出版部で「歌舞伎」「歌舞伎研究」の二雑誌を編輯してゐた。新進の劇作家として知られ戯曲の数も多く、殊に少年少女物が多い。他に浮世絵の研究随筆があり、「歌舞伎年代記」の復刻、「新歌舞伎役者絵画集」等もある。(後略)

この吉田の紹介によって、定かでないにしても『浮世絵大成』の企画成立のアウトラインが浮かび上がってくるのだが、奥付に編輯兼発行者として記されている東方書院の三井晶史に関しては、長年にわたって留意しているにもかかわらず、明確なプロフィルが描けないままである。

といって三井のことがまったくわからないわけではない。大正時代に宗教書、仏教書出版が活発になり、本連載104『世界聖典全集』同105『国訳大蔵経』などに示されるように、大部の全集や叢書類が続々と出されていた。その中心にいたのは仏教学者の高楠順次郎で、彼は新光社の仲摩照久と『大正新修大蔵経』の出版に取り組んでいたが、関東大震災で烏有に帰してしまった。三井はこれらの関係者だと思われる。

世界聖典全集 『世界聖典全集』

大正十一年に『現代意訳大品般若経』が出されていて、これは「訳著者」を三井晶史、発行者を立川雷平、発行所を、仏教経典叢書刊行会としているが、同会はその奥付表記から新光社内に置かれているとわかる。『大品般若経』は非売品扱いの「現代意訳仏教経典叢書」の一冊で、やはり関東大震災もあってか、全十二巻のうち第一巻は未刊となったようだ。

しかし三井の名前は昭和九年の安井廣度『阿含経講義』の奥付にも編輯兼発行者として見出すことができる。発行所は東方書院内仏教聖典講義刊行会で、発売所は誠文堂新光社となっている。『全集叢書総覧新訂版』を繰ってみると、これは箱と本体の背に明記されているように、『仏教聖典講義大系』全二十二巻のうちに一冊だとわかる。

全集叢書総覧新訂版

そしてそこにはさまれた、同じく三井を編輯発行人とする「月報」から、東方書院が仏教書の他に日本画大成編輯部編『日本書画便覧』なる「書画鑑定の虎の巻」を出していることを知らされる。これも『総覧』で引いてみると、東方書院から『日本画大成』が刊行され、全五十五巻が三十六巻で中絶したとなっている。

これらの事実から、三井に関して次のように推測が可能であろう。彼は高楠順次郎の近傍にいた編集者で、高楠と異なる仏教書の啓蒙的著作の普及を志向し、立川雷平と仏教経典叢書刊行会を立ち上げ、新光社も発売所として「現代意訳」シリーズを出したが、関東大震災で新光社と同様に破綻へと追いやられた。

そしてどのような経緯があったかは不明であるが、昭和に入って東方書院を設立し、『模範仏教辞典』などの仏教書出版のかたわらで、『浮世絵大成』『日本画大成』などの大判美術全集にも挑んでいく。しかし前書はともかく、後書は五十巻を超えるものなので、おそらく資金が続かず、中絶せざるを得なかったのではないだろうか。その後新光社の仲摩がそうであったように、小川菊松の誠文堂の傘下に入り、本来の仏教書出版に戻り、『仏教聖典講義大系』を企画刊行するに至ったと思われる。このタイトルはいうまでもなく『世界聖典全集』からとられているのだろう。

なお東方書院の由来は『世界聖典全集』の範となった英国の『東方聖書』に端を発していると考えられ、これらにも高楠との関係が強く反映されていると判断できよう。

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